第13話:銀食器

 隅国の視界の端を銀色の物質が通り過ぎる。

 それが掠ったような気がして頬を触る。

 指先が赤い液体で濡れていた。

 傷に気が付いたせいで脳が痛みを認識し、じんわりと頬全体に広がっていく。

「ぁがっ!」

 だが隅国よりも先に苦痛を漏らしたのは、目の前の男だった。

 食事の際に使用するべきもの。この場に相応しくないもの。

 男の左肩に曇りなく磨かれた銀食器が刺さっていた。


「『すぐ戻る』って言っただろ、お嬢様」

 声のする方を振り向くと、メイド服の少女がいた。

「荷田すぁん……!!」

 令嬢はぽろぽろと涙を流しながら、少女の名を呼ぶ。

 汚れていた顔がより一層酷いものになっていく。

「お前の奇声が屋敷の果てまで聞こえたぞ」

 荷田はポケットから棒付きの飴を取り出して咥えた。

「で、あいつは?」


「クソ!」

 悪態を付きながら二人から距離を取り、肩に刺さったフォークを引き抜く。

 地面に叩きつけると、カランという金属音が通路に響いた。

「こんなのもので、ふざけやがって……」

 男は二人を睨むと、威嚇するように剣を空振る。この程度のダメージでは男の剣技に影響は無かった。


「知らない人です……」

「そんなのはわかってんだよ!」

 返ってきた呑気な答えに苛立ちを感じ、荷田は手が出そうになる。しかし、満身創痍の隅国を見て手を止めた。小さく舌打ち。

「敵はひとり、武器は剣一本か?」

 下手な回答をして荷田の機嫌を損ねてはいけないと思ったのか、こくこくと赤べこの如く頷き、態度で返事をした。

「ふん」

 鼻を鳴らすが、少女の喉を通って出たのは威厳とはほど遠い可愛らしい音だった。

 荷田は飴を咥えたまま準備運動のように首を鳴らし、肩を回す。

「隅国、さっき貰った薬煙草とやらでも吸って少し休んでいろ」

「あ、はい。ただ火が……」

「ああ、それならさっきメイド長からマッチを盗った」

 懐をまさぐり、少女は小さな箱を取り出す。


「おいおい。令嬢様の次は召使いかよ」

 盗賊の声に、二人は動きを止める。

「しかも男か女かもわからないようなガキときた」

 男は頭から足元まで流し見て、品定めをする。

 価値無し。

 それが下した判断だった。

 どうやら女とは言え子供。特別売れそうな見た目をしている訳でもなく、身体に特徴も無い。強いてあげるならば眼鏡をかけている点だが、これは商品価値を下げるポイント。この後令嬢を抱えて帰ることを考えると、少女までは運べない。

 だが、泣き叫ばれても邪魔。

「殺すか」

 男は低い声で呟く。

 表情には油断も恐れも存在しなかった。

 その様子を見て荷田は振り返る。

「呼吸を整えろ。そして、今から俺が言うことを黙って聞いてろ」

「え?」


「おい、盗賊」

 少女が一歩前に足を踏み出す。

「取引してくれ。俺とこいつを見逃してほしい」

「できると思うのか?」

「こいつは影武者なんだよ。こういう時、時間稼ぎに使われる偽物。こいつがあの気高い令嬢に見えるのか? 本物はもうとっくに屋敷の裏手から逃げてる。お前の目的は本物のクイーナ・ギリジアだろう?」

 平然とその場に立ち続ける少女の表情は窺い知れなかった。丸い眼鏡が光を反射して目元を隠す。

「……ど、ど、どういうことですか荷田さん!?」

 隅国は声を押し殺して少女へと疑問を投げかけた。

「黙れ」

 対する少女は短く答えると、キャンディを口から取り出した。棒の先についた飴を男に向ける。

「俺たちを逃がしてくれれば、本物のクイーナが逃げた行き先を教えてやる」

「何を言い出すかと思ったら」

 男は溜息をついて、剣で床を叩く。

「俺がお前たち二人を捕まえた後で本物とやらを追っても同じことだろう」

「違う。その場合俺たちは決して本当の居場所を吐かないし、そんなことをしている間にお前たちの手の届かないところまで奴らは逃げおおせるだろう。都市まで逃げて防衛線を張ったとして、お前たちはそこに乗り込むのか?」

「舌の回るガキだ」

 くつくつと男は笑う。

「だが残念ながら、おままごとに付き合う趣味はない」

 止まっていた足を動かし、ゆっくりと荷田たちに近づいてくる。

「悪いな、別にどうしても本物がいいってわけじゃないんだ。こんだけ上物だったら、別に影武者でも偽物でもどうだっていい。遊んだ後でも、十分値段が付くだろう。それに、どこに逃げようが問題はない。クイーナ・ギリジアはもうすぐ大きな後ろ盾を失うんだからな」


 荷田は小さく舌打ちをする。

「交渉は失敗。時間稼ぎは終了だ。隅国、戦えるか?」

「え!? 私も戦うんですか!?」

「決まってるだろ、俺はこんな姿だぞ。筋肉が無くて、ろくに剣も持てない」

「反社会組織直伝マル秘の打開術とか無いんですか!?」

「無い。強いて言うなら銃があればすべてを解決できるが、手元に無い」

「つ、使えない~~~!!!」


「おいおい、仲間割れか? 最期くらい仲良くしろよ」

 盗賊が茶化すように言う。

 男と二人の距離は既に数メートルほど。


「使えない。……そうだ。今の俺は使えない」

 荷田は落ちていた金属製の額縁を拾い上げる。

 もし、隅国ではなく俺がクイーナ・ギリジアだったら。

 荷田はどうしても考えてしまう。

 こちらに来てから、何度そう思ったことか。

 もし自分が十歳にも満たないような非力な少女などでなく、最強と呼ばれる令嬢だったのなら。

 庭仕事や洗濯も掃除もあらゆる雑用などしなくてよかったはずだし、そもそもこんな屋敷にとどまっている必要もなかった。目の前の男など一瞬で粉砕し、早々にトリーを見つけて逃げおおせることも出来た。

 でも、現実は違う。

 身体は細くて背は低い。眼鏡を賭けなければいけないほど視力は悪く、武器すら両手でなければ持ち上げることも敵わない。

 およそこの屋敷の中で最弱といっても良いだろう。

「だから手を貸せ」

 額縁を隅国に対して手渡そうとする。

 未だに腹部が痛む隅国は左手で患部を抑える。

 残った右手を伸ばそうとした。


「荷田さんと出会ってからめちゃくちゃなことばかりですよう……」

 包丁。

 銃。

 カーチェイス。

 衝突事故。

 爆発。

 剣戟。

 今日一日で起こった事と思えない、濃密な異常事態を思い起こす。

「俺の方が最悪だ。その上、まだ続くらしい。お前は明らかに、疫病神だ」

「……お互いがお互いにとっての疫病神ということで」

 右手を伸ばして、荷田が持つ額縁を掴んだ

「何をすればいいんですか?」

「盾」

「……」


 盗賊の男は苛立たし気に床を蹴る。

「最後にひとつ。隅国、火の魔法とやらは、何て唱えるんだ?」

「は?」

「魔法を使う前に呪文みたいなのが必要だろう」

 荷田は今朝のメイド長との出来事を思い浮かべる。あの時、彼女は魔法を使う前にある言葉を唱えていた。

「と、『灯せ』です。でも魔法を使うには――」

「わかった」

 遮るように荷田は一歩後ろに下がった。隅国の陰に隠れる。

 暗闇の中で少女が身に付けている白いエプロンだけが周囲のものよりわずかに強調されて見えていた。


「……痴話喧嘩は終わりか?」

 男は興味なさそうに剣を握り直した。

 あと一歩進めば、剣が届く距離。

 男と隅国は向かい合い、お互いの武器を構える

「終わりです。私は盾で、荷田さんは役立たず」

「まあ、お前は殺さないから安心しろよ」


 視線が重なる。

 剣を振りかぶって踏み込み、男は最後に残った距離を一気に詰める。

 最初の一撃は額縁を構えている場所にわざと打ち込んだ。

「っ!」

 攻撃をなんとか堪えたものの、痛みで万全ではないためか大きくふらつく。

 バランスを崩したところに男は肘打ちをしようと、さらに深く踏み込もうとする。

 そこに銀食器。

 男は右目に刺さる寸前のところを手で弾く。肘打ちによる追撃は失敗し、体勢を整えるために後方へ飛びのいた。

「隅国、それでいい。無限に耐えろ」

 両手に銀食器のフルセットを構えて少女は敵を見据えていた。

「役割分担。俺が矛だ」


 盗賊は即座に状況を把握し深く呼吸する。

 一息ののち力強く踏み込み、薄暗い屋敷の通路内に火花が散る。

 ぶつかり合う二つの金属のうち、一つは両刃の剣。

 もう一つは、絵画を収める額縁。

 暗闇の中でもわかる鮮やかな赤髪を振り乱して、長身の女性が男の剣撃を額縁で受け止めていた。

 攻撃後にメイドによる投擲に備えたが、銀食器は飛来しなかった。

 このタイミングで投擲があっても確実に防げていた。

 考えなしに投げているわけではないと理解し、頭の中で少女への警戒度を一段階上げた。

「隅国、火の魔法だ! 燃やせ!」

 令嬢の陰から少女の声が響く。

「何言ってるんですか! 私じゃあ使えませんよ!」

 隅国は剣を受け止めながら答えた。


 先ほどからちらほらと魔法に対する会話が広げられていたのは、男の耳にも聞こえていた。

 火の魔法。偶然にも男のボスである盗賊の首領が使うものと同じ属性の、最も殺傷力の高い魔法だ。

 剣を打ち付ける間、ふいにボスの使う魔法の威力をありありと思い出した。

 直近の記憶。今夜も、たった十数分の間に巨大な屋敷を半壊させたほどだ。

 噂では令嬢も火の魔法が使えると聞いたが、それはやはりデマだったようだった。それとも、目の前の女は本当に影武者なのかもしれない。

 銀食器。

 チッと男は舌打ちをして剣で弾く。

 額縁女の反撃が無いせいで、戦闘に集中できていなかった。まるで案山子に剣を振るう筋力訓練のようだ。

 メイドはその意識の乱れを狙ってきたようだった。そんなことを想起させる言葉を吐いたのも彼女の作戦だろうかと一瞬考え、流石に深読みし過ぎだと振り払った。


「荷田さんももっと頑張ってくださいよ! 全然弾幕足りませんよ!」

 令嬢にも余裕が戻り始めていた。

 しばらく前に与えた鳩尾への蹴りは大きなダメージを与えているはずだが、動きは回復し最初の会合のときと大差なくなってきている。先ほどからフェイクを織り交ぜた攻撃も防がれ始めている。

「面倒だな」

 このまま膠着状態が続けば、令嬢が完全に回復して大きな反撃の機会を与えることになる。

 状況を打破するため、行動方針を令嬢の無力化からメイドへ切り替えた。

 だが令嬢を振り切って後ろのメイドを攻撃しようにも、女は反射性能だけは異様に高い。横をすり抜けようとしても、動きに対応して滑り込んでくる。

 当然移動の直後には隙があったが、そこを突こうとすると銀食器が飛来して防がれた。

「クソ!」

 男は徐々に焦りを感じ始める。

 一見大道芸のように見えるこの二人組の攻防は実に上手く組み合っていた。

「隅国、調子に乗るなよ!」

「わかってますよ!」

 隅国の痛みが回復する一方で、男の体力は消耗していた。

「クソ! クソが!」

 男の攻撃は激しさを増すが、既に隅国はそのスピードに目が慣れてきていた。額縁を左右の手で持ち替えながら剣を受け流す。

 この短時間で彼女の技量は恐ろしい速さで上達していた。

 男の息は上がり、首筋に多量の汗が浮かぶ。

 形勢が逆転するのも時間の問題だった。


「がああァァ!!」

 突如、獣のような雄叫びを上げて隅国の方へと飛び込む。

 声に怯むが、戦闘に支障が出るほどではない。通常通り刃を防ぎ切る。

 次の瞬間、男は荷田も予想していなかった動きをした。

 男は剣を手放し、額縁を掴んで隅国ごと荷田の方へとタックルを仕掛けてきた。

 荷田は身を捻って辛うじて突進を躱す。

 直後、背中を見せている男の右ふくらはぎに向かってナイフを投擲。後ろ向きの男は反応できるわけもなく、ナイフは綺麗に刺さった。

 だが男もそれは予想していたようで、構わず隅国をさらに奥へと押し込んでいく。唯一の武器である額縁を手離せない隅国は為されるがままだった。

「隅国!」

 続けて首筋にフォークを刺し込む。痛みに呻くが男は止まらない。

 驚異的な腕力で額縁ごと隅国を持ち上げ、数メートル先まで放り投げた。


 戦況が変わる。

 男の捨て身の行動によって、隅国という盾を失った荷田はひとり立ち尽くす。

 隅国が走って戻るまで数秒であったが、その数秒で男は目の前の少女を縊り殺すことが可能だった。

 盗賊の男は少女の命を奪おうと足を踏み出す。

 あまりにも違い過ぎる歩幅から荷田が逃げることは叶わなかった。

 節くれだった手が少女の二の腕を掴み、もう片方で首を狙う。


 逃げ場を完全に失った少女は、だが落ち着いていた。

 首筋に手が触れると同時に、荷田は自分と男の間に手を持ち上げた。

 手の形は指を鳴らす前の形。

「『灯せ』」

 指を鳴らす。

 ジュっという音とともに指先に火が灯った。

 その炎を目にした男の頭に、盗賊の首領が使う火の魔法がフラッシュバックした。

 たった一瞬、首を締めようとする男の手が止まる。

 一瞬で十分だった。

 駆け付けた隅国が男の後頭部を額縁でフルスイングした。

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