第12話:額縁
大見得を切ったものの、隅国は不安だった。
これでも食い下がらずにメイド長が付いてくるというのなら、もうどうしようもない。
だが、今の彼女は我儘な令嬢クイーナだった。
「……わかりました。お嬢様が一度言い出したら梃子でも動かないことはよく存じ上げております」
そう言って、屋敷のまだ捜索していない箇所について仔細に伝え始めた。
短い時間で漏らさずに状況を伝え終えると、老婦はエプロンの端を握り締める。
「お嬢様の部屋がある東側から中央にかけてはほとんど探しましたが、西側はほとんど手つかずの状態です。恐らくトリーが最後に仕事をしていたのも西側の部屋です」
そう言って俯く老婦の顔には遺憾の念が浮かんでいた。
メイド長は深く息を吐くと、懐から小さな巾着袋を取り出す。
「これを」
隅国の手を握るようにして袋を手渡した。
「薬煙草です。万が一の時、……あるとは思いませんが、もし何かあったらお使い下さい。痛み止めの薬効があります」
紐を解くと、中には焦げ茶色の細い筒が数本入っていた。
袋から独特な甘い香りが漂う。
「火は……お嬢様には必要ありませんでしたね」
懐からマッチの入った箱を取り出そうとしてやめる。メイド長は令嬢が如何に優れた火の魔法を使うのか知っていた。
クイーナであれば実に自然に、呼吸をするかのように煙草に火を灯してみせるだろう。
「え、ええ。もちろん……」
声が震えていたことは、気付かれなかった。
「では、お嬢様」
老婦は姿勢を正して向き直る。
両手を前に置き、深々とお辞儀をした。
「お早いお帰りを。心よりお待ちしております」
そう言うと翻し、メイド長は荷田の首元を掴んで裏口へ向かう。当然、少女は引き摺られる形になった。
「ま、待ってください」
物のように扱われたメイド少女は、抗議の声をあげる。
「私はお嬢様と一緒に行きます……」
あくまで落ち着いた様子で。しかし荷田がいつもより明らかに動揺していることが、隅国にも見てとれた。
無表情の鉄仮面の下から焦りが漏れている。
メイド長は少女の言葉を無視して黙々と裏口の扉を開いた。
「め、メイド長……?」
話しかけられても頑なに無言を貫く。
「このバbっ」
荷田は言いかけて口を噤む。
少女の口から下品な言葉を発せられるべきでは無い、と思ったからではなかった。ただ冷静さを取り戻したからだった。
荷田には無理矢理にでもこの手を振り払い、隅国について行く方法がいくつか思いついていた。しかし行動の結果、テトラを案じてメイド長がついて来るような事態になったら本末転倒である。
静かに溜息をつき、為されるがまま体の力を抜いた。
諦めた荷田はメイド長に連れられていく。
どこかで見た光景だと隅国は思った。
違うのは、今回は連れて行かれる方が安全で、この場に残る隅国の方が面倒ごとが課されているという点である。
「っ〜〜〜!!」
自信満々でトリーを助けに行くことを宣言した以上、今更一緒に逃げ出したいとも言えなかった。
離れていくメイド二人に向かって声にならない悲鳴をあげることしかできない。
裏口の扉を出ていく瞬間、荷田と視線が重なった。
呆れた様子の少女は半目で口をぱくぱくと動かした。
『ス・ム・オ・ド・ル』
隅国が読み取った口の形はそれだった。
頭に浮かぶ疑問符。
訳もわからないまま、裏口の扉は閉ざされた。
「済む、踊る」
最後に受け取ったメッセージを反芻しながら、隅国は薄暗い屋敷の中を歩く。
メイド長と別れてから既に数分が経過していた。捜索を終えた部屋は片手で数えられる数を超えていた。
「……全部済んだら一緒に踊ろう?」
微笑みながらダンスを提案してくる荷田を想像し、頭を振って即座に打ち消す。
あまりの不気味さに眩暈がした。
「と、取り敢えず気にしないでおこうかな……。そんなことより早くトリーを見つけないといけないし」
少し前に爆撃が止んでから、庭の方角からは小さく剣戟の音が聞こえていた。ときどき上がる雄叫びはまるで獣の様でとてもそちらの方向には近づきたくなかった。
恐らくこれがメイド長の話していた兵士と盗賊の戦闘なのだろう。
自分の位置がばれないようにとランプを置いてきたのは正解だった。
再度、今起こっていることを頭の中で整理する。
フェーズ1、悪役令嬢クイーナ・ギリジアの財力の喪失。
『薄氷のロンド』をプレイしていたとはいえ、隅国は主人公アイリスの視点からの情報しか持っていない。
故にいずれのフェーズの内容も、起こる『結果』しか記憶していない。
ゲーム内のシステムだと、アイリスは後日クイーナに起こった出来事の結果だけを新聞で知るだけだった。
『何者かに襲撃されギリジア家邸宅全壊』。
これが新聞の見出し。
『しかし、襲撃者はクイーナにより全滅。襲撃者の身元は焼失』。
これが副題。
わかることは、襲撃があったことと、クイーナが魔法により襲撃者を撃退し、判別不能なほどの灰燼に帰したことだった。
「魔法が使えれば……」
何度考えたかわからない『もしも』を口にする。
魔法が使えれば、『薄ロン』のシナリオ通り、敵を返り討ちすることができたのに、と。
ガタ、と扉が軋む音がした。
隅国は驚き、音の反対側に飛び退く。
数秒ほど縮こまって扉の反応を窺ったが、変化はない。
「家鳴りですかね……」
立ち上がってトリーの捜索に戻ろうとする。
今回は勘違いだったが、これがもし盗賊だったらと身震いした。
「……武器、武器を」
屋敷通路の右端左端をふらふらと歩き、壁に掛けられた絵画の額縁が武器にならないかと思案する。
長い回廊にある絵画の中から片手で扱える大きさの額縁を掴んだところで、隅国は『薄ロン』世界の知識をひとつ、思い出した。
「そう言えば、ゲーム内に『
『薄ロン』にはMPと呼ばれるステータスが存在し、MPを消費することで魔法を使うことができるという仕様になっていた。ゲーム内で魔法を使うことで、目的のシナリオへの分岐を容易にしたり、特殊イベントを発生させたりすることが可能である。
しかし、一定時間あたりに使えるMPには限界があり、どうしても魔法を使用したい場合の措置として、MPを全回復させるアイテムが存在していた。
「魔法が使えれば武器なんかいらないのになぁ」
紐だけで支えられていた額縁を壁から簡単に外す。金属で出来ているせいか、見た目よりも重量があった。
「なんだっけ……。確か『フェアリ――」
ガラスの割れる音。
込み上げかけた記憶も諸共に飛散する。
「……」
悲鳴を上げそうになるも、咄嗟に口を覆って回避する。
音の方向は、既に捜索し終えたはずの部屋。少なくともこの部屋の中にいるのが探し人であるトリーでないことだけはわかっていた。
ぱきり、と破片を踏みしめる音が、部屋の奥から扉の前へ近づいてくる。
隅国は額縁を握り締め、臨戦態勢を取る。
両手で額縁の左右端を持ち、右肩の辺りで絵を見せつけるように構えた。
生まれてこの方、戦闘経験などない彼女の思い付きで取ったポーズは臨戦態勢とはほど遠く、武器として構える額縁も相まって、他者から見ればふざけているようにしか見えなかった。
「な、なんだお前……」
扉を開けた男は最初に疑問を口にした。
三十代ほどの男は使い古された鉄の鎧に身を包み、片手に麻袋を持っていた。手入れのされていない頭髪と汚れた服は、当然ギリジアの兵士のものではない。
男ははっとして我に返ると、麻袋を床に落として、即座に腰に差した刀剣を引き抜いた。
「そうか、お前! ギリジアの令嬢だな!」
鋭い刃先を隅国に向ける。
一方の隅国は恐怖のあまり硬直していた。
変わらず、絵を自慢するようなポーズ。
動こうにも、自分の些細な行動が相手を刺激し、凶行へと導きそうなイメージが脳内を満たし、震えることしかできない。
噛み合わない奥歯が音を鳴らす。
「……違います」
情けなく、小さな声で自身の肩書きを否定する。
美しく輝く赤髪と緋色の瞳。豪奢な装飾のついた服装は明らかに御令嬢のものだったが。
男も噂に聞いていた高飛車な令嬢のイメージとかけ離れた目の前の女に困惑していた。
『もし令嬢を見つけて生きて持ち帰ってきたならば、そいつには褒賞金をやろう』
突入の前、ボスが告げた言葉。
まあ、もうどうでも良い。
こいつが令嬢でなかったとしても、悪くない。
高く売れそうな見た目をしているし、着てる服も随分上等だ。
何回か愉しんだ後、全部売ってしまおう。
そう決心すると、男は顔を口元を歪めた。
「ひっ!」
女の悲鳴は、男をさらに昂らせる。
剣を向けたまま、ゆっくりと距離を詰めていく。
隅国は額縁の端を握る右手の形をゆっくりと変えた。
人差し指、中指、親指の三本は話して、手のひらのみで支える。
これで指を鳴らす仕草ができる。
「……こういう時、主人公は覚醒するんですよ」
相手には聞こえない様、口の中だけで呟いた。
「『灯せ』」
パチンと小気味良い音が鳴り響いたが、それだけだった。当然炎は出現しない。
男は隅国の行動に対して訝しむような様子をするも歩みは止めない。
一度だけではなくぱちぱちと何度も指を鳴らすが、状況は変わらなかった。
刃先が隅国の胸に触れるほどの距離。
男が不気味な笑顔のまま剣を握っていない左手で隅国の身体に触れようとする。
その顔は油断しきっている様子で、隅国の呪文を唱える声が耳に届いていても、さほど気にしていない様子だった。
「ともも灯せともとも――」
ようやく。その時になってようやく、彼女は魔法を諦めた。
「――灯ってくださいよぉ!」
隅国は破れ被れに構えた額縁を振り下ろす。
額縁と剣がぶつかり合い、火花が散った。
衝撃と音は大きく、金属音が屋敷中に響き渡った。
「っ!?」
男は予想外の反撃に握っていた剣を取り落とす。
無防備な姿は追撃を加える無二の機会だったが、隅国も破れかぶれの攻撃がこれほどまでの結果につながるとは思ってもおらず、振り抜いたまま固まる。
盗賊はそれを見逃さず、瞬時に落とした剣を拾い上げて隅国と距離を取った。
顔には先ほどの笑みは無い。油断は消え失せ、目の前の女をモノではなく敵として認識していた。
「……なあ、これは何かの間違いだよなぁ?」
刀剣を構え直した男には一分の隙も無い。あったとしても、戦闘経験の無い隅国が見出せるほどの隙ではなかった。
「箱入り娘とは言え、お前も大人だろう? 目上の相手には従った方が痛い目見なくて済むってわかるよな?」
だが、隅国も心を決めていた。
「……忘れていたんですけど、そういえば今日の私は最強だったんですよ。ちょっと貴方は何言ってるかわからないと思いますが、作中最強、天下無敵の悪役令嬢だったんです」
額縁を身体の前面に持ち、防御の姿勢を取る。この四角い額縁であれば、上下左右どの角度からの攻撃でもいなすことができると考えての行動だった。
「前、下、右下、プラスパンチコマンドで倒してあげますよ。恐れ慄いてください、私の下段技はナーフ級ですよ、格ゲーやったことないですけど」
「訳わかんねえ女だな、気でも狂ったか? ひとりで何ができる。もしかして、俺から剣を叩き落したからって思い上がってるのか? もしかしたら御令嬢様でもこの男くらいなら倒せると?」
男は剣を深く構え、重心を落とした。
「なァ!!」
まるで獣の咆哮かと間違えるような叫びが空気を揺らす。
気圧された隅国がバランスを崩すと、それを見逃さず男が踏み込んだ。
再び火花が散る。
隅国は何とか一撃を防いだものの、反動で後ずさる。
反撃のできない相手に対して、畳みかけるようにして男は剣を打ち付けた。
剣の雨に額縁は徐々に削れていく。
防ぎきれなくなるのも時間の問題、のはずだった。
圧倒的に優位な状況とは反対に、男は焦る。
男は剣の実力ならば粒ぞろいの盗賊一派でも五指に入ると自負していた。それどころか、剣の実力のみであったらボスにさえ打ち勝てるだろうと確信していた。
盗賊内でもその実力を認められているがゆえに、今回も単独行動を許されているほどだ。
それなのに、どれだけ全力を剣に乗せて振り下ろしても。
一切、女の身体に刃が届かない。
こんなことは初めてだった。
戦士でもない女ひとりに対して、触れることすらできない。
足元から這いよるような焦りが男の精神を蝕んでいく。
「があああ!!!」
雄叫びとともに猛攻はさらに勢いを増す。
激しい剣戟の中で、男よりさらに驚愕していたのは隅国だった。
向かい来る剣に対して防御の術を考えている訳ではない。
ただ無心で反射して動き、最適な場所に腕を置く。
受けた反動は反射で両足をクッションにして地面に逃がす。
フェイクも反応してしまったとしても、問題は無かった。誘導された場所に防御のための額縁を持っていき、守るものがなかったとしても、フェイクの後に繰り出される死角からの一撃も反射で回避することができた。
反射神経。
ただクイーナという究極的な肉体スペックに身を任せるだけで、この状況に対処していた。
「ぅあはは!! やっぱりクイーナは最強じゃないですか!!」
だがやはり中身は腐っていた。
「タツマキセンプウキャク!」
調子づいた隅国は反撃に出ようとして助走をつけて額縁を振り回す。
大振りは奇跡的に男の剣を弾き、向かい合った二人の間に障害物は消える。
好機。
その瞬間、隅国は振り回した金属製の額縁のせいでバランスを崩していた。とは言え、刹那の間に驚異的なバランス感覚で立ち直る。
男は逆に、弾かれた剣を手放すことで、バランスが崩れることを防いでいた。
立ち直ったところを狙って、女の腹部に靴の裏で蹴飛ばす。
「ぅぐ!」
口から涎を飛ばしながら、呻き声とともに廊下を転がる。
二転三転してようやく止まり、四つん這いになって起き上がろうとしたところを男が再び蹴り上げる。
動きだけを切り取るならばサッカーのように、男のつま先が隅国の鳩尾を抉った。
「……げほ!!」
あまりの痛みに目を見開く。
この世界に来る前にはほとんど経験したことのないほどの激痛だった。
一転して窮地。
「かはっ! ぅ……ぉぐぅ……」
隅国が動けず鈍痛に耐えるように丸くなる。
朦朧とする意識の中でも男の足音が聞こえ、追撃に備えて身を固くした。
かしゃんと音がして、視線だけ動かすと男が弾かれて床に落ちた剣を拾い上げていた。
「やば……」
「御令嬢様は躾がなってないみたいだからな」
男は額に汗を浮かべながら隅国を睨む。
「もう少し痛い目を見て、大人しくなってもらわなきゃなぁ」
「ご、ごめ……」
令嬢が患部を押さえながらふらふらと立ち上がる。
赤髪は乱れ、顔は涎と涙でべとべと。
両足に力を込めて直立しているのがやっとだった。
少しでも気を緩めれば、糸が切れた人形のように床に倒れこんでしまうだろうと隅国は感じていた。
「ごめんなさい、クイーナ・ギリジアさん。……あなただったら、こんな小物、こんなカス、なんてことはないんでしょうけど。ぅぅぐ……私だった、ばっかりに、こんな様……」
息も絶え絶えで呟く。
「……ああ、シナリオは分岐して極貧奴隷ルートですかね……。そんなルート、あるのか分かりませんけど。……すっごく私っぽい」
隅国は目を瞑る。
諦めて身体から力を抜き、意識も手放そうとした時。
令嬢は背後から、カツンという足音を聞いた。
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