第11話:轟音
最強の悪役令嬢の名は伊達ではなかった。
熱風と崩壊した壁の破片をその身に浴びるように受けながら、隅国はけろりとした顔で起き上がる。
「たんこぶができましたぁ……」
ぶつけた頭をさすりながらおもむろに立ち上がると、間の抜けた声をあげる。
「あ、荷田さんは無事ですか?」
「……」
メイド少女は驚きと侮蔑が奇妙に混ざり合った顔をしながら、そんな主人の姿を見ていた。既に次弾に備えて簡易的なバリケードとして机を倒し、陰に小さく身を隠している。さっきまで口に咥えていた飴は消えていた。
「なんで生きてるんだ?」
「え?」
隅国は長い赤髪を掻き上げながら顔を上げ、自分が先ほどまで立っていた窓際を見る。
謎の爆撃によって煉瓦で組み上げられていた壁は吹き飛び、無事に残った部分も黒く炭化していた。窓に掛かっていたカーテンや床の絨毯にも飛び火したようで、煙と火炎が部屋を埋め尽くさんと広がり始めている。
「な、なんで生きてるんでしょうね……」
徐々に痛みの引き始めた頭部を抑えたまま呟く。
場が緩みかけたとき、再び轟音が鳴り響く。
爆撃は一度きりでは無かった。次に攻撃を受けたのは隣室。
幸いなことに充満する黒煙と火は二人の姿を隠し、追撃の標的にはならなかった。
「おい、隅国。この世界には銃火器があるのか?」
荷田はベッドの影に身を移し、扉前の隅国を引き寄せる。
小さい手に引っ張られた隅国はバランスを崩すようにしゃがみ込んだ。
「私の知る限りでは、ありません。恐らくこの攻撃は『魔法』によるものですよ」
これが魔法。
荷田はひとりごちて、考えを改める。
一括りに魔法と言っても、様々な効果があるのだろうか。今朝メイド長の魔法を見たときは、これほどまでに危険性のあるものだと感じられなかった。
荷田は舌打ちをすると、頭をさすっている隅国の反対側の手を引き、寝室の出口に向かう。
「……ひとまず一階に逃げるぞ」
状況が違えば、妙齢の女性とその手を引くメイド少女の姿は仲の良い姉妹か親子の様で、傍からは微笑ましく感じられただろう。
だが、現状は生易しい状況では無かった。
一階に向かう間も継続して降り注ぐ爆撃のようなものは、容赦なく屋敷を破壊していく。
もう二階は無くなってしまい一階建て様式になったのでは、と隅国が思ったときに丁度、続いていた轟音は止んだ。
長い階段を駆け下り終えた二人が、一階にたどり着いた時だった。
「音、止みましたね」
「……」
辺りをきょろきょろと見回す隅国と反対に、荷田は小さい身体を屈めてさらに小さくし、状況を掴もうと耳を澄ませている。
「――っ!」
いち早く異音を嗅ぎ取った荷田が階段の陰へと、隅国を押し込もうとする。
だが当然、その体格差からびくとも動かない。
必死の行動虚しく二人は異音の正体と遭遇した。
「お嬢様!」
こんな時でも、しゃんと伸びた背すじは変わらない。
メイド長は汗だくになりながら、二人に駆け寄る。
あれ程似合っていたクラシカルなロングスカートは煤まみれになり、ところどころ焦げて穴が開いていた。
一階は攻撃の被害が少ないことを見ると、この老婦は令嬢のために、燃え落ちている二階までも探し回っていたようだった。
「ご、ご無事で良かった! さあ! さあ、こちらです。兵士が逃げ道を作っておいてくれています。テトラ! 貴方も一緒に来なさい!」
気迫に押され、為されるがまま先導するメイド長についていく。
向かう先は厨房にある裏口だった。
「二階から外を見た時、武装した人々がいました。あれは何者ですか?」
荷田はテトラという自身のキャラクター性を忘れて、メイド長へ問いを投げる。
しかし混乱と焦りのためか、メイド長も普段と異なるテトラの饒舌に違和感を持つことはなかった。
声を押し殺しながら答える。
「……盗賊だと聞いているわ。近隣諸国の戦士にしては出立ちが貧相だし、数も少ないから。大方、たまたま近くに来た流れ者の集団だろうと兵士たちは言っていたわね」
「盗賊の数と、こちらの兵力は?」
「盗賊は屋敷の南側の庭に五十人。北側から挟み込むように騎兵が二十ほど。それに対してこちらは警備の兵が四十となっています。ほとんど警備兵は北の裏口に脱出路を開くために戦っていて――って、テトラ、そんなこと、貴方には関係ないでしょう」
流れるように荷田の問いに応えていたメイド長だったが、ふと冷静になり言葉を止める。命がけで探していた令嬢が見つかったことによる安堵から、徐々に落ち着きを取り戻していた。
「続けて下さい」
だんまりだった隅国が唐突に口を開き、先を促す。
関係の無い話。
確かにまだ十歳にも満たないいちメイドには関係のない内容であったが、この屋敷の令嬢であるクイーナであれば別である。現当主である父マルド・ギリジアが不在な今、この屋敷のトップは彼女ということになる。
使用人含め、これからのアクションを考えなくてはいけない。
とは言え、正直なところ戦況を聞いても、隅国には何ひとつわからなかった。
しかし、荷田がここで質問をしたということは、それは本当に必要な情報なのであろう。だとすれば、今唯一できることは荷田のサポート。自分は最強の令嬢であるけれど、それは中身が伴えばの話で、何もできない自分は荷田に頼るしかないと割り切っていた。
令嬢に命じられ、メイド長は歩みを止めずに再び話し始めた。
「個の力で言えば、訓練を積んだこちらの兵の方が圧倒的に上です。ですが、数は倍の差があります。それに、屋敷には使用人がたくさんいますから、守りながら戦うとなるとかなり不利な状況でしょう」
メイド少女は黙り考え込む。
隅国は少女が、荷田という人間が、この状況下でどういった行動に出るのか予想がつかなかった。何を最優先に考え、何を諦め見限るのか。
少なくとも後者の対象が自分でないことを祈っていた。
三人が思い思いの考えを巡らせながら歩いているうちに、厨房まで辿り着く。
夕食の直後だったこともあり、室内には良い香りが残っていた。洗いかけの皿や銀食器等もそのままの状態で放置されている。
隅国が暗闇の中で目を凝らすと、爆撃による揺れのせいか床には割れた白磁の破片が散らばっていることに気が付いた。
メイド長は奥へと進み戸棚を開けると、そこから手持ちのランプを取り出す。懐からマッチ箱を取り出すと、擦って火を点けた。シュっという音とともに火薬のにおいが漂う。
マッチ棒の炎が消えぬうちに、慣れた手つきでランプを灯した。
「では、お嬢様、これを。出て少し行くと馬車と護衛の兵士が待っています。足元にお気をつけて、お逃げください」
静かにランプを隅国の前に置く。
「ま、待ってください。メイド長は?」
我儘な令嬢がまさか自分のことを心配するとは思っていなかったようで、メイド長はきょとんとした顔になる。
だが一瞬のうちに、いつもの隙のない表情に変わった。
「まだ、トリーが屋敷のどこかにいるのです」
トリー。朝食の時に給仕していた若いメイドのことだと隅国は思い出した。
「……え?」
隅国は目の前の老婦を見る。
姿勢が良いとはいえ、背の高さではクイーナの方が大きく勝っているため、老婦が見上げ、隅国が見下ろす形になる。
「一階の部屋をまだいくつか探しておりません。そこを見てからでなければ、私は行けません」
火炎はゆっくりとではあるが確実に屋敷全体を浸食し始めていた。そこかしこで黒煙が上がり、闇夜で悪い視界をさらに悪化させる。
「そ、それは兵士に任せれば……」
「そうはいきません、お嬢様。ただでさえ少ない兵です。お嬢様の捜索のためならまだしも、使用人の救助などのために一人でも出すことはできません」
煙を吸い込んでしまったせいか、メイド長の声は掠れていた。
深い皺の刻まれた顔までも煤に塗れて、全身傷だらけになりながらも。
それでも、見上げる瞳から感じる力強さは微塵も変わらない。
「……」
隅国は迷っていた。
一階のみと言っても、屋敷は広大で部屋は無数にある。
この危機的状況下で探すと言ったら、確実に探し終える前に絶命するだろう。
死にに行かせるようなものだ。
即刻止めさせ、引き摺ってでもメイド長を連れていくべきかもしれない。
でも、ここで彼女を止めたらトリーは死んでしまうのかもしれない。
トリーがひとりでいて、誰かの助けを必要としている可能性もある。
ここで引き止めることは、トリーを見捨てるということかもしれない。
気付く。
また迷っている、と隅国は自分を諫めた。
間に合わなくなるぞと自分を責め立て焦らせる。
早く! 早く! どちらか、選ばなければいけない!
嫌な思い出がフラッシュバックしそうになる。
「ぅあ、いえ……」
隅国は向けられた老婦の瞳に耐えられず、後ずさりながら目を逸らそうとした。
「クイーナお嬢様が行きます」
令嬢が発した声では無かった。
老婦でも無い。
それよりもずっと高く小さな声。
「メイド長の代わりにお嬢様がトリーを探し、共に連れて帰ります」
「な……い、い、いけません! そそそんなこと! テトラ、何を言っているのです!! お嬢様の身に何かあったらどうするの!!」
しおらしくしていた態度から一変し、顔を赤く染めて激しく異議を示す。
「……」
メイド長の厳しい反論に対して、少女は何も言わない。
少女は首を横に回して、隣に立つ赤髪の令嬢を見上げる。
見上げているというのに、少女の不遜な態度はまるで見下しているかのようだった。
さあどうするんだ、と眼だけが訴えていた。
隅国の前に、もう一つの手段が提示された。
ハイリスクハイリターンで最も不確定な選択肢。
荷田の真意は見えない。
私を危機的状況に陥れて、面白がろうとしているのだろうか。
この提案は今朝メイド長に引き摺られていく荷田を見捨てたことへの復讐だろうか。
隅国は思う。
だとしても。
「問題ありません。私が行きます」
装飾もせずにただ心から滑り落ちた言葉だった。
この選択が、最も自分の欲求に近いものだと感じていた。
「お、お嬢さ――」
「メイド長。私が決めたのです」
戸惑いの顔を見せるメイド長の顔をじっと睨みつけた。
台詞を思い出す。
ゲームの中で幾度となく耳にした不快で驕慢な言葉の数々。
「……『それとも、この私を疑っているの?』」
「『まったく舐められたものね』」
「『私が。このギリジア家次期当主クイーナ・ギリジアが』」
「たかだか数十程度の盗賊が闊歩する屋敷内から、使用人ひとり満足に助けられないとでも?」
眉間に皺を寄せ、心から相手のことを不愉快に思っているかのように。
顎を持ち上げ存分に見下して。
その上、傲慢に。
「使用人、貴方はただ待っていればいいのです。私が戻るのを」
その姿はまるで悪役令嬢だった。
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