第10話:フェーズⅠ

 昼食の後、隅国は夕方までぼんやりと過ごした。

 特にすることが無かった。

 という訳では無く、荷田の依頼含め、考えるべきことは山積みではあったが集中しようとすると、父親であるマルドの顔が思い起こされ、それどころでは無くなってしまっていた。

 

 故に、隅国は目の前の問題はできるだけ棚上げにし、ギリジア家の敷地内を散策することにした。

 本来ならばひとりきりで気ままに探検したかったところだが、屋敷の令嬢ともなるとそういうわけにはいかない。警備の兵士がどうしても付いてくると聞かず、その男と二人で散歩をすることになった。

 年齢は三十代ほどで口元には整えられた髭。警備隊長を任されているようで、輝く鎧に包まれた体はがっしりと鍛え上げられていた。

 好かれてはいない様子で、話しかけてもロボットのようなイエスとノーの応答しかしない。道を逸れて敷地のはずれの方に行こうとすると隅国を睨んで、終始迷惑そうにしていた。

 

 それでも、兵士が付いてきてくれて幸運だった。

 ギリジア家が管理する敷地の広さは相当なもので、軽い気持ちで敷地と林の境界部分を歩き出した隅国は後悔していた。四角形に類似した敷地の一辺を歩き切るだけでも十数分が経過する。

 林の中に入り込み過ぎてうっかり迷うところだった隅国は、兵士の道案内で九死に一生を得た。怖くなった彼女は早々に境界部分を切り上げ、比較的敷地中心部へと方向転換する。


 敷地内の北側には屋敷が立ち、南側には庭園があった。

 屋敷は東西に伸びており、内装からは長い歴史を感じさせるが非常によく手入れが行き届いている。質の良い調度品が置かれた客間や、無数の本で棚が埋め尽くされた書斎、清潔な厨房に、住み込み使用人の質素な部屋。隅国は観光気分でそれらを眺めていた。

 南に位置する庭園も驚愕の広さだった。庭園の先には馬車が通れるように整備された道があり、森の奥へとつながっていた。庭園内には馬小屋もあり、頑強な騎乗馬が数頭繋がれていた。

 主人公アイリスとしてこの世界に触れてきた隅国にとって、ゲーム内でも知るはずのない目新しい要素ばかりだった。

 だが、その体験が霞むほどに際立ったものがあった。

 父マルドが見せたギリジア家の火の魔法。

 アイリスとは真逆の、全てを燃やし尽くす暴の力。


 好奇心を満たす為に選んだのは裏庭だった。

 人の少ない静かな場所をお供の兵士に聞いた結果、返ってきた答えがここ。

 広い敷地を管理するには、膨大な人員が必要不可欠である。当主であるマルドが不在にしているからといって、杜撰な管理をするわけにはいけない。普段と変わらず多数の使用人が屋敷中を歩き回り、雑務をこなしていた。

 マルド不在の影響は他にもある。

 警備には念を入れるようにとの当主の命令により、屋敷の表にはかなりの数の兵士が巡回していた。警戒体制の中を勝手気ままに歩き回る令嬢のことを快く思っていない者は多いようで、すれ違う度に睨まれ、陰口を叩かれたことは隅国の記憶にも新しい。

 屋敷内。表の庭。その両者が却下されて残ったのが裏庭だった。

 裏庭は食料などの物資の搬入や薪割りのために、南側の林を切り開いた空間である。当日の搬入や薪割り作業が終わってしまえば、用のないこの場所に訪れる人間は極めて少ない。

 薪割りも終わった夕方ともなれば、用向きのあるさらに人は少ないはず、というのが兵士の言だった。


「……あれ?」

 意気揚々と訪れた裏庭には先客がいた。

 幌馬車ほろばしゃと三人の人影。うち二人には見覚えがあった。

「トリーと……荷田さ、じゃなくテトラ」

 メイド服を着た使用人二人。茶髪と黒髪。大と小。見た目の大きく違う彼女たちだったが、後ろ姿はとても仲良さげに見えた。

 もう一人はよれたシャツに革のようなベストを着た男性。二十歳に届くかどうかで、トリーと同じくらいの年齢。

 令嬢の姿に気が付くと、三人は恭しく挨拶をする。

「お嬢様、こんなところに何用でしょうか?」 

 最初にトリーが口を開いた。こんなところに令嬢がいることがよほど予想外だったのか、彼女の立ち振る舞いは緊張しているようだった。

「……少し運動を。こんな時間に貴方たちは何を?」

「え、ええと……」

 質問を返す令嬢に、トリーは狼狽える。

「搬入された積荷の確認です、お嬢様」

 答えられないでいるトリーに横から救い舟を出したのは小さい方の使用人だった。

 眼鏡の奥から粘度の高い視線が令嬢へと注がれる。

「もしお邪魔でしたら別の場所に移ります」

 テトラ、もとい荷田は淀みなく言う。

「い、いえ。そういう訳で訊いたのではないの。どうぞ、続けて」

 たった半日会わない間に、荷田は随分馴染んでいる。隅国はそう感じた。

 兄貴肌とでも言うのだろうか、慌てふためくトリーのことをサポートしながら、うまく立ち回っている。肉体は少女だというのに。

「申し訳ありません! もうしばらくしたら確認も完了しますので……」

 若い男が木箱の蓋を開けて、中身の状態を紙に記載していく。

 馬車いっぱいに詰まった木箱の中身のほとんどは林檎のようだった。


 部屋で時間をつぶした後、積荷の確認作業が終わったことがわかると、再び裏庭に赴いた。今回は他の使用人にも裏庭には来ないように既に屋敷内に知らせてある。

 人払いをした万全の状態で一人、裏庭に立つ。

 何があってもいいように、と足元にはバケツになみなみと消火用の水が汲まれていた。

 『薄氷のロンド』作中における最強と呼ばれるクイーナ・ギリジア。

 朝、マルドが言っていた「屋敷を丸ごと焼き尽くす」のが可能であるということが、全く誇張でないことを、彼女はゲームの内容から知っていた。

 火の魔法で王宮の庭園を燃やし、美しい花々を炭と化したことも。炎は燃え広がってゆき、やり過ぎてアイリスや王子を殺しかけたことも。

 そして魔法を使わずとも徒手で王国騎士団員十人をたったひとりで打ち倒したことも。

 過去の自分には無かった、今のこの身体に宿っている途方もないエネルギーを隅国は感じていた。


「『灯せ』」

 言葉とともに親指と中指に力を込めて指を鳴らす。

 しかし、期待されていた事象は起こらない。

 発音や仕草を変えて幾度となく試しても、結果は変わらなかった。

 発動に不足していたものは魔術的な様式でも体力でもなく、ただひとえに使用者の素質だった。


 隅国は思い返す。

 ゲーム内での魔法の扱い。

 血筋や魔力量など関係なく、誰でも使えるもののはずのもの。

 属性こそ生まれで決定するものの、基本的に手順を満たせば、国王陛下でも、ましてや教育を受けていないような町民ですら使える。

 しかし、それなのに、『薄ロン』の世界では魔法が使えるものは一握りだった。


「……うーん」

 手順は間違っていない。

 『呪文を詠唱』し、対応する『手の形』を作る。

 火の魔法であるならばそれは、「灯せ」という言葉であるし、指を鳴らす仕草だった。

 実際にマルドはそれだけの動作で、目の前にあった蝋燭に火を点けた見せた。


 足りないとすれば、後は『精神力』だった。 

 魔法という空想を現実に発現させる。そのために必要な精神力。 

 魔法使用者が疑いようもなく「自分が魔法を使える」と信じ、魔法が発現する寸前には既に「魔法が発現した結果」が見えていなければならない。

 ゆえに魔法を使おうとするものは、長い年月をかけて瞑想のような修行をする。

 通常であれば修行を始めて使えるまでに十年。

 才能がある人間でも数年は要する。

 精神力を鍛えるという無駄にも思える修行の前に、大抵の人間は挫折し、死ぬまで魔法が使える精神力には至らない。


 最強の令嬢クイーナ・ギリジアはたった半年で魔法技術を完全に習得したが、それは例外中の例外だった。

 当然、隅国イチリという凡庸な精神力では、クイーナには及ぶはずもなかった。

 器だけが究極に完成されている一方で、中身が完全に腐り切っている状態。

 それが隅国が乗り移った後の悪役令嬢クイーナ・ギリジアだった。

「……まずいかも」



**********



 夕食の後、隅国は何かと理由をつけて使用人テトラを呼び出した。

 屋敷の主人の娘であるクイーナの要望であれば、他の使用人から多少変な目をされたものの、問題なく二人きりになることが可能だった。

 今朝と同じよう寝室に集まると、お互いの顔にはまるで数年が経過したかのよう疲労が現れている。

「で?」

 ぼさぼさになった髪と、所々布地がほつれているメイド服を着た少女が、機嫌の悪さを隠さずに高い声を発する。

「俺が叱責されながら身を粉にして働いている間、御令嬢様は何をしてたんだ?」


 一日中メイド長や他のメイドと仕事をし続け、ようやく他者の目から解放された荷田は、クイーナのものである椅子にどっしりと腰をかけて隅国を睨む。

「私だって大変だったんですよ……」

 荷田のように見た目にこそはっきりと反映されてはいないが、父親マルド・ギリジアとの緊張に満ちた会食に次ぎ、慣れない令嬢としての使用人への対応、結局使えなかった魔法の練習と、隅国も同様に大きな気疲れを起こしていた。


「優雅に食事をして、何もせずにぶらぶらと屋敷中を散歩していたことの、どこが大変なんだ?」

「棘のある言い方ですね……」

「そう聞こえたなら、その通りだ」

「わ、私だってほら、色々情報集やらなんやら、今後のことを考えて戦略を練っていたんですよ!」

「お前が……戦略?」

「なんですか」

「……………………何でもない」

 簡単に今日あった出来事の顛末を共有し終えると、二人の会話は本題へと移る。


「で、戻る方法の当ては何か見つかったか?」

 手持ち無沙汰な荷田は煙草を吸おうと胸元に手を伸ばし、再び空を切る。たった一日程度では長年の癖は消えなかった。

「それがですね……実は何も……」

 もじもじと指を遊ばせながら、赤髪の令嬢は申し訳なさそうに答える。

 荷田は代わりに、とエプロンのポケットから、仕事の褒美として渡された棒キャンディを取り出す。包み紙を解くと小さな口に咥えた。

「……まあ、そうだろうな。あまり期待はしてなかった。お前にというわけではなく、戻れる方法があるということに関して、だ」


 予想よりも穏やかな対応を受け、隅国は胸を撫で下ろす。安心して後を続ける。

「ただ、現状についてはだいぶわかってきました」

 眼鏡の少女に向き直り、自信ありげに人差し指を立てて話し始めた。

「『薄ロン』で言うと、今はストーリー中盤といったところです。悪役令嬢クイーナ・ギリジアはアイリスと王太子との関係に嫉妬し、王宮庭園に放火。その結果として既に許嫁は解消されており、王宮からの追放と謹慎の罰を受けています」

「とんでもない女だな。続けろ」

「そう、めちゃくちゃな女なんです、私。……そしてこれから報いを受けるかのように、ころころと人生は転落していくことになるんですよ」


 隅国は身体を翻して荷田に背中を向け、窓の方へ近寄っていく

「この転落を簡単に、3つの段階に分けるとですね。まずフェーズ1は財力の喪失です。屋敷と家財一式を全て失います」

 窓を開け放ち、夜の暗闇に対して目を凝らす。

 何かを探すようにして、きょろきょろと首を左右に動かしていた。

「フェーズ2は権力の喪失。ギリジア家の現当主でありクイーナの父、マルド・ギリジアが死にます」

「……」

 荷田は特に表情を変えるわけでもなく、静かに隅国の話す『これから』を聴いている。

「最終フェーズ。フェーズ3はクイーナ・ギリジア自身の死です」


「……まあ、お前がどうなろうと、俺には関係ないことだな。勝手に転がってろ」

 飴を咥えたままもごもごと話す。

「そうだったら良かったんですけどね」

「あ?」

 予想していなかった切り返しに、荷田は語尾を上げて声を出す。

 相手の様子など気にせず、闇を見つめていた隅国は「あっ」と気付いたように目を見開き、窓を勢いよく閉めた。

 振り向いて、顔を荷田の方に向ける。

 説明を始めた時の自信に満ちた表情は剥がれ落ちて、教師に怒られる生徒のような緊張と不安の入り混じる面持ちだけが残っていた。

「……それが、ですね……、実はここからが少し困ったことになっているんですけど……」

 ここまで淀みなく話していた隅国は、突然言葉に詰まる。

「お互い、既に現状は困難を極めているだろ。俺はこんな姿になって、お前は死ぬ運命が決まっている。ここに一つや二つ問題が増えたところで、誤差だ」

「良かったぁ……。じゃあ、言いますね」

 深呼吸して、姿勢を正す。

 背筋を伸ばして目線を真っすぐに向ける彼女の真剣な様子から、なぜか荷田は今までにないような不安を感じた。

「フェーズ3、クイーナの死は約3ヶ月後に起こります」

「ふん、そんなものか」

 荷田は死のカウントダウンに対し、感じたことを率直に言い放った。

 1ヶ月後や1週間後、または明日。

 最悪の状況も想定していた分、幾分気持ちは楽になる。

「そして、ですね……」

 と、悪役令嬢は引き攣った笑みを浮かべて告げる。



「フェーズ1とフェーズ2は今から始まります」

 花火のような軽い炸裂音と共に、窓の外の闇が払われた。

 赤い光が窓から寝室に差し込む。


「は?」

 素っ頓狂な声。

 しかし、荷田のその声はもう一つの音に遮られ、誰にも聞こえなかった。

 同時。

 窓側の壁が風船のように弾け、爆風によって隅国は部屋の反対側まで吹き飛ぶ。

 悪役令嬢は無様に七転八倒しながら、寝室入口の扉にぶつかりようやく停止した。

 爆煙が晴れると、ついさっきまで隅国がいた壁の一面が無くなっていた。

 夜風が吹き抜け、覗いた黒々とした夜空に、星が輝く。

 目を奪われるような満点の星海であったが、より目を引くものがその下にはあった。

 

 松明と剣を手に持ち、聳え立つ屈強な戦士たち。

 数にして五十は超える。

 不気味に照らされた彼らの顔は、これから起きる略奪の期待に満ちていた。

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