第8話:薄氷のロンド
『薄氷のロンド』。
コンシューマ向け恋愛シミュレーションゲーム。
魔法の存在するファンタジーの世界観を土台に、主人公アイリスが王子やその騎士たちと王宮の中で恋愛模様を繰り広げていく物語。
このゲームの最も特筆すべき点は、どのルートを選んでも最終的に必ずバッドエンドに辿り着くという点であった。
時には竜の業火で、時には近隣諸国からの侵略で、時には内乱で。
主人公の一挙手一投足により数々の終わりを迎える。
『緊迫した情勢の上で描かれる刹那の恋情は、まるで紙のように薄い氷上で舞うロンド』のキャッチフレーズの元、一定数の支持者に受け、マイナーヒットを当てた作品である。
その中に登場する恋敵。
慈愛のアイリスと対極に位置する、冷酷無比で身勝手な赤髪の女。
「つまり私が最強にして完全無欠の悪役令嬢、クイーナ・ギリジアというわけです」
「待て。すっ飛ばすな。それに俺はお前の姿が何者かなんか聞いてない」
豪奢なベッドルーム。
無頼の悪役令嬢は椅子に座るメイドのためにとぷとぷと紅茶を注ぐ。
「だから説明したじゃないですか。きっと私たちはあの自動車の中で死んで、魂だけがこのゲームの世界に飛ばされてぇ、たまたま近くにいたキャラクターに憑依して転生したんですよぅ」
「そんな荒唐無稽な話を信じろと?」
「じゃあ〜、荷田さんのアイデアは何なんですかぁ?」
「……まずその甘ったるい喋り方をやめろ」
「あ、つい」
隅国の瞳が捉えているのは対面に座る華奢な少女であり、今までの覇気溢れるスーツの長身男性ではない。自然と口調も小さな子供に話しかけるようなものになっていた。
「でも、荷田さんは心当たりになりそうなこと、特にないんですよね?」
「お前が車内でぶちまけたヤクを吸ったせいで幻覚を見てるっていうのが一番現実的だが――」
荷田はカップを持っていない左手でぐーぱーと開閉を繰り返す。
「――あまりにも感覚がはっきりしてる。それに、もう10分はこうして話してるが、いつまで経っても覚醒する予兆すらない。……あまりに非科学的で口に出すのも癪だが、現状から鑑みるに、既に死んで別の人間に生まれ変わったという部分だけは、まあ、賛同しないこともない」
飲み干したカップを机の上に置き、分厚いレンズの奥から隅国を睨み付ける。
言外に「俺にお茶を注げ」と訴える素振りだった。
断れるわけもなく、赤髪の令嬢はそそくさとポットを持ち上げて紅茶を注ぐ。
「後半のゲームの世界やらキャラクターやらはどこから来たんだ」
「それはもちろん! この見た目ですよ!」
どん、と音が鳴るほど力強くポットを机に叩き置く。
自由になった両手を広げるとしなやかに回転をしながら、変わり果てたその全身を見せつける。
すらりとしながらも肉感のある恵まれた体躯。
光に照らされて輝く真紅の髪。
対比する陶磁器のように透き通る白い肌。
そして、見つめた相手を射抜くが如き鋭い赤眼。
全ての要素が隅国がゲームの中で見て、頭に思い描いていた『クイーナ・ギリジア』そのものだった。
「たまたま妄想と一致したからといって、ゲームの世界だと考えるのは尚早だ」
「頑なに認めませんね……」
「じゃあ、俺は誰なんだ」
今度は荷田が座ったまま短い腕を広げる。
「……誰なんでしょう?」
10歳ほどの年齢を思わせる未発達で凹凸の少ない身体。
真ん丸で黒いボブヘアに瓶底のような厚い丸眼鏡。
白黒ツートンカラーのクラシックメイド服。
「順当に考えればクイーナの使用人というところでしょうけど……。私はゲーム内で見たことありません。ただ、私の視点は基本的に主人公のアイリスだったので、アイリスに直接出会うキャラクター以外はイラストが表示されることが無いんですよね」
顎に手を当てて、様になるポーズで隅国は考え込む。
「……まあいい。何より、今考えるべきは元の世界への戻り方。または元の体への戻り方だ。実際それが可能かどうかも含めて調べなくてはいけない」
「それに、今がどのルートのどこらへんかっていうことも重要ですよね」
「ルート?」
少女が『またこの女は訳のわからないことを言い出した』と言わんばかりの顔で睨む。
「恋愛シミュレーションゲームなんですから、ストーリーがいくつも枝分かれするんですよ。始まりはいつも同じですけど、主人公の選んだ選択肢に応じて、あるキャラクターと仲良くなって結婚したり、逆に険悪な間柄になったりするんです。その枝の一つをルートと言ってですね、全部で数十個のルートが存在するんです。まあ『薄ロン』は最後ちょっと特殊で、どのルートも最終的にはいつも王国が滅びますけど」
隅国は今までにないくらい饒舌に、楽しそうに話す。
「そのルートの違いで俺たちに影響が出るのか?」
「それはですね…えっとぉ」
こめかみに人差し指を置いて、少し悩んでから告げた。
「クイーナの死に方が変わります」
ノックの音。
「!?」
二人は硬直してお互いの顔を見合う。
「……隅国、お前が出ろ」
荷田は物音を立てないようにゆっくりと椅子から降りた。
「い、嫌ですよ! どうして私が!」
隅国は必死に囁き声で抗議する。
「どう考えてもこの部屋はお前の寝室だ。まず俺が出ていくのもおかしいだろう」
長毛のカーペットに天蓋付きの清潔なベッド。
部屋に置かれた意匠を凝らした一級品の家具は、どう見ても使用人のためのものではなかった。
「で、でもぅ……」
「クイーナお嬢様? 入ってもよろしいでしょうか?」
再び木製のドアを叩く音とともに女性の声が聞こえる。
少し擦れた落ち着いた雰囲気の声だった。
「……良かったな、お前の仮説は合っていたみたいだぞ。さあ応えてやれクイーナ・ギリジアお嬢様」
「恨みますからね……」
逃げ場のない隅国は意思を固めると、転生当初の状態のように椅子に座り直す。
静かに深呼吸をした。
「……どうぞ」
許可の声を聴き、荷田と同じメイド服を着た二人の女性が部屋に入ってくる。
一人は五十代ほどの年齢の女性。
年齢によらずピンと背筋を伸ばし、纏うクラシカルなメイド服はまるでこの人のために用意されたのでは無いかと疑ってしまうほど、良く似合っていた。
もう一人はクイーナと同じ二十代ほどの女性。
鼻元にうっすらとそばかすが浮かび、長い茶髪を綺麗にまとめ上げていた。
「お嬢様、朝食のご用意ができました。ダイニングルームへお越し下さい」
二人はおもむろに頭を下げる。
現代では普段滅多に目にすることはない洗練された動作に、隅国は圧倒されていた。
「……え、ええ。ええ、わかりました。すぐに行きましゅ」
若干失敗しながらも、そう答えてドアの方へ歩み寄っていく。
荷田も何事もなかったかのように、それに続いて寝室を出ていこうとする。
が。
「テトラ。貴方はこの後、庭の水やりです」
と、高齢のメイドに制止される。
「なっ……!」
荷田は急に見知らぬ名前とともに呼び止められ、困惑をあらわにする。
しかし、その視線が指しているのは明らかにメイドとなった荷田のことだった。
「トリー、お嬢様をご案内して。テトラ、貴方は私についてきなさい。いいですね?」
若いメイドが頷き、隅国を先導していく。
小さなメイド、テトラの角度からではほとんど見えなかったが、確かに、去っていくクイーナの口元は皮肉な笑みを携えていた。
「っ!」
怒りから無意識に飛びかかろうとする。
しかし、その直前で高齢のメイドに首元を掴まれてしまっていた。
「テトラ、貴方がお嬢様に懐いているのはわかっていますが、今日の仕事はこちらです」
抵抗をしても、軽い身体はそのままずるずると簡単に引きずられてく。
「隅国ィ……!」
風に掻き消されるような小さな呟きだったが、怨嗟の対象である彼女には届いたのか、直後ゆっくりと振り向いた。
今まで圧倒的優位に立っていた人間が為されるがまま連れらて行く姿を見た隅国の顔には自然に嘲笑が湧き上がった。
隠すように腰の辺りで小さく手を振る。
「このアマ、覚えてろ……」
引きずられる小さなメイドが返したのは開いた手のひらではなく中指だった。
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