第二章:『薄氷のロンド』フェーズⅠ

第7話:紅茶

 次に見たもの。

 それは、今まさに注がれる琥珀色の紅茶だった。

 白磁のティーカップの中身が徐々に満たされていく。

 

 荷田は両手に重さを感じた。

 気が付くと、紅茶を注いでいるのは自分自身だった。

 両手にはカップと同じく純白のティーポットを傾けて持っていた。

 なんでも無いはずの動作のはずなのに、抱えたポットの重量が腕に辛く、注がれる先のカップがやけにぼやけて見えた。

 霧がかったようなはっきりとしない頭で考えていると、紅茶は器の縁を超えソーサ―へと零れ出す。

「あ」と思った瞬間にはソーサーからも溢れだし、液体が机の上を拡がっていってしまっていた。


「熱っっっ!!!!」

 発せられた叫びに驚く。

 そこにいたのは、荷田一人ではなかった。

「っな!? なんですか!? さっきまで車の中にいたはずなのに!!」

 丸いハイテーブルを挟んで向かいにいた女は椅子から立ち上がると、脚にかかった熱湯を手で振り払おうとする。

 立ち上がった女は身長170cmほどで、日本では珍しいような顔立ちと、燃えるような赤い髪をしていた。


「……」

 荷田は彼女の顔を観察しようとして、大抵の人間より身長が高いはずの自分が、見上げていることに気が付いた。

 それだけではない。

 手に持っているティーポットも、置かれたティーカップすらも大きい。

 どう見ても、自分の手には余る巨大なサイズである。

 さっき胸の奥に引っかかった違和感が次々と湧き上がる。

「あ、大丈夫ですよ! 私がドジだっただけなので、気にしないでね」

 赤髪の女は身をかがめて、自分の頭を撫でる。


「大丈夫ですよ、小さなメイドさん」

 荷田秋吾かだ しゅうごは自身が小さなメイド少女になってることを理解した。



「……お前、隅国イチリか?」

 しばらく為すすべも無く撫でられた後、少女は赤髪の女に対して口を開いた。

 荷田は自分の声が随分幼く、高くなっていることを実感した。

「え!?」

 女はクールな容貌からは想像もできないような間抜けな声と表情をして、撫でる手を止めた。

「私の知合いですか? ……こんな可愛い子いたかなあ? 友達の子供にしては大きいし……」

「荷田だ。お前とさっきまで車に乗っていたはずの」

「…………またまたぁ。……荷田さーん、どっかに隠れてるんですかぁ? 小さい子をいたずらに使っちゃだめですよお」


 荷田は先ほどまで女が座っていた椅子にどかりと腰を下ろし、短く細い脚を組む。見下すように赤髪の女に目を向けると、聞こえるようわざと大きな舌打ちをした。

「もういい、信じなくていい。時間の無駄だ。お前が最後に覚えていることだけ教えろ。カーチェイスと銃撃戦を繰り広げて、最終的になぜこうなったか」


 いつもの癖で荷田は胸ポケットからタバコを取り出そうとする。しかしそこにポケットはなく、伸ばした手は肉付きの薄い胸板を撫でるだけだった。

 少女の顔筋は生まれて初めて苦虫を噛み潰したような顔を形作り、視線の先にあるひらひらとした黒のロングドレスを睨んだ。ドレスの上にはフリルのついた白いエプロンが優美に揺れる。

 組んでいる足先を見ようと顔を横に動かすと、視線が急にぼやけたのを感じた。顔にも違和感があり、小さな手を伸ばすと顔のサイズに似つかわしい大きな丸いレンズの入った眼鏡に当たる。

 今まで数十年間、裸眼で暮らしてきた荷田にとって、この眼鏡は異物以外の何者でもなかった。

 自分の状態を再確認をし理解の深まったその酷さに、目を閉じ眉間に皺を寄せる。

 年端のいかない少女とは思えない苦悶に満ちた姿だった。


「……えっとぉ、荷田さんがどっかで見ながらイヤホンマイクで指示とか出してるんですよね? この質問もこの態度も指示通りにしてるだけですよね? 目の前の態度が大きくて柄の悪い女の子は子役で、これはドッキリなんですよね? もしかしてあの事務所に連れてこられた辺りからドッキリで実は、さっきまでの追跡劇は全部夢……」

「……」

 少女はメイドにはあるまじき不遜な態度で、自分の淹れた紅茶に口をつける。目の前の狼狽はもう気にもしていない様子だった。

「または、最後に私が車内でぶちまけた薬が効いているだけで、これは強めの幻覚で本当はまだ車の中にいて逃げてる最中とか!」

「……」

「っ……それか自動車事故に遭ってここは死後の世界とか! はたまた……そんなのとっくに通り越してもう既に生まれ変わってるとか!」

「……」

 半開きの眼で赤髪の女の訴えを聞いていたメイドは紅茶を飲み干すとカップを机に置き、脚を組み直した。


 この、重たい沈黙と凍るように冷えた視線。

 隅国イチリは、最初の、事務所でのあのひと時を思い起こさずにはいられなかった。

 姿かたちは大きく変われど、彼の纏う雰囲気は決して変わらない。

「……いいか、隅国イチリ」

 その小さく愛らしい身体から発せられる威圧感は、まさにあの時の荷田のものだった。

 ならば続く言葉も同じだった。

「俺はこう質問したんだ。『自分がどうしてこんなところにいるのか、わかるか?』」


 それを聴くと、赤髪の麗人となった隅国イチリは引き攣った笑いを浮かべた。

「……………………荷田さん。私、どんな姿をしてます?」

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