第6話:カーステレオ

 放たれた弾丸。


 その一発目はフェラーリの助手席だった。

 窓から腕を出していた男の拳銃に当たり、火花が散る。

 男は突然の衝撃に、たまらず拳銃を手放した。


 二発目は運転席だった。

 弾丸はフロントガラスを射貫き、突き抜ける。

 貫通した銃弾は運転手の肩に当たったようで、力を失った腕はコントロールを失う。人の手を離れて自由になった車はその速度のまま、大通りにあったラーメン屋に追突した。

 およそ公道で出すべきではないほど高速で走っていた車は、しばらく店のガラスを叩き割り続け減速し、ようやく止まった。

 フェラーリから流れ出ていた爆音は停止。

 代わりにぽふ、とエアバッグが開く音が響いた。


 一瞬の出来事に、誰もが言葉を失っていた。

 二発の銃声と店に突っ込む暴走車を見ていた大通りの無関係な人々もそれは一緒だった。

 発端であった荷田だけが、すぐさま動き出していた。

 出て行った時と同じ懸垂の要領で、運転席の窓から座席に滑り込む。

 再び親子のスタイルで運転席に二人が収まる。

「上手く行った」


「な……」

 最も近くで出来事を見ていた隅国も放心していた。

 まるでハリウッドのアクションスターばりの活躍。もしくはのび太くんだった。

 彼女の頭に事務所での記憶が蘇る。

 あの時も。包丁を刺されそうになったあの時も、全く動じずに、逆に相手を気絶させてしまうほどの反撃を易々と繰り出していた。

 卓越した狙撃の腕前があり、その上成人男性を軽々と蹴り飛ばすほどの身体能力も過分に備えている。

 味方である分には非常に心強い人間だった。

 場合によっては自分がその脅威に晒されていたかもしれないと考えるとぞっとする話だった。


 ミラー越しに成敗された追跡者の黒煙が見え、緊張の糸が切れる。

 自然にアクセルを踏む力も弱くなり、車は徐々に減速を始める。

「おい、スピードを緩めるな」

「え?」

 彼女には、荷田の要求の意味がわからなかった。

 影のように付き纏う追跡者も消えて、命を奪う恐ろしい鉄の欠片ももう飛んでこない。

 あとは安全運転でこの橋を渡りきり、目的の市街地へと入るだけのはずだ。

「まだ終わったわけじゃない。少し余裕が出来ただけだ」

「で、でも銃で撃たれて車ごとお店に突っ込んだんですよ……? 流石にもう追って来れないんじゃあ……」

「たかが『手と肩を銃で撃たれて時速百キロ近くで車ごと店に突っ込んだ』程度だ。俺の知っているアイツなら、車が全部オシャカになって残ったのがタイヤだけだったとしても死ぬまで追ってくる」

「あの、あいつって……?」

「元部下」



 絶え間なく爆音を放っていたカーステレオの画面にはYの字に亀裂が入っていた。

 男は邪魔なエアバッグを片手で押さえつけながら、もう片方の手でカーステレオの画面に指を伸ばす。

 決死の思いで操作すると、チカチカとノイズまみれの映像とともに楽曲が小さく流れ出し、カーステレオの画面は暗転した。

 ステレオが最後の力を振り絞って演奏を開始した。選曲してもない、挿れた覚えもない音楽が徐々にボリュームを増していた。

「この曲なんて言ったっけ」

「エレクトリカルパレードですね」

「それだ!」

 傷んだスピーカーから陽気な行進曲が流れ出す。

 事故の影響か、数テンポごとに狂ったように曲の高低音が反転したり、エコーやノイズが頻発したりと、行進曲は聞くに堪えない奇音と化していた。


「ノってきた!」

 男は助手席のサンバイザーを開くと、そこから白い粉末の入った小袋を取り出す。

 勢いよく袋の封を切ると、中の粉を溢さない様、慎重に手の甲に積む。

 一息つくと、男はそれを鼻から吸い込んだ。

「……ふぅ」

 エアバッグと座席に挟まれながらも軽く上を向き、身体を心地良さそうに震わせると運転席の女に顔を向けた。

「ほら、ナナオちゃんも」

 手に持っていた袋を無計画に放る。

 封の開いている小袋は当然中身をまき散らしながら運転席へと飛んで行った。

 白い粉が彼女の上半身にかかる。

「……」

「はは、手間が省けたね!」


 唸りを上げてエンジンが再起動する。

 女はギアをバックに入れ、アクセルを底まで踏みぬいた。

 フェラーリはタイヤを高速回転させながら、砂埃を巻き上げる。

 周囲に集まってきた野次馬たちは、突然動き出した高級車の姿を見ると蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。


「うざいな、これ」

 男はどこからか吹き飛ばされたものとは別の拳銃を一丁取り出すと、エアバッグに向けて発砲した。

 穴の空いた布袋はしゅうしゅうと音を立てて縮んでいく。

 動き辛そうにしている女の方を見ると、立て続けに運転席のエアバッグにも発砲。

 気分が良くなったのかそのまま天井に向けて二度発砲した。

「流石、無敗の荷田! これだけ資金も人的リソースも注ぎ込んだのに、たった二発の弾丸だけでひっくり返すなんてね! ていうか、走っている車から車に対して正確に撃ち抜くなんて、とんだ変態技だよなあ。あー無理ゲーにやる気無くしちゃうよね」

「ボス、弱音ですか?」

「お、言うね! いや、わかってるよ、ナナオちゃん! とはいえ、そんな伝説を打倒するためこの日のために準備も根回しもたっぷりしたからね! 『上手くいきませんでした』じゃあ、皆に示しが付かないし、何より僕のルールに反するしね。……よぉし、とっておきも使っちゃおうか!」

 男はさらに荷台から大型の重火器を取り出す。普通の人間が送る人生なら一度たりとも出会うことのない、たっぷりと火薬が詰め込まれた巨大な弾薬。


「荷田さんは変わらないなぁ。頭や心臓も狙えただろうに」

 男は消え入りそうな声でひとりごちる。

 そうして銃火器を肩に担ぐと、敵のいる方向、『越世橋』の方向へ拳を突き出した。

「さぁ、ナナオちゃん! 僕らの七色に光る未来のために、打倒荷田! ゴー!!」

「はい」

 ギアを切り替えたフェラーリが最高速で目標に向けて駆け出した。



「本当に追ってきましたよ!?」

「ああ、わかってる」

 座席を移動し荷田は運転席に、隅国は後部座席に戻り背後を注視していた。

 悪夢のような色の車は電子音をまき散らしながら着々と迫る。

 荷田は助手席の青年に目を向けた。

 龍馬はぐったりと項垂れ顔は青白く、全身にびっしょりと汗をかいていた。包帯を巻いた肩からは依然として出血が続いていることから、素人目でも危険な状態だとわかる。

「……この距離なら追いつかれないはずだ。龍馬、もう少――」


「あ゜!!」

 後ろを見ていた隅国が素っ頓狂な声を上げる。

 直後、車体の真横のコンクリートが弾け飛ぶ。

 砕けた破片が窓に当たりぱらぱらと音を立てた。

「おい、今度は何だ」

 荷田は後ろを確認しようにも、全損したサイドミラーとリアガラス越しでは状況が掴めていなかった。

「わ、わ、わかんないですけど! 大きい銃から大きい弾が飛んできました!!」

「……あいつら正気か? 一般の車両もいるだろ!」

「どうするんですか!? あ......は、反撃! 反撃は!?」

「無い。もうこっちは弾切れだ。祈ってろ」

 せめてもの抵抗として、被弾の確率を減らすために荷田はハンドルを操作して車体を左右に振り始める。

「え!? あ、あ…………え?」


 追い討ちをかけるように響くサイレンの音。

 銃撃戦のせいか、はたまたラーメン屋での事故のせいか、橋の進行方向には警察車両が道を塞がんとする勢いで駆けつけていた。

「押しても引いても地獄じゃないですか!」

 再び爆発とコンクリートの塊が車に飛来する。

 破片は助手席側のドアに強くぶつかり、扉の開錠機能を破損させた。

 ロックの外れた助手席のドアが、軋みながらゆっくりと開く。

「……嘘!? うそうそうそ!!!」

 衝撃の方向を見ていた隅国が最初に気付く。

 助手席に座っていた龍馬は既に意識を失っていた。

 彼は扉に寄りかかっていたせいで、開いていく扉とともに車外へと傾いていっている。

「ど、どうすればぁ!!」

 行動に迷っている間も、龍馬の身体は外へと倒れていく。

 後部座席からでは、隅国の手の長さでは届かないことは分かり切っていた。助けるためには助手席へと乗り込まなくてはいけない。しかし、通り道にはシフトレバーがある。この移動で荷田の運転の邪魔をしてしまったら。考えが渦巻く。

 時間は止まらない。

 扉は開き、龍馬は車外へと転がり落ちる。

 隅国には、それがスローモーションで見えた。

「クソが!」

 頭が道路のコンクリートにぶつかる寸前、荷田の伸ばした手が龍馬の手を掴む。

 すれすれのところで静止した龍馬の身体は車内へと引っ張り上げられた。

「隅国! こいつも後部座席に詰め込んどけ!」

「え!? え、出来ませんよぅ!!」

「やれ!!」

 龍馬を助けるために視線を横に移したせいで、荷田のハンドル操作はしばらく冷静さを欠くものとなった。車体がふらふらと揺れる。

 次から次へと降りかかる災難に対して、パニックに陥った隅国は頭を抱えて蹲る。

「あ~~~!!」

 隅国の中でプツン、と最後の糸が切れる音がした。

「……も、もう……これは夢、夢なんですよ……」

 女は上着の肩にある小さなジップポケットを開けると、そこから白い粉の入った小袋を取り出す。小袋はポケットの裏側に縫い付けられており、引き抜く際にぶつぶつと糸のちぎれる音がした。


「お、蛇行し始めてスピード落ちてきたね。じゃあこのまま追突しようか」

 男は空になった銃器を荷台に戻し、かちりとシートベルトを止める。

「追突? ボス、このままのスピードで追突すると、私たちの車も無事ではすみません」

「関係ないよ、行って」

「承知しました」

 目的の車両との距離はぐんぐんと縮まり、残りはあっという間に数メートルほどになる。

「あはあは、やっぱ良い車だね。こんだけぼろぼろなのに車として十全に動くなんて、流石!!」

 割れて吹き抜けになったフロントウィンドウのおかげで、彼らには前方の車内の様子がしっかりと観察できていた。

 ぐったりと助手席に倒れて今にも死にそうな青年。

 上半身だけ後ろを振り返り、鋭い眼でこちらを睨みながら運転する長身の男。

 泣きながら白い粉を車内にぶちまける女。

「あははははは!! 見てよ、あの顔!!」

 狂気のパレード曲を掻き鳴らしながら、虹色の高級車は追突した。

 後ろから押された荷田たちの車両はガードレールにぶつかりそのまま突き抜ける。ブレーキも意味をなさず、為されるがまま橋から飛び出した。

 刹那のうち宙を舞い、重力に従って二車両とも橋下の海に巨大な水飛沫をあげて落ちる。

 気泡が上がる。

 しばらくすると水面は小さな波紋を残して動かなくなった。

 パトカーのサイレンが近づく。

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