第3話:乗車

「ゲーム機の返却でしたね」

 窓の外、トンネルのオレンジ色の光が流れ去っていく。

 青年は運転席からルームミラーで後部座席の二人を確認しながら話す。

「ああ、通信はできないようにしたんだろ?」

「ええ、アカウントのパスワード替えましたし、一応wifiのチップも外しました。もう完全にオフライン端末ですよ」

「ならいい」

 荷田は走っている車の窓から腕を出し、煙草の灰を落とした。

 麻薬組織の尻尾切りであった隅国が唯一持っていたのがこのゲーム機だった。

 特に外部と連絡が取れる訳でもなく、中に重要な情報が入ってもいないことを確認した龍馬はそれを後部座席の隅国に手渡した。

「ありがとうございます! まだ全ルートクリアできてなかったんですよぉ」

「おい」

 俯きながら齧り付くようにしてゲームを始めた女に声を掛ける。

「……」

 明らかに反応が無いことがわかると、女を睨んだ後舌打ちをして窓の外に吸いかけの煙草を投げ捨てた。煙草は地面に落ちてあっという間に見えなくなっていく。


「荷田さん、甘いですよね。別に返してあげる義理なんてないのに。……組織から捨てられた彼女の境遇に、思うところでもあったんですか?」

「違う。何かしらのガス抜きがあった方がいいと思っただけだ」

「はは、ですね。まああの様子だと、雑用だった彼女もキメてたみたいですからね」

 青年はもう一度ルームミラーで後部を確認する。女の眼の下に深々と刻まれたくま、年齢に不相応な酷い肌荒れ、落ち着きない手足。そのどれもが、この世界で仕事をする彼らには見慣れた症状だった。

「だろうな」


「……最近は使ってないですよ」

 女が声を出した。顔は未だに画面に釘付けだ。

「聞こえてんじゃねえか」

 荷田は何度目かわからない舌打ちをする。

「さ、さっきまで重要シーンだったので。分岐イベント終わって少し余裕出来ました……」

「へぇ、ジャンルはRPGとかですか?」

「恋愛シミュレーションです。『薄氷のロンド』って知ってますか?」

「知りませんね」

「まあそうですよね。マイナーですし……」

「随分喋るようになったな」

「ご、ごめんなさい……」

「怖がらせたらダメじゃないですか」

「むしろそれが俺達の仕事だ」


 荷田は煙草を取り出そうとしたが、箱に一本も残っていないことに気がつくと何気なしにと口を開く。

「薬を使っていながら、そこまで集中してできる趣味があるやつも珍しい」

「……最近このゲームを知ったんですよ。前はもっと、なんていうか、荒んでいました……。まあでも! 後悔してませんよ! 使った後にゲームをすると、めり込むっていうか、没入感が増すっていうか、まるで本当にゲームの中に入ったみたいな感覚になるんです! 一度あれに触れたら、普通にやるなんて味気なくなってきたりも」

「……龍馬」

 意見を求められた運転席の青年はハンドルから片手を離し、人差し指だけを伸ばしてくるくると円を描いたかと思うと、パッと手を広げるジェスチャーをした。


 しばらくするとトンネルを抜け、窓の外にコンクリート以外の景色が広がる。車の左側は海に面していた。月がほとんど出ていないためか周囲は暗く、海を眺めても街灯が照らしている数メートルの距離でしか波の動きを見ることはできない。

 トンネルから離れていくほどにその街灯の数もまばらになっていき、残っているのはエンジンの唸り声と潮風の匂いだけだった。

「えっとぉ……どこに向かってるんですか?」

「海です」

「海? どうして海に?」

「ゲームに集中してろよ」

「さっきと対応が違いますよ……」


 徐々に車は減速し、暗闇に停車する。光源はたった一つ、近くの建物から漏れ出ている光だった。その光量も十分でなく、ただ歩くだけでも細心の注意を払わなければならない程だった。

 建物は工場のような風貌をしており、外装のトタンは風化してぼろぼろになっている。側に積み上げられた金属資材も風雨にさらされてきたせいか錆で赤黒く染まっていた。放棄されてからかなりの月日が経っていることが容易に想像できる。

「降りろ」

「こ、こんなところにですか?」

 運転席からは龍馬が、後部座席からは荷田だけが降りる。女は車内から動こうとしない。

「ま、まだこのルートクリアしてないんですよね」

「じゃあ持っていっていい、ゲーム機」

 荷田が女の腕を掴んで外に引き摺り出そうとする。必死に抵抗しようとするが、体格と腕力の差から、女は呆気なく車外に転がり出た。

「……うぅ……ひっく」

「今更泣くなよ……」

 荷田は脇を掴んでなんとか女を立たせようとする。しかし、足に全く力が入っていない人間を簡単に立たせられるわけもなく、ほとんど引きずっていく形で脇を抱えていくことになった。


「龍馬、先に見てきてくれ」

「了解でーす」

 青年は応答すると工場の方へ歩いて行った。漏れる光の近くまで行くと、建物の影に隠れて一台の黒い乗用車が停まっていることに気付く。

「……ん?」

 少し離れた暗闇から聞こえた龍馬の疑問の声に荷田が反応する。

「どうした」

「ちょっと変なんですよね、この車。取引相手の車のはずなんですけど、なぜだかウィンカーのとこが割れてて、ボンネットにも小さな穴が――」


 空気を切り裂く破裂音。

 次の瞬間、龍馬は呻き声とともにその場に倒れ込む。

 音に最も近かった龍馬は、むしろ何が起こったのかを理解できていなかった。

 ただ自分の左肩に激痛が走り、痛みに耐えきれず蹲った。


 正しく状況を把握できたのは荷田だけだった。

 龍馬の観察していた黒塗りの車のさらに奥。

 死角になっていた場所から閃光と発砲音が生じた。

 聞き慣れた火器の音。

 荷田の頭は、龍馬が倒れるよりも疾くこの事態の対処に動いていた。


「車に戻れ!」

 叫びとともに懐から拳銃を取り出し暗闇に向けて発砲する。

 龍馬を撃ってきた人間が見えているわけではない。一瞬のマズルフラッシュの方角を頼りに威嚇射撃を行う。

「クソっ!」

 右手で射撃を続ける一方、反対側の腕で呆然とする女を抱え込み、乗ってきた車の後部座席に押し込む。

 すぐさま自身も運転席に乗り込み、エンジンが掛かったままであることを確認するとアクセルを踏み込んで、ようやく立ち上がろうとしている龍馬のもとまで車を進める。

「乗れ!」

 運転席から腕を伸ばして助手席の扉を開けると、龍馬は半ば力尽きるように車内に倒れ込んだ。

 同時に急激なUターン。

 車はついさっき通った道を反対方向に飛び出した。


「暗くて誰かわかんなかったけど、たぶん肩だったよなぁ。あーあ、撃ち損じちゃったかぁ」

 黒塗りの車の影から男の声が発せられる。

「ま、そう簡単に終わってもつまらないしね! ナナオちゃん、続きはカーチェイスと行こう!」

 男はボンネットを叩く。

 車のエンジン始動音とともに喧しいロックミュージックが流れ出した。

 響き渡る低音とあまりの音量に古びた工場は軋み、方々の壁や天井から留め具が外れる。

 背後から眩いヘッドライトに照らされ、徐々に声の主の輪郭が明瞭になっていった。

 後光を遮る影は笑いながら車に乗り込んだ。

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