第2話:暴力

 隅国イチリは目の前で起きている非日常的な出来事に頭が追い付いていなかった。

 震える手で包丁を取り出した中年男性。

 その切っ先に全く物怖じせずゆったりとソファに座り続けるスーツの男。

 そんな二人の光景を眺めることしかできない自分。

 何処かかみ合っていないような論争にも、入り込むような隙はない。

 彼女は全く蚊帳の外だった。


 振り下ろされる鈍色の殺意。

 当事者である荷田とやらは避ける気が無さそうな様子である。このまま動かなければ、確実に彼の胸は貫かれるだろう。

 けれどタナベの言っていた事にも一理あるのではないだろうか。もしかすると私の思っている以上に荷田は酷いことをしてきていて、このくらいの報いは受けるべき人間なのかもしれない。

 とか。とか。

 色々迷って考えたけれど、助けるために身体は動き出していた。


 胸元へと向かう刃は加速する一方だった。

 荷田と隅国の距離は机を間に挟んで2m程度。

 全速力で走ってタックルをするにしても遅すぎた。

 間に合わない。

 あるいは、振り下ろされた直後、隅国が何も考えずに走り出していたら、間に合っていたかもしれなかった。

 焦ったせいで隅国は目の前の机に躓き派手に横転する。

 そのまま硬い床に受け身も取れずに打ち付けられた。

「うぐぅ」


 隅国イチリの行動は無駄だった。

 包丁と共に振り下ろされたタナベの腕は寸前で停止する。

 その運動を止めたのは荷田の左腕だった。

 タナベの手首を片手ですっぽりと握り締め、捻り上げる。

 苦悶の表情を浮かべて不幸な男は持っていた包丁を取り落とした。

 それだけに留まらず、荷田はソファに腰かけたまま片足を持ち上げ、タナベの腹部を靴の裏で蹴り飛ばす。

 サッカーボールのように軽々と吹き飛ばされた男は扉に思い切り背をぶつけると、絞り出した声を上げるのを最後に、倒れたまま動かなくなった。


「荷田さん!? 何があったんですか!?」

 扉の向こうから青年の慌てた声があがる。

 成人男性一人分の質量が扉にぶつかる音を聞いたのだ。それも当然のことだった。

 ドアを開けようとしても倒れているタナベがそれを妨げ、簡単には開かない。

 糸の切れた人形をずるずると押しのけるようにして青年はようやく部屋に入ってきた。

「ああ、龍馬か。そこに落ちているタナベを縛って倉庫に入れておいてくれ」

 自分が必死で開けたドアのストッパーが人間であることを知ると、龍馬は「えっ!」と驚いた後しぶしぶとそれを引きずっていった。

「軽く蹴っただけだから大丈夫だと思うが、一応致命傷がないか確認しておけ。この女の方が終わって帰って来たら、またそいつと話す」

「わかりましたー」

 ぱたんと扉が締められる。

 何度目かわからない二人きりと静寂。

 今までと違っているのは、隅国イチリは無様に床に伏していることだった。

「……さて、次はお前の番だ」

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