第2話 終わりの始まり
戦闘の火蓋はクーリアの魔術で落とされた。
魔術を扱う動作はほんの一瞬、杖を振るだけで人を容易く屠れる炎がノアの足元に発生した。
「ほう」
だが、その一瞬を見逃さなかったノアはクーリアに向かって素早く走り寄ることで、火柱から逃れていた。
そして勢いそのままクーリアへ近づこうとするが、そうはさせまいと自身の周囲に紫の炎を複数出現させてノアへ飛ばす。
その炎一つ一つがまともに当たればやけどだけでは済まない威力を持っており、避ける以外の選択肢はない。
「邪魔だ!」
だがノアは迷いなく直進することを選んだ。
理由はいくつかあるが、単純に遠距離では魔女に勝ち目がないからだ。
人間は魔術が使えないのに対して、魔女は遠距離から魔術を好き放題に打ってくる。
それを避け続けることには限界があり、すぐにやられてしまう。
だからノアは、炎を避けながら進むのではなく、炎を切りながら進むことを選んだのだ。
ノアの持つ剣は魔術に対する耐性が高いので、クーリアの魔術を攻撃してもすぐに破壊されることはない。
もちろん強力な魔術をまともに剣で防げばその限りではないが、少なくとも今ある炎を切り裂いても支障はない。
「私の炎を臆せず切り伏せるか、成長したな」
「まだまだこんなもんじゃないですよ」
威力を込めた魔術を操りながらも弟子の成長を喜ぶクーリアだが、それとは別に容赦なく新たな魔術を行使する。
「紫炎よ、焼き尽くせ!」
短く詠唱することで、先ほどまでとは威力が異なる魔術を扱う。
魔術は無詠唱、簡略詠唱、完全詠唱の三つの詠唱があり、完全な詠唱になるにつれ、発動までの時間は伸びるがその分、威力や範囲などが格段に上昇する。
先ほどまでクーリアが使っていたのが無詠唱で、今行使した魔術が簡略詠唱だ。
「師匠もだんだんギアをあげてきたな。ここからが本番だ」
ノアもそれをよく理解しているので、先ほど以上に戦いに意識を集中させる。
そもそもなぜ二人が戦っているか説明するには、少しさかのぼることになる。
「師匠俺と契約してください!」
ノアが十四歳の頃、クーリアにそう切り出した。
「ノア、契約のことをちゃんと知っているのですか? 軽はずみな気持ちで魔女と契約をしてはいけませんよ」
まだ幼いノアをクーリアは諭すが、あまり効果は無いようだった。
それもそのはず、このことを言い出したのは今日が初めてではなく、そのたびにのらりくらりとはぐらかしてきたのだが、そろそろ限界だった。
「俺だって勉強しているんです! 契約の内容もしっかり調べました」
「では、試しに説明してみなさい」
真剣な表情のノアを見て、考えが変わったクーリアはその認識が正しいかどうか確かめることにした。
「分かりました。魔女と人間が結ぶ契約とは……」
ノアが説明した契約の内容はこうだ。
契約とは魔女と人間が結ぶもので、細かな内容はそれぞれだが共通する効果もある。
まずは、魔女の魔力と魔術の共有化。
簡単に言えば、魔女の保有する魔力と同じ量が人間に出現し、魔女が扱える魔術のみ行使できるようになる。
次に、人間の身体能力の共有化。
内容はそのままで、契約した人間の身体能力を魔女に与えるものだ。
人間は魔力が存在しないが、その分身体能力が非常に優れており、接近戦では魔女よりも上である。
最後に、互いに害を及ぼすことが禁じられる。
意識の有無に関わらず、契約した者同士は攻撃することは当然、相手の不利益になることができなくなる。
どこまでが害を及ぼすと判定するかは、契約をしたときに決めることができる。
この契約は永遠の魔女という最強の魔女が編み出し、人間と魔女が歩み寄れるようにしたのだ。
「こんな感じですが、どうですか?」
一通り説明し終えたノアは、正しいかどうか合否をクーリアに求める。
クーリアはノアの説明を聞き終えて少し考えたのちに、口を開いた。
「うん、よく理解できてる」
「本当ですか?」
「ああ、大体その認識で間違ってないよ」
クーリアは思案した後に決心した。
「ノア、騎士学校に入学しなさい」
「騎士学校、ですか?」
騎士学校、その存在はノアも知っていたがまさか自分が通うことは想像もしていなかったので少々驚いた。
「そうだ。ノア、君はまだ弱い。私も契約するのなら強い人間の方が好ましい」
「そうですね」
先程ノアが説明した通り、できるのなら強い人間の方が契約する際は好ましい。
その力がそのまま魔女の力へと変換されるのだから尚更。
「だから、騎士学校を無事卒業して、力を確認して私が認めたら契約してあげる」
クーリアのその言葉を聞いた瞬間、先程まで落ち込んでいたのが嘘のよう表情か輝いた。
「本当ですね! 聞きましたからね、もう今から取り消すのは無しですよ!」
「もちろんさ。君との約束は必ず守るよ」
という約束をして今日無事に卒業することができたノアは、クーリアに成長した自分を見せているのだった。
基本的に学校では、魔物との戦いや人同士の戦闘について学ぶのだが、ノアは常に魔女とどう戦うかについて考えてきた。
魔女であるクーリアを守るということは、他の魔女と戦闘になった時も戦うことができなければならない。
だからノアは必死に考えた末に一つの戦闘方法にたどり着いた。
それは――
「リミッター解除」
強く地面を蹴り、横に跳ぶことで迫りくる紫の炎の攻撃範囲から逃れる。
その移動速度は本来のノアが出せる速さを超えていた。
「今のを避けるとは、成長したなノア」
「まだまだこれからですよ」
クーリアに褒められたが、ノアは喜びたい気持ちを抑えて戦闘に集中する。
紫の炎が次々と襲い掛かってくるが、先ほどよりも一段階早くなったノアはその全てを回避して、クーリアへ近づいていく。
「その強化、いつまでもつかな」
接近されても余裕な態度を崩さず、クーリアは避けにくい魔術を放ち続ける。
ノアが今行っている強化は一時的な強化であり、クーリアの読み通り長時間続けることは不可能だった。
人間の肉体にはリミッターが存在しており、普段は百パーセントの力を発揮していない。
そのリミッターを一時的に外すことで肉体に負荷はかかるが、その間はクーリアの魔術を避けられるほどの速さを出すことができていた。
剣で防げる攻撃は切り裂き、無理な攻撃は避けるよう徹底することで徐々に離れていたクーリアとの距離は縮まり、隙を見せれば飛び掛かれるところまで近づけていた。
その結果、クーリアは完全詠唱を使うことができず、すぐに発動できる簡易詠唱までしか扱うことができなかった。
簡易詠唱ではノアに攻撃が当たらず、かといって完全詠唱をすればその隙を狙い切りかかられてしまうので、形勢はノアが有利な状況になっていた。
「やるじゃないか。まさかここまで強くなっているとは思っていなかった」
「師匠と契約しても恥ずかしくない強さを手に入れるために、必死に努力しましたから」
「それは嬉しいな。これをしのげたら認めてやろう」
これまでの戦闘でノアの強さを認めたクーリアは、最後の魔術を発動する。
「紫の焔よ、その熱を開放し我が命令に従い我が敵を焼き尽くせ」
「完全詠唱!」
最後の試練として完全詠唱を初めてクーリアに驚きつつも、その隙を逃さずに地を蹴り切りかかろうとしたノアだったが、それは叶わなかった。
「なっ?」
ノアが飛び掛かろうとしたその瞬間に、紫炎の矢が襲い掛かってきたのだ。
先ほどまでの炎弾よりも早く、とっさに避けることができず剣で防ぐのが手いっぱいだった。
足を止めたノアを逃さないように紫炎の矢は次々と放たれる。
「まさか、こんなことまでできるとは……」
クーリアが今行っているのは、完全詠唱をしながらの無詠唱魔術による攻撃だった。
ノアの当初の作戦では、リミッターを解除している間に自身の間合いまで近づき、完全詠唱の隙を狙って倒すつもりだったが、同時に無詠唱を扱えるとなれば話は別だ。
「くそっ隙が無い」
速度の速い魔術でノアを足止めし、その間に完全詠唱を終わらせる。
「降りそそぎ、渦を巻け、燃えろ、アグニレイン」
抑えられていた魔力が解放され、ノアに襲い掛かる。
すぐさま攻撃範囲から逃れるために、多少の損傷は割り切ってその場を離れようとするが時すでに遅く、ノアは紫炎の渦の中に閉じ込められていた。
渦は徐々に狭まっていき、上空からは高火力の炎弾が降りそそぐ。
逃げ場はなく、防ぐことも不可能。
まさに絶体絶命のピンチに陥るが、そんな状況でノアは笑っていた。
気でもおかしくしたのかと思われるが、ノアの頭は冷静に状況を分析し、対処法を考えていた。
「やっぱ師匠はすごいや」
ノアは師匠であるクーリアの完全詠唱による魔術を使われたことに喜んでいた。
これまでは庇護対象の子供であったため、修行であってもここまでの魔術は使われたことがなかった。
だが今は一歩間違えれば即死んでしまうそのような魔術を使われている。
これはノアへの信頼であり、魔女と契約をするのならば、これくらい乗り越えろという試練だ。
ならば、その期待に応えなければならない。
「魔女である師匠を守るんだ、これくらい突破してやる!」
騎士学校で学んだこと、培った経験、その全てを総動員して魔術に対抗する。
ノアの武器は魔術に耐性のある剣のみ。
だが、それで十分だった。
「行くぞ!」
剣を真上に構え、呼吸を整え、全力で踏み込むのと同時に炎の壁に向かって剣を振り下ろす。
リミッターを外した肉体でのその一撃で風の刃を発生させ、炎の壁に道を切り開いていくが途中で飲み込まれてしまう。
その前にノアは走り出し、僅かに開けた道を突き進む。
「熱いけど、死にはしない!」
容赦なく炎はノアの肉体を焼いてくるが、無視して持ち前のスピードで全身が焼ける前に駆け抜けた。
そして――ノアは倒れた。
「ノア……」
そんなノアに向かって、クーリアはゆっくりと近づき、嬉しそうに声をかけた。
「合格おめでとう」
ノアは倒れはしたが、炎の渦から見事抜け出していたのだ。
作戦は力押しで単純なものだったが、魔女に対して力押しが通じただけで充分だった。
「ありがとうございます。これで俺と契約をしてくれるんですよね」
「ああ、約束だからな。正直驚いたよ。ここまで強くなっていたとは」
「師匠と契約をするためなんですから、そりゃ強くなりますよ。俺が弱いと師匠にまで恥をかかせることになりますからね」
ノアはクーリアから回復の魔術を受けてから起き上がる。
ようやく願いが叶うと思うと、笑わずにはいられなかった。
「私はこれまで人と契約をしたことはなかった。ノア、お前が初めてだ。最後にもう一度聞くが、契約をしてもいいんだな」
これまで何度もデメリットの話をされてきたが、ここまで来て決心が鈍ることはありえないので、強く頷いた。
「もちろんです。そのために俺は今日まで生きてきたんですから」
「分かった。その覚悟に報いよう。では、手を出してくれ」
「はい」
言われた通りにノアが手を差し出すと、クーリアはその手を両手で包んだ。
「では契約をはじ……」
その時ノアは、何かが壊れる音が聞こえた。
そう思った直後、クーリアの顔がこれまで見たことのない強張った表情へ変わった。
「どうしたんですか? 何か問題でもありました?」
そのまま動かなくなったクーリアに問いかけるが、返事はない。
やがて、包まれていた手を離され静かに、クーリアは一言発した。
「永遠の魔女が――死んだ」
この日人と魔女が結んだ契約は破棄され、地獄が始まった。
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