第3話 BREADWORKS


「もー無理っス。ほんと無理」 


 オフィスの一角、コミュニケーションスペースのソファーにどっかりと足を広げて、少年は座り込んだ。

 青みを帯びた黒い髪を短く刈り込み、前髪を立てている快活そうな少年は、黒髪を無造作にオールバックにした中年男性に訴えかけている。


「えー。頑張ってよ。もう少しじゃないか」


 コンビニの袋から、紙パックの『コービー牛乳』を手渡しながら、中年男性が少年を労う。猫背と砕けた口調の為、少年も気軽に答えた。


「そうは言っても、消えちゃうんっスよ?能力の限界はしゃーないっしょ」

「うーん。そうは言ってもこれ以上被害を広げないためには、やめるわけにはいかないんだよねぇ」


 中年男性は顎に手をかけて、うーんと考えるような仕草をした後、何かを思いついたように少年を見た。


「我謝くん、高次元的発動ブースト体験してみたくない?」

「は?」


 我謝と呼ばれた少年は、キョトンと年相応の顔をして固まった。


 ※ 


 白い外壁のビルの片隅に、ガラスの扉がある。

 内開きの扉のその先は、白い壁。扉分の奥行と、1メートル程のスペースしかない。

扉をくぐり、顔を向ければその先に、外壁に隠された階段があることがわかるのだけれど。

 そんな怪しげな扉の前に、中年男性と我謝少年は立っていた。


「佐久間さん、ここ何っスか?」

「おじさんの店」

「ちょ。何それカッコイイ」


 佐久間は扉を開けて、外から隠すように存在している階段を登りきると、黒い樫の扉に鍵を差し込んだ。


「朧さん、無理行ってごめんねぇ」


 白い外壁とは対照的に、黒とスチールで揃えられた小さなカウンターがあり、そこには先客がいるようだった。奥まった場所にあるテーブルには、山ほどパンが並べられている。

 本日の店内は、香ばしい香りが充満していた。


「10キロ分のパンを用意しました。一部、天然酵母のものもあります。」


 朧と呼ばれた従業員は、いらっしゃいませと迎え入れながら、パンに目を釘付けにした我謝をテーブルに案内する。


「佐久間さん、佐久間さん!これ全部俺が食っていいやつ?」

「うん。頑張って消費して」

「いただきます!!!」


 家庭用のため小さい型だが、切らずに一斤そのままごろっと置いてある四角い食パンに手をかけ、二つに割る。バターとミルクの香りがふわっと広がり、かぶりつくとかすかに甘みを感じさせた。籠に立てかけてあるバゲットは皮がパリパリで、むっちりと中がつまったもの。山形のイギリスパンは厚切りをトーストして渡してくれるため、さくっとした食感と小麦の香りが楽しめる。天然酵母のパンは素の果実の香りが飲み込む時に鼻に抜ける。


「ヤバい。美味い」

「おじさん胸焼けしそう」


 黄色から外側に黒くなるグラデーションの瞳をキラキラさせながら、夢中で咀嚼する事に一息ついたころ、テーブルに開いたスペースにカフェオレボウルが差し出された。ふ、と顔を上げると、藍鼠色の瞳と目が合った。


「これ、おばさんの手作りっスか?マジ美味いっス。あと美人ですね」


 嬉しそうにパンの感想を一息に話すと、我謝は口を咀嚼する役目へ戻した。カウンターから、ガタリという音と、ゆらりと空気が震えた気配がした。


 ※


 デザート代わりに層が厚めのクロワッサンを5つほど平らげて、我謝は佐久間に向き直る。瞳は黄色い部分が消え、光を吸い込むような深い闇色となり、天眼石と呼ばれる石によく似ていた。


「佐久間さん。いけるっス」


 体を伸ばしてストレッチしてから、床に座り込んで、我謝が佐久間に確認を取る。彼から放出される熱で、室温が上がっていく。佐久間の手渡した書類を手に取った瞬間。


 書類はハラハラと、おびただしい数の蝶を模った何かに変化した。不安定な存在らしく、ひらりと羽ばたく度に視界から消え、少し離れたところにまた現れる。暫くすると統制のとれた旋回をはじめ、半数ほどがふっと消える。


 彼の因子特性は【探索】


 我謝の視線はあちこち何かを探すように彷徨うけれども、この室内を見ていない。


 どれくらいの時間を要した後だったか。


「視えた」


 我謝の呟きに呼応するように、壁にびっしりと張り付いた室内の蝶は色を失い、どこかを映し出した。


 繁華街の裏路地らしく、通りの先にはショッキングピンクのネオンが見える。店の隙間からこぼれるわずかな光の下、蠢く影に視線を移すと、薄い刃渡りのナイフをだらりと手に提げている男が居る。

 その足元には痙攣を繰り返す女が仰向けに横たわっていた。時折、ビクッと大きく反応するのは、男が踏み付け、新たな刺激を与えているからだろう。

 女の下腹部にはこれまでの被害者と同じ様に、深い裂傷が見受けられた。


掻き消えた嬰児disappearedInfant


 言葉を吐き捨て、ぎり。と奥歯を噛みながら、佐久間は眼前の光景を睨みつけた。琥珀色の瞳孔が怒りを滲ませている。「因子保有女性の連続殺人」の現場がそこに在る。

 俯いていた男が顔を上げると、笑顔で話し始めた。


「卵の冷蔵庫が壊れちゃったからぁ、新鮮な卵が必要になっちゃってぇ、俺がお使いしてンの」


 鼻根から鼻梁に沿って、ブリッジピアスを3つ付けた鼻に手を当てて、辺りをぐるりと見まわしながら言葉を続ける。


「見つかっちゃったからぁ、もー御終い。怒られちゃうかなぁ」


 ドロリとした珊瑚色の瞳は、せわしなく何かを探すように揺れて。


「なぁんかいい匂いすンね。……まぁいいや。じゃぁねぇ」


 ポケットから取り出した小瓶の中の液体を振りまくと、男の姿は掻き消えた。


 ※


 液体が振りまかれた直後、我謝の蝶は次々と萎れて消えていった。大量の汗をかき、肩で息をしている。


「ヤバ。スンマセン。ソファーに寝転んでいいっすか?」


 言い終わらぬうちにばたりと倒れこんだ。


「ノア君、運ぶの手伝って~」


 咄嗟に受け止め、カウンターに向かって佐久間は声を上げたが、返事は無く。

 振り向くと、気を失った様子の朧を横抱きに抱えた青年が立っていた。


「え?なにこの状況」


 ※


「ねぇねぇ、俺と付き合ってくれなぁい?あんたすっげぇ


 霞んだ記憶の向こうから、酷い嫌悪感が襲ってくる。顔も名前も。場所も時間も曖昧なのに、酷く寒い事だけ鮮明に。傷が、熱く痛くてたまらない。


 嫌だ。いやだ。イヤ…


 ※


 鳩尾の下から、熱が渦を巻いている。反して目の奥はやけに冷えていて、静かに、足下の感覚がゆっくり拡がって行くようだ。

 己の力に酔い、血に酔う因子保有者は少なくない。本人の願望を叶えやすい環境が整ったとき、人は容易く堕ちて行く。

 の少年が相手を突き止めて映し出した時、特に何も感じなかった。捜し出したらて狩り討るだけ。だ。自分の仕事では無い。無感慨に後ろから眺めていた。

 

 目の前の護衛対象が倒れる前は。


 ぐるぐると状況を把握しようと記憶の断片を辿る。兇器でも、被害者の惨状でもなく。

 あの濁った赤い目をした奴はなんと言っていた?


 ※


「半数が使い物にならないんだが?この馬鹿犬が」


 シリコンゴムの手袋を投げ捨てながら、長身の男が静かに告げる。鼻を突く消毒薬の香りと冷たいタイルの床。旧時代の病院施設だろうか。青みを帯びた白色灯は所々切れており、室内全部を照らし切れていない。


「オマケに現場突き止められて顔バレとか、使え


 待合室に良く備え付けられている合皮の長椅子の背もたれ部分に腰掛け、アンティークのヘッドフォンを首にかけた少女が呟く。


「なんかさぁ、いつもと違ったの。こう、ぐわぁってなって」


 室内の光を受けて輝く金髪を左右に揺らしながら、軽く両手を広げて身振り手振りで弁明する青年は、無邪気な笑顔をその二人に向けて楽しそうに続けた。


「しかもさぁ、視てたヤツのところからぁ、ゼノ君達みたいなぁいぃ匂いしたんだ」


 ゼノと呼ばれた男と、少女が僅かに反応を示し、ゆるりと視線を向けると、


「俺、お手柄デショ。褒めてよ。ゼノ君」


 青年はうっとりとした表情を浮かべながら男の傍らに擦り寄った。


「駄犬も偶には役に立ったな」


 跪いた青年の上に冷めた声が落ちた。

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その喫茶店 嗤猫 @hahaneko

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