第2話 オーナー

 半世紀前、通常と違う因子を持つ人間が一定の割合で発生している事が判明した。

 

 自然発火など、出産と同時に母体共々死亡するケースを除き、権力者達が実態を把握したのは、彼らが成長し、周囲がその能力を認知してからであった為、約10年ほど後の事となった。

 各国は人道的、非人道的を問わず、彼らを有効活用するための研究に注力し、取扱いについてのデータを蓄積した結果。

 ・精神的、身体的欠損をすると、因子による特殊能力は喪失する。

 ・因子は交配による継承は成されない。

 ・特定要件を満たした場合、特殊能力の高次元的発動ブーストが成される。

といった研究成果が共有され、因子保有者ホルダーの保護や人権尊重のための国際的協定が定められた。

 実際は、希少因子保有者レアの売買などが発生しているが、多くの『通常より能力が高い』人々は社会に溶け込んだ。


 希少因子保有者レアの運命は悲惨かというと、一概にそうでもない。発動条件が特殊であるために、自分が希少因子保有者レアと気づかず生活している者も多く、そのまま一生を終えると考えられている。また、外観的特徴があっても、ファッションとして片付けられ、旧時代のような差別はない。


 では、何が問題か。一言で言えばその特殊能力が『一般生活を脅かし、国家の存続に影響を与える』場合だ。例えば魅了や支配などの精神干渉系、隠密系、共食い等。他の因子を持つ者であっても、サイコパス、サイコキラーの気性があれば、甚大な被害が予想される。


 この為、因子保有者ホルダーは『特殊能力管理局』にて登録、管理と保護を授受する事が義務付けられている。

 各教育機関、研究機関、医療機関、技能検定機関、学習・スポーツ・芸術を問わず、公的および私塾に至る機関は、特出した才能を持つと判断した者をこの研究機関に報告しなければならない。

 当局は報告された者を調査し、判断結果を返送する。現在の調査方法は簡単で、報告された因子毎の検査キットを使用するだけだ。

 また、因子を特定出来ないが、何らかの強い因子が潜在しているかを確かめる機器も開発されており、因子が固定化する15歳以上の者は一度、因子の有無を測定する事も義務付けられている。

 こうして、因子保有(特定・未特定)、因子未保有(測定履歴)は個人データに記載される。導入当時は反対もあったが、弱い因子保有者ホルダーは以外と多く、また就職など生活に有利な証明となることから、おおよそ受け入られている。


 ※


 佐久間が特殊能力管理局に配属されたとき、そのシステマチックな検証方法に驚き、自分の苦い学生時代の思い出が呼び出されるのを感じた。

 スポーツ少年であった自分の趣味は、イラストを描く事だった。下描きに色を載せると、スッと心が落ち着くので、試合前の緊張緩和に良く筆を走らせていた。

 モチーフは、大きな窓を背にした少女であることが多かった。体育会系の友人には、軟弱だと、揶揄される事も少なくなかった。


 その日、珍しく彼女が放課後の教室に居た。カーテンが開いている大きな窓から夕日が差して、逆光で表情は見えない。

 いつも彼女の居ない教室で繰り広げられる、女子達の妄想相手の主役に、自分は苦手意識を持っている、ハズだったのに。


「お前、イラストとかに興味ある?」


 自分のモチーフと重なった彼女から、批評されたいとふと思った。


 コクリと首肯いた彼女の前に、葉書大の絵を置いた。大きな窓の外は青空。目を閉じた少女の構図。


「鮮やかなのに心が落ち着く、柔らかくキレイな絵だね」


 死刑宣告を待つ様な、胸が潰れそうな苦しさを耐えていた自分の耳に届いたのは、静かな、ハッキリとした賛辞の言葉。


 顔を挙げたときに見た、夕日を取り込んで紫色に煌く彼女の瞳と、凄いねと笑う彼女の表情を、きっと一生忘れない。


 夏休みが開けた始業式に、彼女は来なかった。誰も、何の情報を持っていなかった。

 暫くして、引き取られなかった荷物や書類は処分することになって、めぼしい物は彼女のファンが持ち去った。残ったものを片付けるよう、偶々通りすがりの教師に頼まれてその場所に行くと、1枚の絵があった。

 屋上から見える空を描く。とか言う課題は、青い絵の具で一面を塗り潰しただけの作品が幾つも提出されて、教師に怒られた奴が続出していた。自分も風景なんて描きたく無くて、屋上の金網と空を描いただけ。


 その絵は、几帳面に空と風景が半分に分けられていた。校舎の裏手に広がる公園の上に広がるのは、


 雲一つない灰色の空。


 自分は、彼女の事を、何も知らないことを知った。

 その後何年かして、自分が因子保有者ホルダーである事が確認され、絵を描いていた事に意味があると知り、今に至る。


 ※


「今日の報告も例の被害者の様です」


 部下から差し出された書類を受け取りながら、佐久間は一連の出来事を脳内で反芻する。

 今年度、因子保有者ホルダーとして挙がった報告のうち、ある共通項を持つ案件があるのだ。

 年齢にバラツキがある物の、いずれも婦人科からの報告。過去に卵巣摘出経験があり、体調不良を感じて診察した結果、因子保有者ホルダーである事が判明した。内蔵欠損により、特殊能力は損失、成人女性であることから、初期の確定測定では、因子未保有と判定されたのだろうと推測された。

 確かに初期の機器は、因子特性が低い保持者は検出不可であったことから、不思議では無い。

 ひと月の間に9名も同様の報告が無ければ。


 当局は事件性を疑い、警察機構と共に対象者を調査した。しかし、対象者はを話し、卵巣を摘出した病院はおろか、その前後の生活については証言に対する。また、その親族においても彼女達が消息不明であったと思われる期間の記憶に疑問を感じていない事から、背後には強力な精神干渉系の因子保有者ホルダーを抱える組織が関係していると推測されている。

 何とも頭の痛い問題だ。しかも確実に解明されないだろう。


 佐久間は9人目の被害者の書類に目を落としーーー硬直した。


「これは、誰だ?」


 ※


 X市○病院にて出生後、地元の教育機関にて義務教育を就学、私立の高度教育機関に進学した後、当該手術に至る症病を発症、退学。

 現在はウィークリーマンションに滞在しながら就職活動中。

 

「彼女は


 夏休みが終わった、あの日、彼女を心配したクラスメイトが自宅を訪れようとして、誰も辿

 その後も彼女はおろか、家族の誰一人見かける事ができず、夜逃げしたという噂が広まって、静かに話題から消えていった。狂気的に彼女を慕っていた一部のファンも大人しくなって、ちょっと冷たいんじゃないか?と思ったものだった。


「しかも名前も違うし」


 報告書に印刷された、10年振りに再開した彼女の写真に呟いた。


 ※


「久しぶり。」


 面接先の商社から駅に向かう途中のファミレスに立ち寄った彼女に、あのイラストを見せながら声を掛けた。

 完全に不審者だった事は認める。


 ※


 白い外壁のビルの片隅に、ガラスの扉がある。

 内開きの扉のその先は、白い壁。扉分の奥行と、1メートル程のスペース。

 扉をくぐり、顔を向ければその先に、外壁に隠された階段があることがわかる。

 同じく一階を共有するショーウィンドウの入り口とでも認識されているであろう、その先には。


「お疲れ様です。佐久間さん」

「おー。奥の席使うよー」

 

 白い外壁とは対照的に、黒とスチールで揃えられた小さなカウンターと、目隠しされた応接設備。佐久間がオーナーの完全予約制の喫茶店。ここは彼女の鳥籠だ。


 銀のプラチナブロンドを前下がりのショートボブに切り揃え、目立たぬよう染めていたアッシュブラウンが残る前髪。あの日と同じ藍鼠色の瞳。

 記憶と違うのは、その顔から表情が欠落していることと、女性らしく成長した胸元か。


 彼女はカウンターの奥に移動すると、軽食を作り始めた。

 小麦粉と米粉、卵、オリーブオイルで作った生地を、フライパンで薄く焼いた皮に、ハムとチーズを乗せて巻き、再度フライパンに並べて温める。

 レタスとサーモン、クリームチーズを巻いたものと、粒あんとバターを巻いた変わり種も作って、崩れないようワックスペーパーで包み、半分に切って皿に並べる。

 ベーコンを炒めて加えたコンソメスープと共にテーブルへ配膳した彼女に、席に着くよう促した。


「―――と言う訳で、申し訳ないけど、当分外出出来なくなるよ」


 彼女には特異な体質がある事が判明した。


 彼女を保護した後、事件の進展を求めて数名の関係者と接触した。精神干渉系の因子保有者ホルダーが関係している為、何らかのを持つ者達を集めた。

 その彼女と接触した後、異常な執着心を彼女に持った。あの、放課後に彼女を語り合うファンの様に。

 急遽、彼女の詳細なデータが取られる事となった。因子による特殊能力は、欠損による発動不能になっているはずだ。自分の記憶が正しければ、彼女が及ぼす影響は

 結局、彼女から特段の作用機序は確認出来なかったが、幸いにも無効化する方法についてのヒントはすぐ見つかった。


『佐久間さんは、私と一番長く接触してますけど、何とも無いですよね?』


 無表情で首を傾げながら彼女が呟いた一言で、今度は自分が実験材料になったのだ。


 自分の持つ因子特性【安定】により、彼女の影響を受けないと言う結果と、自分を素材とする事で、特効薬および予防薬が生成できるという酷い結果だ。同様の因子保有者ホルダーは多い為、そのうち自分は開放されるだろう。

 

「はー。お腹空いた。有り難くいただくよ」


 一通り説明が終わったところで、目の前に用意された軽食に手を付けた。


「料理上手いよね。」

「ありがとうございます。料理している時、落ち着く感じなんです。あと、ここに人が来るって連絡があると、何かしら食べさせたいってなるんですよね」

「えー。不思議」


 ふふっと息を洩らしながら彼女が答える。これも今回の研究の副産物だが、彼女が無表情なのは感情と表情筋のシナプスに異常がある事がわかった。使。こちらは回復可能との事で、リハビリを頑張って貰っている。


 かぶりつくと、スモークの効いたハムの脂と、チーズの香りが鼻に抜ける。モチモチとした生地は良い具合に満足感がある。たっぷりのレタスとサーモンの方は、サッパリした中にクリームチーズがとろりと合わさり、こちらもバランスが良い。餡バターに取り掛かる頃、丁度良く差し出されたコーヒーに感謝しながら思う。


「とびきりの護衛を探さないとね」

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