その喫茶店

嗤猫

第1話 その喫茶店

「佐久間さーん!この仕事アガったら、朧さんのお店連れて行ってくださいよーぉ」


 艶やかな黒髪を腰まで蓄えた、日本人形のような少女が父親位の年齢の、スーツをラフに着こなす男性の腕にぶら下がっている。


「次の作品のインスピレーション補給させてくださいよーぅ」

「先日、そのインスピレーションの素とやらに必要な菓子を大量に送ってやっただろう…」


 辟易した表情で、佐久間は少女の腕を振り解きつつ、限定だの予約お取寄せだの、彼女が指定した菓子を受け渡したことを思い出しながら反論した。

 恨めしそうに足元で唸るこの少女は、硝子工芸作家。彼女の作品は『温かく柔らかい硝子』がコンセプト。アクセサリーから食器まで幅広く手掛け、老若男女に人気を持つ。


「朧さんとー、あの空間で提供される全てってところに価値があるんですー。別モノなんですー。ぶっちゃけ行き詰まってるんですよーぉ」

「黙ってれば完璧美少女なのにな。残念娘。」


 これ以上問答してもしょうが無いため息をひとつ落として、佐久間は連絡のために通信機器を取り出した。


 ※


 白い外壁のビルの片隅に、ガラスの扉がある。

 内開きの扉のその先は、白い壁。扉分の奥行と、1メートル程のスペース。

 扉をくぐり、顔を向ければその先に、外壁に隠された階段があることがわかる。

 同じく一階を共有するショーウィンドウの入り口とでも認識されているであろう、その先には。


「朧さんー!貴方のアヤが参りましたーぁ」


 黒い樫の扉の鍵を開けた、佐久間を押しのけて、の少女が室内に飛び込んできた。

 白い外壁とは対照的に、黒とスチールで揃えられた小さなカウンターと、目隠しされた応接設備。佐久間がオーナーの完全予約制の喫茶店。


「いらっしゃい」


 カウンターの向こうに佇むのは、プラチナブロンドを前下がりのショートボブにした、藍鼠色の瞳を持つ、中性的な従業員だ。

 優しく緩められた目元。穏やかな声が発せられる


「少年の身体に巨乳。其処には夢が詰まってまーすぅ!」


 両手を胸の前で組んで、悦に浸っている少女の眦と金色の毛先が


「今回は色の指定が有りませんでしたので、白にみました」


 スイに抱きつかれたまま、奥の応接テーブルに誘導しながら、朧が本日のメニューの説明を始める。指し示す先には、スイの作品である透明な硝子の器に盛られた、色。

 琥珀糖はしっかりと乾燥され、摺ガラスの向こうに淡く色を滲ませる。九龍球は丸い透明な球体に、花や果実が封じられ、シャンパンに浮かんでいる。半透明になるまで煮込んだオレンジやレモンのスライスにチョコレートを掛けたそれは、それぞれの酸味を煮戻して爽やかだ。

 白い焼き菓子には、添えられた赤や青のベリーのジャムや、マンゴーピューレが映えるだろう。

 ブルーマロウとバタフライピーによる青いお茶をサーブした後、朧はカウンターに戻った。


「いただきますー」


 指で摘んて光に透かしながらひと口、又は色々な味の組み合わせを愉しみながら口いっぱいに、少女はテーブル上の菓子を平らげていく。柔らかそうな唇が、カラフルなアイシングを乗せたドーナツが消える。


 彼女の髪色は


 ※


「うふ。ふ。ふふふ。あはぁ。」


 嬉しい。朧さんが作ってくれるお菓子は、どれも外で買えるビジュアルスイーツとそれほどかけ離れた発想のものじゃない。だけど、今、アヤが1番欲しい色彩いろと味をくれる。

 目の前も、思考も、身体の中も、色彩が弾けて溢れそう。パチパチと皮膚を内側から突き上げられると、脊髄に電流が走って、声が出ちゃう。赤いフィルターが掛かった視界の端に、朧さんが映る。アヤがプレゼントした純白のシルクの手袋に手を通しながら、こちらに歩いて来るのか見える。もう、体が動かないから。


 


 ダイスキ。ダイスキ。ダイスキ。


 真珠色の鱗で覆われた少女は、恍惚とした笑みを浮かべ、ぶるりと身体を震わせると。

 シャラリ。

 美しい煌めきを振りまきながら、鱗を


 ※


「朧さんー、アヤの所に来ませんかー?一生養いますよーーーぉ!毎日オヤツ作ってくれればイイですー。」

「飽きられてしまいそうなので遠慮しますね。」


 この店でよく繰り広げられる従業員の勧誘と、無表情で、困った声を発しながら断る寸劇を見ながら、佐久間は荷物を纏めはじめている。

 日本人形のようなのアヤは、朧に抱きつくと、グリグリと額を押し付けた。平均より小さいアヤは、170センチ程の彼女の丁度、胸に埋まる事になるから、ふゆふゆとした弾力を堪能していると、不意に店の入口が開いた。


 明るい癖毛を長めのツーブロックに切り揃えた、長身の青年が黒い扉から顔を出す。

 口角を上げてにこりとお手本のような笑顔を向けながら、青年は激しめなスキンシップを交わす二人に近づくと、アヤの首根を掴んで、引き剥がした。目尻の泣きぼくろが色っぽい翡翠色の瞳が、不愉快そうに細まっている。


「うげっ!黒イヌじゃないですかー!」

「佐久間さん、依頼のイベントコンセプトの素案が纏まりましたので、お持ちしました。本日こちらとお伺いしてましたし。」

「おー。ノア君仕事早いねー。助かるぅ(笑)」

「かよわい乙女に対してなんてことすんですかー!」

「淑女はあんな顔してセクハラしませんよ」


 ノアと呼ばれた青年は、涼しい顔で佐久間にファイルケースを渡すと、放り出された体制のまま、抗議しているアヤの傍らに優雅な動作で片膝を付き、恭しく手を取って立ち上がらせた。

耳元にそっと顔を寄せる。


「うるせぇ変態蜥蜴。とっとと荷物纏めて帰るか、堕ちてに処理されるか選ばせてやるから答えろ」

「っ!  ……帰りますぅー!」


 少女は忌々しげに手を振りほどき、応接室に向かうと、床に散らばった鱗に手を翳した。照明を反射し、海のように煌めいていたそれは、シャラシャラと音を立てながら、光の粒になってアヤの唇に吸い込まれ、消えた。


 ※


「新しい作品が出来たらー、また来ますー」

「楽しみにしていますね。綾女アヤメ様」

「!?」


 た事に頬を上気させ、コクコクと頷く人形になってしまったアヤを引き摺りながら、チラリと青年を見上げて佐久間はため息を付いた。


「朧さん。じゃぁ、後はヨロシクな」


 黒い樫の扉が閉まると、静かになった店内に甘い焼き菓子の香りが漂っていた。ノアと呼ばれた青年は、申し訳ないといった表情で、朧に話しかける。


「朧さん、、お昼食べ損ねてしまっていて、出来ればがっつり食べたいです」

「承りました」


 豚の肩ロースを厚めのひと口大に切り、塩コショウを強めに振っておく。フライパンに脂と薄切りにしたニンニクを弱火で炒めて、カリッとしたら一旦取出し、肉を焼く。

 メープルシロップとマスタードを入れ、塩加減を確認したらクレソンを添えた大皿へ。ソースはニンニクを戻して少し煮詰めてから肉にかける。アスパラガスのバター煮と、マイタケの塩ナムルは小皿に。いつの間にかノア専用となった丼に白米をよそって完成だ。


「本日は綾女さんがいらしていたので、香りが喧嘩しないようにしています。甘い香り大丈夫ですか?」

「ベーコンにメープルシロップかける派なのでご心配なく。美味しそうです。いただきます。」


 藍鼠色の瞳が、仕掛けたイタズラの反応を期待している。感情が表情筋に反映されたら、笑いを堪えた口許が見れるのかもしれない。

 いそいそと割箸を取り、丼を掌に納め食事を開始しながら、そう思った。


 ※


「ちょっと佐久間さんー。何なんですかーぁ?アレ。番犬気取りですかーぁ?」


 後部座席に寝転びながら、アヤこと綾女が不満を申し立てる。黒髪の毛先が心なしか青白く光っている。


「えーと、そこ迄求めてないんだけど定期的に貰えるよう頼んだね。綾女ちゃんの事もちゃんと認識出来てたでしょ?」

「ううっ。アレのおかげとかマヂ嫌ー。くやしーぃ!しかも、あの感じ、絶対に頻繁に訪れてやがりますよー!」

「彼の任務遂行には定評があるんだから、そんな事言わないでよ」


 運転席でため息をつく、佐久間の困り顔がミラー越しに見えた。ぐぎぎ。と歯軋りしながら綾女は続ける。


「なぁーにが『堕ちて俺に処理されるか』とか言っちゃってるんですかねー!あっちこそ完堕ちじゃないですかー。『黒の執行者ノワール』の名前が泣きますよー。号泣ですねー!!」

「堕ちてても自我が保てるなら、大丈夫なんだよ。だってイザという時、彼しかし。」

「ほんっっとうにムカつくー!アヤだって皆の朧さんだから我慢してるのにーぃ」

「ははは。朧さんは本当にモテるねぇ」


 昔も。朧の帰宅した教室で、大勢の女生徒がキャーキャー言っているのを、ドン引きしながら眺めていた事を思い出す。しかも大半の娘達は、朧と直接の面識は無い。その中に、異常な執着を周りに隠さず、寧ろ牽制している節が見られる者も居て、言いしれぬ恐怖を感じたものだった。


「本当に頼むよ、ノワール番犬君」


 ※


 食後に出された紅茶は、ベルガモットがキリリと効いた、苦味が強いタイプのアールグレイ。甘い香りの中、味覚も嗅覚もリセット出来て、良いチョイスだと感じる。


 綾女の来店予定がある事を佐久間さんが知らせて来たとき、嫌な胸騒ぎがした。アイツは朧さんからを要求している。自分達のようなモノは、固有の対象者を定めると、その要求がエスカレートしていくのを止められない。最終的にはどちらともの破滅が待っている。


 佐久間さんでは止められないから、外で待機していた。あの胸に顔を埋めていたのが羨ましくて、ちょっと手荒になったのはしょうが無い。しかもアイツのプレゼントだと言う純白の長手袋を着けさせて、何をさせたんだ。


「デザートに、あのドーナツ食べたいです」


 奥のテーブルを指差してお願いすると、朧さんは笑いながらサーブしてくれた。ドーナツを頬張りながら、コレはただの食欲だと、自分に言い訳をした。


 護衛対象者と警護人の関係として、この日常が続く事を望むのは、なのだろうか。


「ごちそうさまでした。今日も美味しかったです」

「ありがとうございます。ノアさん、帰りはお気を付け下さいね」


 ああ、近隣に越して来てしまおうか。と、悩みながら、今日も黒い扉を閉めた。

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