第5話 時給発生しないならやりたくありません。


 夏休みは一瞬だった。

 バイト三昧、たまに夏季補講、そして夏休みの課題とそれぞれをこなしていたらあっという間に夏休みは終わりを告げた。

 新学期が始まるとすぐに学力テストがあり、その結果に悲喜こもごもな反応があちこちで見られた。

 学力テストに限っては普通科も特進科も同じ内容で、総合順位が発表された。この試験結果も掲示板に上位100名までが貼り出されていた。


 帰り際にリュックサックを背負った私は掲示板前で順位表を見上げていた。

 1学年全体が357人。私は8位だった。


「…やべぇなお前……あれだけバイトしてて8位とか…どんな頭してんの?」


 気配もなく横に立っていた悠木君の存在に私はぎょっとした。君はいつの間に私に近づいていたんだ。


「そんな大げさな。私は時間の使い方が上手なだけだよ」


 私は何もせずに成績を維持しているわけじゃない。これでも一応勉強しているんだぞ。

 人をヤベェ奴扱いしてきた悠木君は……32位だった。


「森宮さん…」


 どこかで聞いたような重々しい声。

 私が振り返ると、そこには始業式のときにチラッと見た気がする教頭先生の姿があった。


「……教頭先生?」


 なんと、教頭先生に名前覚えられていたのか私ってば。そんな問題行動起こしてるわけじゃないのになぁ…


「学年8位、見事な成績だ、おめでとう」

「ありがとうございます」


 それはどっちかといえば学年主席の人を褒め称えたほうがいいと思う。主席の人が悔しがっちゃうよ。


「君の成績は普通科の生徒のそれから群を抜いている」


 教頭先生の言葉は学年主任の先生にも似たようなことを言われたことがある。その後に続く言葉もなんとなく予想つくぞ……


「学力に見合ったクラスに所属するほうが、クラスのバランスを取りやすい。それはわかるかね? …毎年のことだが、夏休み以降になると、成績を落としてそこから浮上しなくなり、次学年から普通科に落ちる特進科の生徒も少なくない」


 私に向けて放たれた言葉なのだが、周りにいた特進科生徒の肩がビクリと動いたのが視界の端に映った。

 夢を抱いて特進科に入学したのだ。特進科の人はクラス落ちを恐れているフシがある。別に普通科悪くないけどなぁ。比較的空気も明るいし。


 確かに、うちのクラスでも成績が落ちたと落ち込む生徒もたくさんいた。遊びまくって成績を落とした人だっているだろう。その逆で、夏休みに遊ぶこともなく必死に勉強したにも関わらず成績を落としたって人もいるんだろうなぁ。


「それとは逆に君は成績を維持し続けている。バイトをしているにも関わらずだ。話を聞けば、君は貯金するためにバイトしているのだろう?」


 誰から聞いたのそれ。

 もしかして学年主任、うちのお父さんかお母さんに話を聞きに行ったのか? やめてよ、プライペートなことじゃないの。

 私が貯金しようと先生方には関係ない。私は成績を維持しているし、素行は至って良好。校則違反をしているわけでもないのに口を挟まれると少しばかり不快だぞ。


「君のお姉さんは現役で医学部に進学している。彼女も在学中は優秀だった。…お姉さんは特進科に所属していたんだぞ? 君はお姉さんのようになりたくないのかね?」


 私が普通科残留していることと、お姉ちゃんは関係ないだろう別に。


「私は…」


 ──キーンコーンカーンコーン…とチャイムが鳴った。私はリュックサックの紐をギュッと握ると、ペコリと頭を下げた。


「すみません、このあとバイトのシフト入ってるので御前失礼いたします!」


 教頭先生と近くにいた悠木君が目を丸くして固まっていたが、構わず先へ急ぐ。

 特進科が何だ、医大生のお姉ちゃんが何だ。私には私の夢と目標があってバイトしてるんだ!


 私は学校を飛び出すと、自転車にまたがってバイト先へとかっ飛ばした。今日はお弁当屋さんでバイトさんがひとり急病でダウンしたから、店長からヘルプ要請があったのだ。

 あそこのバイト先は賄いでお弁当1つお持ち帰り出来る。メンチカツ美味しいんだよなぁ。余るといいな! 今日も頑張って働こーっと。



■□■



【生徒の呼び出しです。1年A組・桐生礼奈さん、酒谷大輔くん、悠木夏生くん。1年1組・森宮美玖さん、至急生徒会室までお越しください。繰り返します…】


 特進科はアルファベットのクラス、普通科は数字のクラスで区分けされている。

 特進科のメンバーに加えて何故か普通科の私まで呼び出された。休み時間を利用して昼寝していたので危うく聞き逃すところだった。

 面倒くさいなぁと思いながら生徒会室に行くと、そこには生徒会の会長と副会長がいた。3年生のふたりとも特進科の生徒である。他に呼び出しされたメンバーはまだ到着していないらしい。


「君が森宮さんだね、君の噂はよく聞いている」


 なんかクソ真面目そうな生徒会長がフレンドリーのかけらもない真顔で私を品定めしてきた。噂ってのはなんだ。バイトばかりしてるって噂? 真実だから別に構わんが。


「すみません、呼び出しを受けた1年A組の酒谷です」


 私と会長が言葉を交わすことなく見つめ合っていると、軽いノックのあとに呼びかけがあった。


「どうぞ」


 会長の入室許可の後にガラリと音を立てて引き戸が開かれる。扉の向こうには特進科の3人が立っていた。

 右側に立っていた悠木君と目が合ったので、私は肩をすくめておいた。


「君たちも中に入れ」

「…失礼します」


 会長の指示に彼らは大人しく従っていた。


「全員揃ったから単刀直入に話すね。もうすぐ生徒会総選挙が始まる。選挙は立候補若しくは推薦で擁立するんだけど……俺たち生徒会は君たちを推薦しようと考えているんだ」


 副会長の説明に私は怪訝な顔をしてしまった。それって事実上の任命なのでは…


「君たちは成績優秀であり、先生の覚えもめでたい。生徒会と学業の両立も見事にこなしてくれるに違いない」


 座っていた席から立ち上がって偉そうに腕を組んだ会長の言葉に、私の他の3名は困惑しつつも真剣な表情を浮かべていた。 ──みんなもしかして推薦で選挙に出るつもりなのだろうか

 学校イチの美女と名高い桐生礼奈、スカウトされまくりの今をときめく悠木夏生、そして……あの眼鏡。私のことに詳しかった不審な眼鏡じゃないか。悠木君の友達らしいけど、此奴はとても不審な男である。

 失礼な話になるが、私と眼鏡以外は顔の力で当選しそうな勢いである。


「…なにか不満がありそうだな、森宮さん」


 名指しされたことで私に注目が集まる。

 あれま、顔に不満が出ていたであろうか。そんなつもりはなかったのだが。


「私はバイトがあるのでお断りします」


 生徒会に入っても1円の足しにもならないから嫌だ。何を好き好んで無償奉仕なぞせねばならんのだ。


「お前、こんなときにもバイトの話かよ…」


 悠木君がすかさず突っ込んできたので私は真顔で言い返してやる。


「銭が発生しないので嫌でござる」


 私は真剣だ。

 タイム・イズ・マネーという言葉を知っているかね。時は金、金は時なんだよ。放課後の貴重な時間を生徒会という無賃労働に費やすことでどれだけ損すると思う。

 何故か悠木君の顔はひきつっていた。


「世の中結局金だよぉ?」


 へケッと某ハムスターのように首をかしげると、「お前さぁ…」とげんなりした顔でなにか言われかけたが、その前に会長が頷いていた。


「それなら仕方ない。森宮さんは退出して構わん」

「はい、失礼します」


 退出許可を頂けたらこっちのもんだ。

 私が踵を返そうとすると、「あぁそうだ」と会長が何かを思い出したかのようにぼやく。


「4階の隅にある社会科準備室、今は使用されていないから、部室を欲しがってる部活に明け渡そうと考えてるんだ。…どう思う? 森宮さん」

「脅しても無駄ですよ。使えなくなるなら他にもお昼寝場所候補はありますんで」


 会長からの脅しに私はニヤリと笑ってみせた。

 すると悠木君がぼそっと「いや、キメ顔で返事されても…」と突っ込んでくる。

 前から思っていたけど、悠木君にはツッコミの才能があると思う。この機会にお笑い芸人でも目指してみたら?


「…そうか、残念だ」


 全然残念そうに見えないけど、会長は諦めてくれたらしい。生徒会の仕事って私じゃなくても誰でもできるだろ。

 選挙とかマジだるい。演説とか決意表明とかしなきゃいけないんでしょ? バイト時間だけでなく、勉強時間やお昼寝時間がなくなるなんて私はゴメンである。

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