第3話 悠木という男についての噂
「ねぇみて、特進科の悠木君」
「かっこいいよね…」
隣のクラスの女子のきゃっきゃとした声が聞こえてきた。聞き覚えのある名前に反応した私はどれどれと彼女たちの視線の先を目で追ってみた。
そこには自販機で飲み物を買っている悠木夏生の姿があった。
うむ、見る分にはいいな。側にいたら変な緊張してしまいそうだけど。
彼のことはそんな詳しくなかったけど、クラスの友達になんとなしに話を振れば情報が集まってきた。女子の情報収集能力には感服する。
悠木夏生は特進科の美男子。成績優秀に加えて4月に行われた体力測定でも良い結果を出したとかで運動神経もいいと。
──これでモテないわけがない。
幼少期から女が途切れたことがないらしく、彼女は地区ごとにいるウワサだ。…もはやそれは彼女じゃなく現地妻ではと突っ込みたい。
モデルや俳優のスカウトを受けることもあったし、アイドルグループのオーディションにクラスメイトの女子の推薦で無断応募されたときも書類選考どころかアイドル事務所の人から会いに来て、直々にスカウトされたとかいろんな伝説を持っているとか。
そんなわけで目立つ彼は9月の生徒会選挙に出るんじゃないかって噂なんだって。
そんなに目立つ人だったのか。
科が違うから知らないと思っていたが、ただ私が情報に疎かっただけなのかな……
「あっ安藤さんが話しかけに行った! 勇気あるなぁ」
そんな悠木君に話しかける女子が現れたらしい。あくまで傍観者気取りの女子たちが実況よろしくボソボソ陰口を叩いている。
安藤さんらしき女子と悠木君は自販機前でなにか話しているようだ。会話の内容までは聞こえないけど、なんとなく悠木君が面倒くさそうな表情を浮かべているようにも見える。
「あっ…」
傍観者女子たちのひとりが声を漏らす。
なぜなら、悠木君たちに近づくひとりの女子生徒があったからだ。
その人物が、学園の高嶺の花と呼ばれている
正統派美少女と行っても過言じゃない。透明感ある清純系女優として売り出せそうな圧倒的オーラを放つ彼女は学校中の男子の憧れの的だった。噂によるとアナウンサーを目指しているとか。現に放送部に所属しており、お昼のニュースに1年ながらにレギュラー出演してたりしている。ただのミーハーなわけではなく、プロのアナウンサーみたいにハキハキ原稿を読んでいる。彼女のその夢は夢じゃなくなるのかもしれない。
彼女が悠木君に声を掛けると、安藤さんらしき女子は怯んだのか、引きつった顔で撤退していった。
おい、あんたの勇気はそんなものなのか安藤さん。がっかりしたぞ。
「桐生さんには勝てないよねぇ…」
「あのふたりが付き合っているという噂、本当なのかなぁ…」
2人が並んで立っている姿を見て傍観者女子たちは羨むようにため息を吐いていた。
なるほど、高嶺の花が悠木君の腕を叩いたりして親しそうである。まさに美男美女。彼らの隣に立ったら引き立て役もいいところで気を遣ってしまいそうだ。
高嶺の花の前だと悠木君の表情も素が出ているようで、気を許した相手なのだろう。
まぁ私は別に悠木君が誰と付き合っててもあんまり興味ないんだけど。
特進科でイケメンでお金持ちで運動神経あってモテる上に現地妻があちこちに居て、学校一の美女を彼女に持つって…やべぇな悠木君。
生きる世界が遠すぎる。彼は何故この学校にいるんだろう、居場所間違えてない?
観賞用パンダを眺めているような感じで彼らを観察していると、ふと悠木君がこちらを見てきた。
傍観者女子たちではなく、私をだ。目が合った悠木君からなんか変な顔された。何見てんだよ、ってか。それにつられて高嶺の花もこっちを見ている。
…なんか変な空気になってきたぞ。
私は何事も無かったかのようにすっと目をそらすと歩を進めた。
アホなことしてないでお昼寝スポットに行こう。
■□■
「夏休みだからといってハメを外して、新学期に学力が落ちている生徒が毎年出てくる。気を抜かぬよう勉学に励むように…」
担任が教壇で夏休みの心得を熱く語っているが、私は同意できなかった。
「夏といえば稼ぎどきじゃい…!」
オール5の通知表を見て私は拳を握りしめた。夏はメッチャクチャバイト入れてるからメッチャクチャ稼ぐ! 夏最高!
「森宮、普通科にも夏季補講があるからな? 忘れるなよ?」
なんか担任が名指しして注意してきた。
失礼な、そんなのちゃんと把握しているさ。普通科といえど進学校だものね。夏季補講があるんだよね。
「わかってますよ。特進科よりは日数少ないので余裕です!」
そのために普通科に入ったのだ。
夏季補講以外ではしっかりバイトする。もちろん夏休みを楽しむことも忘れない。充実した夏を送るつもりだ。
「…バイトも程々にするんだぞ、じゃなきゃ先生が学年主任に…」
「すみません。今日からシフト早めになってるんでお先に失礼します!」
いつまでHRをするつもりなんだこの担任は。よくみてみろ、早く帰りたいクラスメイトたちは鞄に手をかけてスタートダッシュを図ろうとしているじゃないか。
私は席を立ち上がると、リュックサックを背負い、ダッと教室を飛び出した。
「コラ待ちなさい!」
背後から呼び止める声がかかったが、私には担任よりもバイト遅刻のほうが怖い!
私のクラスよりも先にHRが終わった生徒たちが正門を出て駅の方向に向かってぞろぞろ歩いている。私は歩道の隣の車道の左端を自転車立ち漕ぎで突っ切っていく。
歩道を歩いていた男子生徒がぎょっとした顔してこっちを見ていたが、その顔がどっかで見た悠木君だったような気もしないでもない。
私の頭の中はバイトのことでいっぱいだったので、そのままスルーして追い越して行ったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。