第84話
鳥の囀りが聞こえて、すっきりと目が覚めた。
ベッドから出て、窓を開ける。朝の澄んだ空気を浴びながら、水瓶に口をつけて喉を潤す。
天候は晴れ。雲ひとつない青空が高い。黄色い朝日を見ていると、なぜだか胸が高なる。
「今日が本番か」
準備は昨日のうちに全て整えた。後は本番を迎えるだけ。
俺自体はやることがないのだけれど、妙にドキドキして、いつもよりきちんと身嗜みを整えた。
「おはようございます、ラーイさん」
ホールには既にアルがいた。朝早くから外行きの格好をピシッと決めていて、共感で笑えてくる。
「な、何か、変なところでも?」
あわあわしてるアルを見ると和み、張っていた肩が戻った。
「いや。それより、アル。ちゃんと寝れたの?」
「はい、ぐっすりと。しくじるわけには行きませんから」
「そうだな。今までの努力が今日に懸ってるもんな」
「これまでだけでなく、この先もです」
アルの顔に緊張の色が浮かんだ。言葉通り、夢も人生も今日に全てが懸かっている。
「あ、そうだ。ラーイさん、朝食はどうします?」
「朝食?」
「よく考えれば、この日のために準備し続けて、ラーイさんをお客様として扱う機会が少なかったわけですし、最終日くらいはちゃんとしないとって」
「いいよ、別に。今更、お客さん、って気を遣うような仲でもないだろ」
「そうですね。でも、落ち着かなくて、宿の仕事でもしてた方がいいんです。ネコルも朝市に飛んでっちゃいましたし」
「そっか。なら、頼むよ」
アルは、はい! と嬉しそうに奥に引っ込んでいった。
テーブルに頬杖ついて、ぽけーっとしていると、玄関の扉が開いた。
「おはよう!」
青い夏空を思わせる爽やかで快活な声が響いた。
目を向けると、いつものラフな格好をしたフランが歩いてきていた。
「早いなぁ、フラン」
机を挟んで向かいに座ったフランにそう言うと、唇を尖らせ、責める視線を向けてきた。
これは俺が悪いと反省する。今日一番重荷を背負っているのはフランで、プレッシャーは他とは比べ物にならない。そんな時に、呑気な声をかけられたら、イラっともくる。
「ああ、ごめん。重圧が凄いのに、ちょっと気が利かなかった」
「……そういうことじゃない。こちとら、普通を取り繕うのに一杯一杯なんだけど?」
普通を取り繕うのに一杯一杯であるなら、そういうことじゃないのか。
なんて思っていると、大きなため息をつかれた。
「まあでも、そういことでもあるか。実際、胃がキリキリしてるし」
「俺は頑張れとしか言えないよ」
「うん、それで十分。アルは起きてる?」
「今朝食の準備してくれてるよ」
「そっか。じゃあそれが終わったら打ち合わせだけして帰るよ」
「帰るの?」
尋ねるとフランは頷いた。
「色々やることあるし、きっちりした王女としての服に着替えなきゃだし」
それに、綺麗な本気の格好でいたいし、とフランは小さく言って、そっぽを向いた。
しばらくむず痒いような無言が続いていたが、アルが来て空気が落ち着いた。
「ラーイさん、できましたよ」
「ありがとう」
朝食をテーブルに置いたアルにフランは声をかける。
「おはよう、アル」
「うん、おはようフラン。緊張してない? 怖くない?」
そりゃ怖いよ、とフランは笑う。だけど、と、輝いた目を明るい未来に向けた。
「同時にワクワクもしてるんだ。少し前まで実現不可能だった夢、叶えたくて叶えたくてしかたなかった夢。喉がカラカラに乾いて水を全身が欲するような、そんな夢が今目の前にある。だから不安と同じくらい、期待が大きいんだ」
そう語った姿に、初めて会った日の面影はない。無垢に無知に、魔法使いが軍事以外に参入することを夢見て語った少女はいない。苦しみに挫けず、表と裏を飲み込んで、真っ直ぐに強く進む、王女フランがここにはいる。
きっとフランに惹きつけられる。
きっとフランの夢を応援する。
きっとフランと共に苦難を乗り越えたがる。
だから、今日は最高の結果で終わる。
そんな予感。
それが予感でしかなかったことは、すぐに思い知らされた。
「アル君!!」
血相を変えて帰ってきたネコルが支えていたのは、苦痛に顔を歪める薬師のおばあさん。
一目でわかるほど、おばあさんの容態がまずい。土気色で冷や汗をかいていて、ひゅーひゅーと苦しい呼吸を繰り返している。
全身から汗が噴き出るほどの嫌な予感。
緊迫とした状況に空気が一気に張り詰める。
強烈な悪寒に背筋が凍てつきそうになる。
肺に入る空気が薄くて息が荒ぐ。
「どうしたんですか!?」
アルが駆け寄って、ネコルと共にフランを支えた。
「か、かひゅ、伝えねば……」
何かを伝えようとするお婆さんから言葉が出ない。
「ネコル!?」
「道で倒れてたの! どうしてもフランちゃんに伝えないといけないことが、って繰り返してて!!」
「とにかく、ベッドに運んで!」
頷いたアルをお婆さんは押し留め、苦しげに声を出した。
「か、金に目もくれず、薬を、奪っていきおった……反魔法の、連中、が」
言い終えると、お婆さんは目を閉じ、くたりとアルに身をあずけた。
「は、早く運ばないと! 呼吸は浅いけど、まだ!」
そう言ったアルを手伝い、ネコルと3人でベッドに運んだ。そしてホールに戻ると、茫然と立ち尽くしているフランを目にした。
「……薬だけ。目立つ真似をしたということは、見つかっても問題ないということ」
その言葉に、3日前の夜にきた男たちのことを思い出し、お婆さんが何を伝えたかったのか理解した。
「すぐにでも、暴動を起こすつもりか」
「……反乱」
フランは、脚腰から力が抜けきったようにへたりこんだ。
「あは、あはは……。そんなの起きたら、今日何もできない」
光の消えた虚な目で、歪んだ笑みを浮かべるフランに何も言えない。
反乱、暴動、そんなものが起きれば、人は絶対に集まらない。防ごうにも何の情報も、時間もない。
全身から力が抜けていく。
光が消えていく。
絶望に沈んでいく。
……待て。
反乱?
俺なら止められるんじゃないか?
授業で聞かされた。毎日していた訓練で戦い方を教わった。
まるで、この時のためのように。
「あ」
真っ直ぐな糸が下にぐいと歪む。
足の先から、手の先から、じわじわと震えがあがってくる。
反乱を予期していた。そして俺に収めさせるために、怪我を厭わず、苦痛を厭わず、心痛を厭わず、この日のために力を尽くした。
ぐいぐいと糸が引っ張られて、ギリギリと張り詰めていく。
どうしてそんなことを? 誰に得がある?
民衆はここで反乱が起きることを予期できるわけがない。夢にも思わなかったはずだ。なら、臣下……だとしても誰一人として、このことに関わる必要もない。どころか、関わるだけ損。実際に、命を懸けなければ、俺をここに送り出せなかった。
だとしたら……俺が防ぎたかったから? でも何の得も必要性もない、俺が防ぎたい理由なんて、ただ見過ごせないとかいう、わがままくらいしか。それなら、俺はどれだけ愛されて……。
———ぷつん。
糸が一杯に伸びきり、切れた音がした。
「……そっか。そういうことか」
記憶の奔流が頭の中に流れ込んでくる。
今度は夢を忘れていく感覚がない。完全に思い出した。
俺は知らずにこぼれていた涙を腕で拭う。
それは、どうせくるだろう奴に、見られるのが恥ずかしかったからだった。
「フラン、大丈夫だ。俺が何とかするから、予定通り進めてくれ」
フラン・レガリオ。この日に起きた反乱で、愛する親友のネコルを喪う少女。そしてそれがきっかけで、科学技術発展を望むようになるヒロインに、そう告げた。
「ラ、ラーイ?」
「安心して。何も心配することないから」
そう言った時に、玄関の扉が開く。
入ってきたのは、案の定、赤髪の男だった。
「おせーよ、ロレンツォ」
ロレンツォは目を丸くした。
「記憶を取り戻されたようですが、私が来ることは伝えていなかったはず」
「記憶が戻ったから、来るってわかったんだよ」
「……なるほど。気恥ずかしいものがありますね」
「俺もかなり恥ずかしい」
目を丸くして、こっちを見るフランに笑いかける。
「じゃあ行ってくるよ、フラン」
「え、あ」
「よし行くぞ、ロレンツォ」
「かしこまりました、レイン様」
俺とロレンツォは、これから起こる反乱を防ぎに宿から出た。
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