第51話


 昨日の後味が悪かったせいか、今日はうなされて起きた。睡眠も質が良くなかったのか眠く、教室に向かうまでずっと欠伸をしていた。


 ああ、また欠伸が。


 手を口に当て、欠伸を終えると、猫みたいに目をこする。そして、目を開けると、教室の前にいるシリルが目に入った。


 教室に入りかけていたシリルだが、俺と目が合うと足を止め、手をあげた。


「やあ、レイン君。おはよう」


「え、あ、おはよう?」


「ハハハ。どうして疑問形なんだい?」


「ああ、いや」


「変だね、でも、そういうところは可愛いよ」


 キラッと輝いて、バラが舞う感じ。違和感に気味の悪さに近いものを感じる。


 それに、普通に話せている?


「可愛くはないと思うけど」


「ふふっ。得てして自分ではわからないものだよ」


「それはシリルにも当てはまるのでは?」


 今までなら、赤くなって取り乱していたセリフ。だけど、シリルはからっと笑い飛ばした。


「レイン君はやっぱり口が上手だね」


 確定した。シリルは、もう俺が女の子として見ているとは思っていない。少なくとも、俺が女の子として見ている、と思わないようにしている。


 そうか……ならばこれでいい。


 シリルが俺と話せる、他者と変わらない態度をとるようになった。尚且つ、悪感情も全く見られない。


 最初の目論見通りの展開。罪悪感という感情を差し置けば、これで正解。


 ただ、少しだけシリルの顔が疲れて見えたのが心配だった。


「さ、そろそろ授業が始まる……とその前に、言わないといけないことがあるんだ」


「言わないといけないこと?」


「うん。多分、授業後くらいかな? 君にお客人が来るよ」


 ***


 授業後、客室に入ると、思わぬ人物が待ち受けていた。


「レイン様、お久しぶりです」


「久しぶり、ロレンツォ」


 かしこまった台詞だが、ソファーに座ったままのロレンツォである。相変わらず、って感じでどこか落ち着く。


「どうして、遠方遥々ここまで?」


 俺は扉を閉めると、向かい合う形で置かれているソファーのロレンツォが座っていない方に腰掛ける。


「レイン様に帰還命令が出ています」


「帰還命令? それは一体どういうこと?」


「帰還命令と言っても、まあ大した話ではないのですが」


 ロレンツォは苦笑したのち、ことのあらましを話し始めた。


「まず、レイン様がクウエストにいなかった2ヶ月、王はローレルを元首候補にすると、貴族に根回しをはじめ、同時に、民衆に対しても喧伝し始めました。それは、各地至るところで行われ、もはや国民皆の周知の事実になっています」


「へえ。まあ、それだけで大体わかったよ。つまるところ、俺がいない間にやることやったから、もう戻ってきていいよ、ってことでしょ?」


「つまるところ、その通りです。ただ、戻ってきていいよ、なんてものではないですけどね」


「それもわかってるよ。ローレルが元首候補に擁立された、それが周知の事実になったということは、勿論、デインヒルにも声が届く。聞いたデインヒルは政争を起こそうと俺に何か吹き込むかもしれない」


 そう言うと、ロレンツォが、ほう、と頷いたので、続きを話す。


「だから、用がすんだし早急に帰ってこいってことだろ。あ、あとロレンツォがここにいるのは、さっきの民衆に対しての喧伝、まあ地固めがミレニアで行われるから追い出された、ってところか」


「ご明察です。聡いですね」


「そら、王子として生きてきて、ずっとこんなことばっかだから。嫌でも、こういうことには聡くなるさ」


「王族というのは、大変ですねえ」


「いや、ロレンツォも大変だろ」


「私は別に。今はレイン様の下で、のびのびやってますから。今回も旅行気分できてますし」


「それはのびのびしすぎ」


 俺は息をついて、再びロレンツォに目を向ける。


「で、いつまでに帰ればいいの?」


「そうですね、ちょうど一週間後に帰省の手筈を整えています」


「ってことは、帰る予定が一週間短くなっただけか、了解。それで、他に何か用事とかある?」


「いえ、それだけです」


「そっか」


 どうやらそれだけらしい。


 会話が終わって無言の時間が流れる。今更、この空気に気まずさもなにも覚えないけれど、何もしないのは暇だ。というか、2ヶ月ぶりに会ったのに、会話が尽きるってどうなんだろう。


「ロレンツォ、何か話題」


「ええ、相変わらず急ですね。そうですね……あ。王族が大変、で思い出したのですが、シリル様は本当にあの性格なのでしょうか?」


「ん? あの性格って?」


「誕生会の際、王子様のように振る舞われていたじゃないですか。本当にあのような方なのでしょうか?」


 俺は言葉に詰まった。


 答えられないわけではない。初めて、部屋に訪れた夜、言わないと約束したのだ。たとえ、ロレンツォであろうと、本当のことを話すつもりはない。


 それでも詰まったのは、ロレンツォが、王族が大変、で思い出したからだ。


「勿論、そうだけど。でも、本性じゃなかっただけで、それがどうして大変になるんだ?」


「それはそうでしょう。周りを欺いているわけですから、もしバレて終えば、尻尾切りにあうんですよ」


「言いたいことはわかったよ。王家への支持率のために、勝手にやったことだ、って矛先をシリルだけに向けて、捨てられるということ?」


「ええ。王家の長子に産まれたばかりに、望まぬ振る舞いを強要され、失敗すれば見捨てられる。だから王族というのは大変ですね、と話そうと思ったのですが、どうやらそうではないようですし、安心しました」


 ロレンツォがそう言い終えてから、少ししてノック音が鳴った。


 はい、と答えると、ドアが開く。


「ロレンツォ様、レイン様、父の代わりにご挨拶に伺いました。シリル・デインヒルでございます」


 優雅な礼をしたシリルを見て、体が硬直する。


 さっきの話、聞いていた?


 ロレンツォも動揺していて、慌てて立ち上がった。


「あ、あ、申し訳ございません。レイン様の後見人を務めております、ロレンツォと申します」


「はい。魔物の大侵攻を食い止め、ミレニアを発展させたロレンツォ様のことは、前々から耳にしていました」


「それは光栄の至りです。私もシリル様のことは……」


 ロレンツォと穏やかに話すシリル。あれだけの内容だ、聞いていれば動揺していてもおかしくない。でも、今の落ち着いた様子を見るに、聞こえていなかったのでは、と思う。もしくは、胆力があるのか、はてや無理して気丈に振る舞っているのか。


「レイン様、行きますよ。シリル様が食事の席に案内してくださるようです」


 考え事をしていたら、ロレンツォに声をかけられた。見れば、いつのまにか開いたドアを、シリルが手で押さえている。


「あ、うん、行こう」


 その後、食事を伴にしたけれど、シリルは穏やかなままだった。だが、顔には疲労が浮かんで見えたままだった。

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