第52話

 帰宅まであと6日となった今日。城の修練場では、ロレンツォが兵士や貴族の子女の前で剣を振るっていた。


「剣の基本は体の軸にあります。剣を振っても体が振れてしまっていては、力は伝わらず、大きな隙を作り、次の行動に移りづらくなります。ですので、剣を振る際にはそこをまず気を付けましょう」


 言い終えたロレンツォが素振りの掛け声を始めたので、俺もえいやあと剣をふる。


 ロレンツォが剣術の教鞭を執っている理由。それは、単なる世間話の延長だ。


 昨日のこと、デインヒル王と食事を共にした時、


「ロレンツォ将軍には、我が国のものにもご指導していただきたいものですね」


「私などでよろしければ、是非」


 なんて会話があって、両者引けない状況になって今に至るというわけだ。


 また剣をぶんぶん振る。もっと他にいい訓練なかったのか、とは思うけれど、それにも理由がある。


 あくまで、ロレンツォはクウエストの将軍。軍の中枢を担う人間が、訓練内容を他国に漏らすわけにはいかず、素振りという基礎的なものに留まっているのだ。


 修練場にいる、ロレンツォから教えを授かれる、と期待して集まった沢山の方々には申し訳ないが、これはこれで真面目に指導しているようなので飲み込んでもらうしかない。


 俺は、皆、そしてシリルを見て思う。


 こんな状況も、元首不在で連携が取れない今だけ。シリルが耐えなけれないけないのも今だけだ。


 それから、素振りから型、その他、基礎的な練習で授業が終わる……間際のことだった。


「ロレンツォ様、最後に頼みがございます」


 終わりの挨拶をしたロレンツォにそう声をかけたのは、デインヒルにきてからずっと剣術の師範をしていた人だった。


「何でしょうか?」


「お手合わせをお願いしたいのです」


「手合わせですか? 勿論かまいませんよ。中々の手だれとお見受けします、こちらこそお願いしたいですね」


「いえ、私ではございません」


 剣術の師範はロレンツォから訓練していたシリルに目を移した。


「シリル様とお願いしたいと思います。シリル様、よろしいですかな?」


 突然矢印を向けられたシリルは目を丸くしていたが、すぐにロレンツォの前まで出た。


「ロレンツォ将軍と立ち合えるなんて光栄です。私と剣を交わしてくださいませんか?」


 今度はロレンツォが目を丸くする。だけど、「ええ、勿論」とすぐに答えた。


「シリル様がロレンツォ将軍と手合わせをする!?」


「一体、どっちが勝つの!?」


「将軍は大侵攻を食い止めた英雄だぞ!? シリル様はどこまでやれるんだ!?」


「いや、シリル様が負けるところなんて想像できない! もしかしたら、本当に勝ってしまうんじゃ!?」


「シリル様、頑張ってくれ〜!」


 どよめきから、シリルを応援する歓声に。声はどんどん大きくなっていく。


 大変そうだなあ。


 ロレンツォにとっては、何とも微妙な状況。シリルに花を持たせてあげたいけれど、国の代表たる武人が負けることは許されない。そんな状況。


 俺は、どうするのだろう、とロレンツォを見ると、あっちも俺を見てきていた。


 ロレンツォは俺を見ながら、剣をすっと構えた。多分、真面目にやっていいですか、というメッセージだろう。


 俺は首を振って自分の手を引っ張り、手を抜け、とメッセージを送る。すると、ロレンツォは辟易とした顔を俺に向けたのち、シリルの方を向いた。


 シリルも剣を構えると、大きな歓声が再び上がる。


「それでは、お二方ともよろしいでしょうか?」


 間に入った師範が、二人の意思を確認すると、ついに戦いの火蓋があがった。


「始め!!」


 そこからの展開は一瞬だった。


 高い音がなり、模擬剣が縦回転で空に舞い上がる。


 たったの一合での決着。


 勝者がどちらなのかは、静まりかえった修練場が物語っていた。


 ***


「ロレンツォ、やり過ぎだ。少しは手加減しろ」


 唖然とした、もしくは沈んだ場の空気に耐えられず、俺たちは早々に与えられた自室に退散していた。


「手は抜きましたよ。私にとっても想定外だったのです」


 ロレンツォは、心外だ、と言わんばかりの顔を向けてきた。


「想定外? シリルが思ったより弱くてってこと?」


「違います……いえ、部分的はあってる? かもしれません」


「つまり、どういうこと?」


「シリル様の剣に気がなかったのです」


 気がなかった? まだよくわからない。


「勝ちにきてなかったってことか?」


「いえ、そうではありません。ちゃんと勝ちにきていたことは立ち合っていて伝わってきました、だからこそ私は想定外だったのです」


 ロレンツォは続ける。


「気に迷いがある中で振られた剣、とでもいうのでしょうか。あまりにも脆弱な一撃でした」


 気に迷いがある中……か。


「そういえば、レイン様。訓練用の剣はどうしたのですか?」


「あ、慌ててたから、忘れてきた」


「忘れてきた、ということは、やはりあれは訓練の度に貸し与えられるわけではないのですね」


「ああ。流石に外国の王子に、使い回しはさせられないってことで、俺用のものをもらってたんだよ。にしても、よく気付いたな」


「ええ、皆が使っていたものより質が良く、新しいようでしたから」


 なるほどな。と、洞察力に感心している場合ではない。


「ちょうど皆もはけるころだろうし、ちょっと取りに戻るわ。まだ、置いてあれば、いいけど」


 そう思うと、不安になってきた。


 急ぎ足で修練場に向かう。


「シリル様、あのようでは困ります」


 修練場にたどり着くと、声が聞こえて物陰に隠れた。顔だけ出して、剣術の師範とシリルの二人がいることを確認すると、また隠れた。


「そう、だね。本当に情けないよ」


「皆に秀でたところをしらしめる、折角の機会だったのですよ?」


「ああ、わかってる。うまくいけば褒められたのにね……」


「いえ、褒めません。心苦しいですが、国王様の身になって、国のものとして言わせていただきます」


 剣術の師範は、ぴしゃりとそう言って続けた。


「シリル様、そういう考えでは困るのです。あなたが立派であることは義務で、立派であることは当然なのです。お気を付けて、今後も修練に励んでください」


 しばらくの間があって声が聞こえた。


「……うん、そうだね、ありがとう。もっと、頑張るよ」


 シリルの顔は見えなかったが、無理に明るい顔を作っているのはわかった。

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