第50話


 ゆっくりとそれでいて真っ直ぐに、暗い廊下を音も立てず歩く。


 部屋の前まで来ると、ノックしようと手をあげる。が、下げてしまう。一つ深呼吸したのち、閉じられた扉を、軽くとんとんと二回叩いた。


 扉が開いたので中に入ると、燭台の火で橙色に染まる部屋の中で、嬉しそうにはにかむシリルに迎えられる。


「今日も来てくれて、ありがとう」


「あ、ああ、うん」


「ん? 何か元気ない?」


「いやいや何でもない! それより、人形劇をしよう!」


「そうだね!」


 いそいそ、と人形と台本を用意するシリルを見ながら、気持ちを落ち着ける。


 結局、気が引けているままだが、失敗するわけにはいかない。


「よし、準備できたよ、はい」


 シリルが差し出してきた女の子の人形を受け取り、台本に目をやる。


「それじゃあ、いくね」


 シリルは、あ、あ、と声を作る。その声は、普段と同じ王子様のシリルのものだった。


「お姫様、なぜ貴方は部屋から出られないのです?」


 演技が始まったので、俺は人形を動かしながらセリフを読む。


「出られないのではありません。私は自分の意思で外に出ないのです」


「それはどういった意思でしょうか?」


「外には悪い魔物や悪い人で溢れかえっています。わざわざ身を危険にさらす真似などいたしません」


「ふふっ、そうですか。お庭にも、魔物や悪い方が存在すると?」


「笑わないでください。庭には、悪い虫がいます。きっと毒を持った悪い虫です」


「そんな虫、いるでしょうか?」


「もしかしたら、いないかもしれません。ですが、いる可能性がゼロではありません。今度はわたくしからお尋ねいたします。外には危険なものがいっぱいです、なのに、あなた方はどうして平気で出るのですか?」


「出なければならないから、ですかね?」


「あなたは私と同じ王族です。きっと出なくても良いはずです」


「勿論、物理的には可能でしょう。ですが、出なければなりません」


「どうしてなの?」


「外に美しいものがあるからですよ」


「そんなの、外に出る理由にならないわ。この部屋の中の生花も十分美しいもの」


「そうですね、それも十分美しい。ですが、蒼く抜けた空の下、そよ風に棚引き、日を浴びて鮮やかな色を放つ花。朝焼けを映す露のついた緑の葉。同じ花の別の見た目も、美しいと思いませんか?」


「そ、それは、見たことないからわからないわ」


「では、見に行きませんか?」


「できない」


「どうして?」


「だって……怖いもの」


 俺は最後のセリフを読み上げて顔を上げる。すると、目の前には、爽やかで優しい笑顔の、王子様のシリルがいた。


「安心してください、姫様。何があっても、きっと私が守ってあげますから」


 人形劇が終わる。


 だから、ここからだ。


 すぅー、と息を吸い込んで、口を開く。


「かっこいい……」


 きょとん、としたシリルに畳み掛ける。できるだけ、皆んなを模倣するように、キラキラと。


「王子様が、すっごく良かった!」


「え、あ」


「いや本当に凄い! 爽やかだったし、王子様が格好良くて仕方なかった!」


「う、うん」


「流石シリルだ!」


 そう言うと、シリルは口を開き、何かをいいかけて、やめた。口を閉じ、再度開かれた口から言葉が出る。


「あはは……ありがとう」


 から笑い。何とも言えない微妙な表情。いやダメだ、情に流されるな。


「王子様っていいな! 次の劇に行こう!」


「……うん、そうだね」


 それからも、劇が終わるたび、


「やっぱりシリルの王子様は素敵だ!」


「そうかなぁ……」


 だったり、


「シリルの王子様はキラキラしているな!」


 だとか。


 他の人と同じように、キラキラ目を輝かせて、シリルを王子様扱いしていった。


「あ、もう次の劇をしている時間はないな」


 気づけば、それなりの時間。いつもなら、雑談に変わるタイミングだ。


「じゃ! じゃあさ! お話……」


「あぁ、残念だなぁ。王子様のシリルがもう見れないなんて」


 目を輝かせたシリルの言葉は遮った。


 シリルが萎んでいくのを見て、胸が痛む。


 だけど、こうするしかない。


「……ねぇさ、レイン君。一つ変なことを聞いてもいい?」


 俺の返事も待たずに、シリルは尋ねてきた。


「レイン君はさ、今、私のことを王子様として見ているかい?」


 人に見せる王子様の口調。それはわざとで、女の子として見ている、そう否定して欲しいからこそ王子様の口調で尋ねたのだろう。


 返答は決まっている。王子様として見ている、という嘘ではなく、真実を告げる。


「シリルとして見ている」


 沈黙が流れる。俺の答えを、王子様がシリル、そう受け取ったのは明白。俺もその誤解をしてもらえるように、そう答えたのだ。


「……そっかぁ」


 呟くようにシリルは続ける。


「まあ、そうだよね」


 シリルの雰囲気が変わる。いつもの、誰にでも見せる王子様に変わる。


「じゃあレイン君、今日はもう遅いし、また明日授業で会おうじゃないか」


「……ええ、そうしましょう」


 俺はすぐに立ち上がった。それは、これ以上ここにいると、いつか嘘だと言いそうになったからだった。

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