第35話
騒ぎが収まってしばらく。テーブルに料理とワインが運ばれて来たのち、一連の流れに満足そうな父から乾杯の挨拶。グラスが掲げられて、誕生日会という名の立食パーティーが始まった。
即刻、シリルに声をかけようと歩き始める。が、相手は王女様。この場にいる誰よりも家格が高く、当然ながら、主役のローレルと同伴する父に話しかけられていた。
まあ仕方がない、今回、俺はただの参加者だ。権力者にすぐ声をかけに行く姿勢は、外聞が良くない。焦らないことが大切、声をかける機会を窺いながら、俺は俺で身近なところから挨拶回りをしよう。
「さぁ、行こうか。ロレンツォ」
「私も同伴するのですか?」
「どこの貴族の子も、親だの家臣だの同伴してる中、俺だけガキ一人っていうのも格好つかないだろ。挨拶に行こう、後見人」
「そういや、そんな役職でしたね。そのように振る舞う機会がなかったので、忘れていました」
ロレンツォと歩き始める。
ああ、足取りが重いなぁ。
と、思っていたのは、その時まで。半刻もすると、そんな思いは消し飛んだ。
「これはこれは、レイン王子、いえ公爵! ソーマ砦でのご活躍、ミレニアの発展、お聞きしています! ああ、お目にかかることができて、恐悦至極にございます!」
等々、いろんな人から、キラキラした目で見られ、
「レイン様でしょうか。お噂で美しい方で聞いておりましたが、何とお美しい」
等々、貴族令嬢のお姉さんたちにモテて、
「サドラー南部では、コメというものが収穫できるのですよ。実は我が領の特産で……」
等々、他国の貴族から有益な情報を得たりした。
「浮かれていますね、レイン様」
「まあねえ」
当然浮かれる。けど、浮かれるのは、それだけが理由じゃない。
この誕生日会に不満を持ち俺を元首候補に推したい人は、俺に何かしらアクションしかけてくると思っていたが、それが一切ないのだ。
多分、ローレルが不満を持つ人をうまくやり込めたことが、心理的に作用しているのだろう。失敗を目撃して、行動を起こすのに、二の足を踏む気持ちはよくわかる。
まあでも、今のところ上手くいっているからといって、浮かれていたらダメだな。あくまでも、今日の目的はシリル。気を引き締めないと。
「あ、レイン様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。旧友に声をかけたいのですが」
「挨拶回りもそこそこしたし、別にいいよ。でも、シリル姫が空いてそうならすぐに戻って来て。挨拶に行きたいから」
「承知いたしました」
ロレンツォの背中を見送ると、俺は端のテーブルに行く。
何も食べてないから腹減ってるんだよな。
楊枝のようなものが刺された、一口サイズに切り分けられたパイに手を伸ばす。が、横から腕が伸びて来て、取ろうとしたパイが消えた。
「うん、美味しい」
声を聞いて、隣を見る。悪戯っ子の笑みを浮かべるモユがそこにいた。
「何だ、モユか」
そういや、モユも来てるんだったな。
すぐに皿に視線を戻し、またパイに手を伸ばす。するとまた、パイが消えた。
「レイン君、あーん」
今度は食べるでなく、楊枝を持ってパイを俺の口元に向けてくる。
「しません」
「えー……あ、もしかしてこっちの方がいい?」
小悪魔な笑みを浮かべたモユは、楊枝を抜いて、パイを人差し指と親指で摘んだ。
「汚れちゃったからさ、綺麗にしてね?」
甘い声とねだるような顔で口元にパイを運んでくる。そんな感じで、言われると、青少年としては少しドキッとする。
けど、いつものように、揶揄われているだけだとわかっているので、俺は首を振った。
「しませんし、したら、きちゃないから。ちゃんとテーブルのフキンで拭きなさい」
「つれないなぁ。じゃあボクに食べさせてよ、ちゃんと綺麗にするよ?」
「怖いからやだ」
「むぅ」
モユは持ってたパイをむすっとしたまま食べた。
「まあいいや。ねえ、レイン君。今日のボク、どうかな?」
「どう? どうって、何が?」
「ドレス、似合うかな?」
上目遣いで照れ臭そうに言うモユ。からかってくるボクっこらしくない振る舞いに、春っぽい淡いピンクと白のドレスから感じる、大人しさ、女の子っぽさ。今日のモユは可愛いとは思うけど、調子に乗られるのもなあ。
「うん、まあいいんじゃない」
「はあ〜」
適当に褒めると、ため息をつかれた。
「気が利かないなぁ。どうしてボクはこんな人が好きなんだろ?」
それは俺もどうしてと言いたい。
「じゃあそろそろ行くね。お父様が来て欲しそうにしてるし」
モユの見てる方に目を向けると、モジュー候がいた。目が合うとペコペコと二度頭を下げられたので、俺も会釈を返しておく。
「じゃあね、レイン君。また」
「ああ」
モユと別れて、再びテーブルに目を向ける。
さっき食べそびれたパイを取ろうとすると、肩を叩かれた。
今度は誰だよ、と振り返る。
「やあ」
ニコっと笑った挨拶に、爽やかな風が吹いたような気がした。
「し、シリル姫?」
「知ってくれているのかい? 光栄だな」
また爽やかな感じ。
うっ、勢いに飲まれそう。それに、いきなりすぎて心中穏やかでない。お、落ち着け。そして気をつけろ、こんな爽やかだが、くそチョロのデロデロなんだ。
「それは勿論です。なんせ、シリル姫の美……ではなく、優秀さは、噂になってますから」
「ん? そうなんだ? まあでも、君には敵わないよ、レイン王子」
「ご存じで?」
「ああ、勿論さ。幼き身でソーマを守り抜き、ミレニアに富をもたらした。そりゃ知っているよ。でも」
「でも?」
と問い返すと、急に顎に指を添えられた。そしてそのまま、くいと上げられ顔が近づく。
「レディの対応はまだまだだね。さっきのやりとり見ていたよ」
急なことに胸が跳ねる。
淡麗なシリルの顔の背景に赤薔薇とキラキラが見えるんだけどっ!
「さっきの正解は、こうやって……」
シリルの動きが止まる。まじまじと俺を見て……頬が染まった。
「ほ、本物の王子、か、かかか、かっこいい……。やっぱり私は女の子なんだ」
ばっと離れて、両頬に手をあてるシリル。
離れてくれて、落ち着きを取り戻した。
そして思う。
はいはい、無理ゲ、無理ゲ。終わった、あー本当、泣きそう。
視界が真っ暗になった気がした。
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