第4話


 ダンジョンの中。じめじめとした土の湿った匂い。ぴちゃぴちゃと天井から水滴が滴る音。辺りは暗いが、全く見えないわけじゃない。そこらしかに生えている光苔が、ぼんやりと荒い岩肌を照らしている。


 かつん、と足にあたった小石の音が反響する。そのあとは何も聞こえない。どうやら、この階層の魔物は全て始末しおえたようだ。


 構えていた弓を肩にかけ、ふっと力を抜く。


 もうここも余裕になったな、次に行くか。


 洞窟の中をゆっくりと進み、次の階層に繋がる階段を降りる。


 ドーム状の広大な空間に出た。光る植物も鉱石も何もない代わりに、中央に大きな焚き火がある。燃え上がる炎を中心に、10匹以上の小さなゴブリンたちと2mほどの背丈があるゴブリンが座っていた。


 俺は近くにあった岩陰に身を潜める。そしてゆっくりと弓を構え、弦を強く引き絞る。青白い粒子が集まって氷の矢が形成されると、俺はすっと弦を手放した。


「ひぎゅ!!??」


 放たれた魔力矢がゴブリンの頭を貫く。突然のことに、ぎゃーぎゃー声をあげて、慌てふためき、転び、逃げ惑うゴブリンに向け、俺は矢を放っていく。


「ぎゃっ、ぎゃっ!」


 ゴブリンに指差される。気づかれたので、仕方なく岩陰から出た。


 棍棒をかかげて迫ってくるゴブリンを、近い順に撃ち抜いていく。


 ゴブリンを仕留めきると、最後に残った巨躯のゴブリンが大斧を振り回しながら駆け寄ってきた。


 俺は壁際まで行って、振り下ろされた大斧躱す。すると、斧が突き刺さった壁が崩落し、ゴブリンが瓦礫に埋もれた。舞い上がった砂煙に辺りが見えなくなり、狙いがつけ辛くなったが、勘でゴブリンのいる方に向けて矢を放ち続ける。


 呻き声が聞こえなくなると、矢を放つのをやめ、注意深くゴブリンのいた方向を眺める。やがて砂煙が晴れ、穴だらけのゴブリンが粒子となって霧散するのを見届けると、俺は息をついた。


 ふぅ。ハイゴブリンとキングゴブリンのフロアも難なくクリア。あとは、最終階層だけだ。


 思えば長かったな。


 ダンジョンに潜り始めてから早、半年。


 魔物の弱点や効率的なルート選択など、このダンジョンにおいてどう立ち回ればいいか、完全に理解している俺でも、最終階層まで余裕でくるのには長い時間がかかった。


 その理由としては、二つほどあげられる。


 一つは、難易度が高いこと。このダンジョンは、魔物と罠が多い浅い階層、上位の強い魔物が現れる深層にわかれている。魔物が弱く、罠の配置もわかっている浅い階層は問題がなかったのだが、深層の強い魔物に対して、俺の攻撃が通じないという問題があった。そのため、強力なスキルを覚えるまでレベル上げをする必要があり、時間がかかったのである。


 二つ目は、ステータスの開示ができなかったため。レベルという概念があるのは、敵を倒したあとの高揚感、今まで使えなかった技の使い方がわかる感覚、つまりはレベルアップの感覚があったのでわかっていた。しかし、ステータスを見る術はなく、自分が何レベルでどれくらいのステータスで、と完全に把握することはできず、その階層に挑めるかどうかを客観視することは難しかったのだ。そのため、各フロアを余裕でクリアできるまで攻略を繰り返し、安全を確信してから進み続けたのである。


 まあ、それはさておき。


 フロアの奥まで進み、煙で先が見えなくなっている門の前で立ち止まる。


 どうしよう、今日ボスに挑もうか。


 最深層のボス、水晶の霊騎士。推奨レベルは82だ。


 70レベルで覚えるチェイサーアローが身についていないため、俺は推奨レベルを超えていない。


 だけど迷うのは、攻略法を知っているからだ。


 水晶の霊騎士から距離を取ると、極大魔法を放ってくる。この詠唱中に、雷属性の攻撃を当てると怯み状態に入るので、その間に攻撃し放題になる。だから、距離をとって誘発し、当てて、誘発し、当ててを繰り返すと、簡単に倒せるというわけである。


 どうしよう、今日のところは引き返すか?


 いや、行こう。魔物の大侵攻まで、残り時間は多くない。ここで、与一の弓を手に入れられれば、リポップした水晶の騎士に何度も挑んで楽にレベル上げができる。


 俺はそう思って、煙の中に足を踏み入れた。


 青と白の世界。壁には突き出した水晶の剣山、地面には雲母のような形の水晶が折り重なっている。こころなしか寒く、白い冷気が漂っているようにも見える。音は何もしない。それがこの空間の神秘的な雰囲気を際立たせていて、気を抜けば呑まれそうだ。


 不意に嫌な汗が流れた。遠くからゆっくりと歩いてくる影。首から上がない、白銀の鎧を身に纏った騎士から放たれる威圧感に萎縮してしまう。そのせいで、何もできないまま接近を許す。


 ゆらり、と飛び上がった騎士が切り掛かってきた。


 すんでの所で、俺は横っ飛びに躱す。轟音が鳴って、水晶の破片が飛び散る。目を向けると、俺がいた所の地面は割れ、大きな傷痕がついていた。


 肝が冷える。心臓がバクバクと鳴り出す。冷たいものが背筋を滑る。


 殺される。


 背中を見せて逃げた。全力で駆ける。


 突然、騎士が目の前に舞い降りてきて、立ちはだかられた。


 騎士は立ち止まっている。顔がないにもかかわらず、嘲笑われていることがわかった。


 狩られる者の無力感と悲壮感に襲われる。


「あ、あ、あ」


 悲鳴をあげることもままならず、意味不明な声が漏れ出る。


 弓を構えて、ひたすらに魔力矢を放つ。だが、踊るような剣さばきで、すべて防がれてしまう。


 間違えた、来るべきではなかった。


 後悔の言葉で脳内が埋め尽くされる。


 震える足で、この場から去ろうと必死に逃げる。


 ふと振り向くと、騎士はその場を動いていなかった。だが騎士が俺を殺そうとしていることは、騎士を中心として渦巻く魔力の光が教えてくれた。


 極大魔法っ!?


「ら、ライトニングアロー!」


 無我夢中で稲妻の矢を放つ。魔力の光が集約する直前に騎士に矢が当たった。


 あ、危なかった。後、コンマ数秒でも振り向くのが遅れたら、矢を放ち遅れたら、極大魔法で死んでいた。


 僅かな安堵を覚えると、回らなかった頭が冴え始める。


 大丈夫。水晶の騎士に効いている、ちゃんと怯んでいる。


 俺は動けない騎士に魔力矢を打ちかける。矢は当たって、確かにダメージが入っているように思う。


 怯みから立ち直った騎士は、俺に向かってくる。


 震える足に鞭打って逃げる。


 肺がきつい。脳に酸素が回らずに、視界が白くなってきた。足も重くて仕方がない。


 だけど、逃げて、逃げて、逃げるしかない。


 振り返るとまた立ち止まっていたので、ライトニングアローを放つ。そして怯む騎士に矢を浴びせかける。そしてまた逃げる。


 俺はそれを何度も繰り返す。だが、体力の限界がきて、足が動かなくなってしまった。


 ゆらり、ゆらり、と騎士が歩み寄ってくる。


 俺は矢を浴びせ続けて、何とか足を止めようとする。だが、騎士は意にも介さず、近寄ってくる。


 そして目の前で、大きく剣を振り上げられた。


 その瞬間、騎士は粒子となって消えた。


 時が止まったように動けないでいた。しばらくして、大きな安堵と共に腰が抜けた。


 恐らく、スリップダメージで騎士の残りのHPを削りきり、ギリギリのところで倒せたのだろう。


 安堵から遅れて、レベルアップの高揚感を覚える。それにまた、安堵する。


 やがて立ち上がれるようになると、フロアの最奥にある宝箱を開く。


 品のいい光沢を放つ黒色の木と、蛸糸のような弦。大きめの木の弓にしか見えないこの外見は、間違いなく与一の弓だ。


 はあ、何とか手に入れることができた。


 俺は与一の弓を肩にかけ、宝箱の奥の床に目を向ける。そこには、魔法陣が描かれていて、淡い黄色の光が放たれていた。


 これは転送陣。ここに入ると、ダンジョンの一階に転送される。また、一度入ると、ここにワープする魔法を覚えることができる。つまるところ、帰るのにわざわざ上り直さなくていいように、ボス戦をしたいプレイヤーが、わざわざダンジョンに潜り直さずに済むように、と存在する装置だ。


 俺は疲労でくたくたになりながら、転送陣に入って帰路を辿った。


 ***


 こっそりと自分の部屋に帰ってきて、安堵の息をつく。


 はあ、やっと帰ってこれた。


 なんとか与一の弓を手に入れ、水晶の騎士のフロアに行けるようになったはいいけど。


 与一の弓があるとは言え、あの水晶の騎士相手に何度も挑めるだろうか。


 いくら大丈夫だとわかっていても、恐怖感は拭えない。思い出せば、今でも震えてくる。


 義妹の代わりに魔物の大侵攻を防ぐのをやめようか。だったら、レベル上げに騎士に何度も挑まなくて済む。それに、大侵攻だって、今日みたいに死の危険があるかもしれない。


 防いだ所で恩を売れるというだけ。ストーリーに関わらなければ、恩を売らなくても、死なずにすむかもしれない。


 まあでも、今日はもう、考えるのはやめよう。疲れて眠くて仕方ない。


 そう思って、ベッドに行き、毛布をまくる。すると、そこには、義妹が転がっていた。


 この淫乱レッドめ。


 寝顔を眺める。あどけないその顔には可愛らしさしかない。


 俺は息をついた。


「まあ、こんな子を戦いに出すわけにはいかないよな。しゃあねえ、強くなるか」


 俺は起こさないよう、ベッドの隅っこで寝た。


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