第85話 月が綺麗ですね
「ビエラは国王に何を話すつもりなんだろう。まさか脅しに行ったんじゃあ……」
「さあ、知らんけど脅すつもりならもっと昔にやってるんじゃないか」
「そうだよね……」
「どうした?」
考え込んだ私の顔を覗き込んで、ラキシスはポンと頭に優しく手を乗せた。
「ラキシス。帰る前に寄りたいところがあるの」
「寄りたいところ?」
「うん、あそこ」
私は崩れた壁の隙間から見える月を指差した。
「いくら俺でも月には連れて行ってやれない」
「よく見て」
海のように広がる魔王の森の向こうに、ちょこんと小さく建物が見える。
「あれは?」
「スボイル領の城塞。今は使われてないけどね」
元々スボイル領は辺境を守る領地で土地も豊かだったため大きな城下町が存在した。しかし、数百年前に魔王城が近くに出現してから、恐れた民が逃げ出し、最終的に領主も城を離れ領地を国に返納した。
それ以来、少数の国軍が駐屯しているのみの捨てられた城だ。
「なぜあそこに?」
「あそこは魔王を討伐した勇者が褒美としてもらう領地で、私が閉じ込められる城よ」
「あれが……」
ラキシスは何か言いたそうな顔で月に照らされる城を睨みつけた。
「ぶっ壊しに行こう」
✳︎
上空からスボイル城を見下ろすと、想像よりもかなり立派な城塞だった。
これはノインシュタイン城よりも大きいかもしれない。
ただ、人の住まなくなった城は廃墟と化し、城壁はかろうじて原型を留めているが教会だったろう建物は屋根が完全に落ちていた。
「本城には誰も立ち入れないみたいだな」
城門に続く跳ね橋は上げたまま固定され、全ての窓には板張りがしてあった。ただ、あちこち崩れ落ちているので侵入を防ぐためというより、危険防止のためのものだろう。
「手入れをすればまだ使えそうなのにもったいないな」
「うん、常駐の兵士はどこにいるんだろう?」
「それなら、馬小屋のそばじゃないか?」
見れば馬小屋の周辺だけ手入れされ、ポツポツと明かりが漏れている建物が数軒並んでいた。
これだけ距離があれば私たちが城に入っても気づかれることはないだろう。
「あそこから入ろう」
ラキシスは大きな窓枠だけ残った部屋を指差して私の手を引く。
「中はそれほど荒れてはいないな」
辺境の地だけあり、飾り気のない石造の部屋は見た目より頑丈さを重視して作られているようで、廊下には武器がずらりと並び迷路のような作りになっている。
「地下に行きましょう」
私の言葉にラキシスは「やめた方がいいんじゃないのか」という顔をしたが、実際に口に出すことはなかった。
その代わり、繋いでいた手をギュッと握りしめてくれた。
螺旋階段をどこまでも降りていくと、当たり前のように地下牢があった。
その規模は今までどこで見たよりも広く、壁には内向きに突き出た棘のある手錠が数百はかけられている。しかも半数以上の牢で囚人を吊るす鎖がぶら下がっていた。
一体どれだけの人間をここで拷問したんだろう。
こういう光景を目にするたび、現実の世界に逃げたくなる。
もうここで生きていくしかないのに。
「俺がそばにいてやるから、最後まで見届けろ」
ラキシスが窓もない鉄の扉の前で立ち止まった。
地下牢の最奥。
私が夢で閉じ込められていたところ。
「大丈夫だな」
私は、ラキシスをじっと見つめた。
綺麗な藤色の瞳だ。
この瞳をこれから先もずっと信じるために私は鉄の扉を開けた。
閉じ込められていたカビ臭いにおいに夢の光景が一気に蘇る。
何もない、がらんとした空間なのに血溜まりが床一面に広がっているようで、私は息ができなくて胸を抑えた。
ガクガクと全身が震え出す。
逃げなきゃ。
本能の叫びに、私は数歩後ずさった。
「アリエル」
ラキシスが優しく私の名を呼び、ふわりと両手で抱え込むように抱き上げてくれる。
「息を吸って」
私は両手で力一杯ラキシスの首にしがみつくと肩に顔を埋めて深く息を吸い込む。
気のせいなんかじゃなく、朝露の匂いがしてさざなみ立っていた気持ちが静まっていく。
トクン、トクンとラキシスの心臓の鼓動が私の鼓動と重なり勇気が湧いてくる。
「手の甲を見せて」
私を抱き上げたまま、ラキシスは手の甲を差し出してくれる。
その横に私もそっと手を出す。
どちらの手にも魔力封じの魔法陣はない。
大丈夫だ。
「ここから出ましょう」
コクリと頷きラキシスは私を抱き抱えたまま牢から出ようと歩きしたので、慌てておろして欲しいと伝える。
「自分の足でここから出たいの」
私の言葉に、壊れ物を置くように優しくおろしてくれる。
胸を張り、力強い足取りで私はラキシスの手を借りないで牢から出た。
「たった一度だけ見た夢だったけど、あれがどうしてもただの夢だとは思えないの。腕が腐れ落ちて、腹からアレが出てくる感覚をはっきり覚えている」
「アリエル……」
悲痛な声で私を呼ぶと、ラキシスはおずおずと私を後ろから抱きしめた。
拒否されるかもしれないと思ったのか、振り払わない私の態度にほっとため息をつく。
「私も、ラキシスが好きみたい」
こんな地下牢で告白するなんて思い描いていた理想と全然違うけど、今伝えたかった。
「学院の桜の木下でうたた寝しているフリのラキシスを見たとき、なんて穏やかで平和な時間なんだろうと思った」
「バレてたのか」
「ラキシスには絶対に近づかないって思ってたのに、何だかふれたくて。そんな風に感じる自分が怖くて逃げた」
「そうか」
「うん……ラキシスも転生者だってわかってからは、近づくのが怖いのに気になって。見ないふりをした」
「頬にふれてもいいか?」
「うん」
私が頷くとラキシスは抱きしめる手を緩めて私の正面に立つと、両手で顔を挟み込むようにふれた。
「知らなかったな。絶対に嫌われてると思ってた」
「気持ちに気づかないように距離を置いてたのに、助けて欲しいと思い出すのはラキシスのことだった」
「もう一度言ってくれ」
「何を?」と聞き返すとラキシスは私の腰を掴み、グイと自分に引き寄せた。
顔が近づき、じーっと無言で見つめられる。
きっと私が期待通りの言葉を言わない限りこの手を離さないつもりだ。
でも、それを言ったらここでキスされる気がする。
いくら何でも告白とファーストキスが牢の前なのは悲しすぎる。
「もう一つやることがあるんだけど、そのあとでいい?」
ラキシスの眉がピクンと上がった。
「それはどうしても今じゃないとダメなのか?」
「うん。だからこの手を離して」
今度は私がラキシスの瞳をじーっと見つめ返す。
「はぁぁぁぁ」と長いため息をついてラキシスは手を離し私を開放してくれた。
「いったい何をするんだ?」
「まずはここを出ましょう」
ラキシスと二人で一階まで戻ると、私は地下の入り口に立ち魔法で牢獄を破壊した。
轟音と共に崩れ落ちるのを見て、笑いが込み上げてきた。
「やったわ」
「ああ、豪快だな」
「ふふふ、すごくスッキリした」
「だろうな。城ごと崩れ落ちないのが不思議なくらいだ」
「そんなの、この城を作った人に悪いじゃない。どうせ平民にやらせたのよ」
「変なことを考えるんだな。まあ、そんなところが可愛いけど」
ラキシスは呆れながら、私のおでこを指で突くとそれから赤くなったおでこの治療だとでも言うようにチュッと音を立ててキスをした。
「あ!」
「いいだろ。両思いなんだから」
「そうだけど……」
「ほら、それよりこの騒ぎを聞きつけて兵士がやってくるぞ」
どうする? という顔でラキシスは私をひょいとお姫様抱っこした。
このままどこかに転移しようと思っているらしい。
「じゃあ城のてっぺんに」
「てっぺん?」
✳︎
瞬きする間に私たちは城の尖塔の上に浮いていた。
キョロキョロと辺りを見回すと、かろうじて残っている見張り台の一つに着地する。
「見て、魔王城が見える」
「そうだな。なんでてっぺんに来たかったんだ?」
「だって、これが言ってみたかったの。ラキシス、月が綺麗ね」
「……それは俺のセリフじゃないか?」
ガックリと肩を落とし「死んでもいいぞって返して欲しいのか?」とブツブツ文句を言っている。
「ラキシス。私あなたが好きだわ」
私の不意打ちに、ラキシスは目を見開いて固まった。
告白はやっぱり月明かりの下じゃないと。
しばらく、見つめ合って私は目を閉じた。
思ったよりも冷たい唇がふれると、胸の中いっぱいに幸せが広がった。
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