第84話 交渉

「姉さま!」

 私の顔を見るなり、ユーリが肩に担いでいたエルーダ様を横に投げ出し駆け寄ってくる。

 いくらなんでも王子様にその扱いはどうなの? と聞きたかったが真剣な顔でどこにも怪我をしていないかチェックする弟に口を挟むのはやめておく。


 クリスは膝をついて肩で息を吐きながらエルーダ様の横で座り込んでいる。

 まあ、本格的な戦闘なんかしたことがないだろうから、ここまで辿り着いただけでも褒めてあげないと。


 それにしても……。


「エルーダ様はまだ夢から醒めないの?」

「うん、かなりうなされてる。戦闘中に何度か攻撃が当たったのに目を覚さないんだ」

 ちょっとやばいかもなぁ。という割に心配しているようには見えない。


「ビエラ久しぶり。応援に来てくれたんだ」

 ユーリはヒラヒラと手を振る。

 出会った頃はあんなにつっかかっていたのに、ビエラが魔法の教師としてエルドラ家に来てからは、転移魔法を習ったりと兄のように懐いていた。


「今日はやけにめかし込んでるじゃん」

 エルドラ家で働くようになってから、擦り切れたマントを羽織ることはなくなっていたが、服装には興味がないのかいつも飾り気のないシャツとジャケットを身につけていた。

 それが今日に限って……いや、これが彼の本来の姿なのかもしれない。

 艶やかな真っ黒いマントから覗くジャケットには所狭しと宝石が散りばめられており、ちらりと見えるカフスは間違いなくルビーだ。


「ユーリ、応援なんかじゃなくてビエラが魔王だったのよ」

 さあ、驚きなさい! とばかりに私は重々しく発表したつもりだったのに、ユーリは「あーそうだったんだ」とあまりびっくりしたという感じではなく納得してしまう。


「ちょっと、ユーリ。ビエラが魔王だったのよ。騙されてたって怒らないの?」

「騙されてたとはちょっと違うかな。もともと人間じゃないって言ってたし、魔王だなんて告白できないのは仕方ないしね」

「まさか、魔王だって気づいてたの?」

「もしかしたら……とは思ってたよ。いくら魔女の血を引いてると言っても姉さま以上の魔力を持っているのは只者じゃないでしょ」

「ユーリが大人すぎて姉として寂しい」

「そう? ビエラには呪いの解き方とか随分教えてもらったし、悪夢を見ている場合、助け出す方法も教えてもらった。それに、結局この城の罠の解き方まで教えてもらっていたんだよね」

 だからスムーズにここまで辿り着けたよ。とユーリはすまして言ったが、私は呪いの解き方が気になった。


「やっぱり、ユーリ様には気づかれてると思ったよ。さあ、そこの魔法使いくんも一緒にお茶をどうぞ」


 ビエラがお茶に誘うと、クリスは訳がわからないという顔で私たちを見る。

 ラキシスが簡単にビエラのことを説明するが、眉間には深く皺が浮かぶ。それでも、黙っているのは私たちを信じているのと、様子見といったところか。



 ✳︎



「このティーカップうちから盗んでないわよね」

 いちごタルトとマカロンをお皿にとりわけ、薄紫のすみれに金の縁取りを施したお気に入りのカップを見下ろす。


「もちろん。盗んでなどいない。きちんとエルドラ家の紹介で買ったものだよ。ほら、あのシャンデリアもこのテーブルも。さすが公爵家が取引してる商会だけあってセンスいいよ」

 やっぱりね。なんとなくみんな見覚えがあるものばかりだ。

 魔王城には似つかわしくないけど。


「あ、この茶葉もアリエル様のお気に入り」

「本当だ」

 初めてお茶会を開いた令嬢のように胸を張るビエラになんだかため息が出たが、レモン色のマカロンを口に入れるとこれ以上追求するのがバカらしくなった。

 でも、まあこれだけは聞いておくか。


「サスキ様もグルなのね」

「もちろん。彼は僕の師匠で恩人だから」


 そっか、やっぱりサスキ様はみんな知っていたんだ。

 今頃、私たちのことを考えてほくそ笑んでいることだろう。


 仕方ない。

 サスキ様は私にとっても師匠で恩人だ。


 私の考えていることがわかったのか、ラキシスが隣でため息をついた。


「じゃあ、この話はここまでで、本題に戻りましょう」

「ああ、僕は君たちの意向に従うよ」

 ビエラは私たちが何しに来たのかを正確に把握した上でそう答えると、大きなアップルパイを切り分け私の目の前に置いた。


「実はこれは僕が焼いたんだ。ゴロンとしたリンゴが自慢」

「懐かしいな」

 ラキシスが、手づかみでアップルパイにかぶりついた。


「確かに美味しそう」

 私も一口ほおばる。


「うん、美味しい……じゃない! 何この茶番。そもそもビエラが魔王なら私たちここに来ることなかったよね」

「そんなことないだろ。山の中で告白しても驚きに繋がらない。それに、アリエル様たちが来てくれたから歓迎したけど、もしも軍隊だったら全滅させてた」

「そうなの?」

「当然だろ。やられたらやり返す」

「そう、それならよかった。じゃあさっさと平和条約に調印して」

 私は、ソファーの上に横たわっているエルーダ様の胸元から契約書を取り出しビエラに差し出した。


 手を伸ばしたビエラが受け取ると同時に、国王から預かった契約書が青い炎に包まれ燃え落ちる。


「あっ、なんで」

 灰すら残さず燃えてしまった契約書を見て、思わず大声で叫んでしまう。


「僕は国王とは交渉するつもりはないから」

「どうして?」

「どうしてって、嫌いだからだよ。ラキシスだってユーリ様だって嫌ってると思う」

「……」

 二人とも否定しないのね。

 当然と言えば当然だけど。


「じゃあ誰と交渉するつもり?」

「そうだな、国王以外の権力者といえば聖女か?」

「ダメよ。マリーは聖女にはならないんだから」

 私の言葉にビエラは肩をすくめると、立ち上がりエルーダ様を肩に担ぐ。


「仕方ない。話だけでも聞いてやるか」

 ビエラはものすごく意地悪な顔を残して、エルーダ様と共に消えた。

 咄嗟に横を見るとユーリとクリスの姿も消えている。


「私とラキシスだけ置いて行かれたの!」

「そうらしいな」

「ひどい。私たちだけまた森を抜けて帰れって?」

「いや、ここから転移できる。ただ、多分ビエラは王宮に行っただろうけど、俺は行ったことのないところには飛べないから一度マリーのところに戻るか」

「ラキシスを国王に合わせたくなかったってこと?」

「ただの嫌がらせだろ」

「そんなこと……あるかも」

 くすくすと笑いながら崩れ落ちた壁の隙間から月を見上げた。

 少し欠けているのに、辺りを眩しく照らしている。



「じゃあ、俺たちも行くか」

 ラキシスはそっと手を差し出す。

 いつもより優しい声と、風に揺れる髪になぜかドキドキした。

 心なしか、ラキシスが輝いて見える。

 こ、これはムーンマジックか?


「王宮までは距離があるから……」

 一人でも大丈夫と言おうと思ったけれど、ラキシスの耳がうっすら赤く染まっているのを見て、私はその手に自分の手を重ねた。

 ドキドキしていた心臓が、より一層早くなる。


「これで完全にシナリオから抜け出せたな」

「そうだね」

「アリエル……」

「何?」

「君とずっと手を繋いでいたい」

 なんで? と聞き返したかったがそれはあまりにも間抜けな質問になりそうで、グッと我慢する。


「この続きは、全て解決してからな」

 続きって?


「気になる?」

 コクコクと頷くと、ラキシスは唇の端に笑みをたたえた。

 そして、もう片方の手もぎゅっと握りしめると、ラキイスのキラキラした瞳が近づいてきた。


 近い近い近い。

 今度こそ唇にキスされる。

 そう思ってとっさに目を瞑った。


 チュッと、音を立ててラキシスの唇がおでこから離れていく。


 何それ? 何それ?

 期待しちゃったじゃない!


 足の力が抜けて、ふらつくとラキシスが大声で笑いながら横から支えてくれた。

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