第80話 質問

「聞こえますか?」

 エルーダ様はみるみる真っ青になっていき、ひたいには脂汗まで滲んでいる。

 さっきまでは元気そうだったので、明らかに外的要因だろう。

 ラキシスもユーリもエルーダ様を囲むように立ち、臨戦態勢をとる。


 なんとか起こそうと私は腕を掴んでゆすってみた。


「アリエル様、無理に起こさない方がいい」

 クリスも横にしゃがみ、エルーダ様の顔を覗き込む。


「なぜ?」

「ほら、まぶたが動いている。きっと夢を見ているんだ」

 その言葉通り、エルーダ様のきつく閉じたまぶたの下で眼球がせわしなく動いている。


「悪夢に引きずり込まれたのなら、早く起こした方がいいのでは?」

「いや、前に聞いたことがある。悪夢に取り憑かれた人間を無理に起こすと、その後もずっと悪夢を見続けるって」

「そんな……じゃあどうすれば?」

「自力で悪夢から抜け出すしかない」

「でも、目を覚ますまでここにいるわけにはいかないでしょ」

「別に、男なんだから僕たちが帰ってくるまでここに寝かせても問題ないじゃん」

「男でも王子様だからね。いくらなんでも置いてけぼりはダメでしょ」

 一応エルーダ様の従者であるユーリを見たが、知らん顔で考え込んでいる。


「ユーリ、もしかしてエルーダ様とここに残る?」

「まさか、なんで僕が」

 絶対それはない。と言い切られてしまう。


 クリスといい、なんでこんなにエルーダ様に冷たいんだか。


「城に着くまでには目を覚ますだろう」

 見かねたラキシスがひょいとエルーダ様を肩に担ぐ。「うーん」と眉をひそめたが目を覚ますことはない。


「姉さまはやっぱり引き返した方がいい」

「いきなり何?」

 ユーリは甲斐甲斐しく私の周りに防護魔法をかけていく。


「大丈夫。森に漂っている魔力くらいで悪夢を見たりしないから」

 心配だ。と顔に大きく書いてあるユーリの気持ちは想像できた。

 以前サスキ様を訪ねたとき、悪夢を見て取り乱す姿は、子供だったユーリにとって衝撃だったのだろう。


 悪夢の内容を聞くことはなかったが、それ以来、私の安らかな睡眠に細心の注意をはらってくれているのは間違いない。

 入寮する前に女子寮をチェックしたのはやり過ぎだったけど。


「もしも、悪夢を見るようなことがあっても、今の私なら自力で抜け出せるし」

 諭すようにユーリに手を添えると、渋々頷いてくれた。私の信用度もちょっとは上がっているようである。


「気をつけてよね」

「わかってる」

 思わず、ユーリの頭を撫で回してしまい、思いっきり拗ねられる。

 だってしょうがないじゃない。可愛いんだから。






「できるだけ俺の視界から離れるなよ」

 山の中、筍がりに出発する注意事項のように、ラキシスは一同を見回す。


 言葉には緊張感がないが、魔王城に向かって歩く私たちの周りを猿ほどの大きさの魔獣が取り囲んでいた。

 身体中をヌメっとした茶色の毛で覆われ、こぼれそうなほどギョロッとした目、とんがった耳に大きく薄っぺらい口元にバラバラに並ぶ牙が醜さをより一層ひきたてている。


「気持ち悪い」

 素直な感想が口から漏れ振り返り逃げ出したい衝動に駆られるが、身動きすればいっせいに飛びかかってきそうだ。


「僕たちは戦いに来たわけじゃない!」

 クリスが大声で叫ぶのを、慌てて口を押さえ黙らせる。同時に「ギャァァアァァ」と

 悲鳴があたりに響き数匹の魔獣があっという間にラキシスに切り裂かれた。


「黙って」

 緑色の血液が飛び散り、腐臭を撒き散らして絶命するのは何度見ても慣れるものではない。クリスは魔獣と戦うラキシスに目を奪われ固まっている。


「でも、僕たちは使者なのに」

 その言葉が妙に滑稽で私は口を抑える力を緩めた。


「魔獣にそんなことを言っても無駄よ」

 彼らはゲームで経験値を稼ぐ道具にすぎず、ストーリーのキャラですらない。


「魔獣は魔王の手先じゃないもの」

「そうなの?」

「そうよ」

「魔獣は魔王の手先だと思ってた」

 クリスが納得いかないというように首を傾げたが、その間にラキシスは片手にエルーダ様を抱えたまま全ての魔獣を切り刻んでしまう。


 そのあまりにも一方的な戦闘に、クリスは「もういいや」と投げやりにため息を吐いた。


「姉さまを巻き込むな」

 冷たい声で、ユーリが私とクリスの間に割って入る。


「次余計なことをしたら、しばく」

「ごめんなさい」

「ユーリ。そんなにキツく言わなくても。魔獣のことなんか知らないのが普通だから」

「こいつは王宮魔術師だろ」

「なりたてだし」

「姉さまの盾にくらいなれ」

 ユーリは言い捨てると、私たちの後ろを歩き始めた。




「アリエルの盾になるよ」

 そう言ったクリスは2時間も森を歩くと、死んだ目をしてフラフラと今にも座り込んでしまいそうだった。

 どんだけ、体力ないんだ。

 令嬢の私の方が元気である。


「肩を貸そうか?」

 あまりにボロボロなので、思わず聞くとユーリがすごく嫌そうにクリスを睨んだ。

「だ、大丈夫だから」と泣きそうな顔で首をブンブン横に振ったが、とても大丈夫そうに見えない。

 かわいそうだけどここで肩を貸したら、本当にユーリにしばかれそう。


 ラキシスも順調に現れる魔獣を始末してくれてるし、魔王城もだいぶん近くなってきたから大丈夫よね。


 と思った途端、目の前に溶岩のように赤く染まった川が立ちはだかった。

 ドロドロな流れはまるで血のようだ。


「これは一筋縄じゃいかないな」

 試しに、転がっている石を投げ入れると沈むより先に溶けて無くなった。


「私は水面を歩けるけど」

「却下だな。なんかいそうだ。引き摺り込まれたら厄介だ」

 なんかって何?


「空を飛ぶ?」

「いや、上空は怪しい魔力が濃くなっている。エルーダ様が目覚める前にあれをもう一度吸い込んだら帰ってこれない」

 帰ってこれないって、夢から目覚められないってこと!

 それはまずい。


「でも……」

 ここを渡らないと魔王城には辿り着けない。


「僕たちはエルーダ様が目覚めたら追いかけるよ」

 ユーリがラキシスからエルーダ様を受け取って肩に担ぐ。

 このメンバーで一番華奢なのに、ちっとも重そうじゃない。


「じゃあ、僕もいくよ。アリエル様の盾にくらいになるから」

「そんなフラフラじゃあ足手まといだ。魔力が回復するまでお前もここで待機」

 ラキシスの言葉にクリスは肩を落とすも、私から見ても今のクリスは役に立ちそうもない。

 魔王の森には魔力が満ちており、気を抜くとエルーダ様のように悪夢に引き摺り込まれたりと、常に魔力で防御が必要だ。

 いくら魔力が多いと言っても、私たちのようにチート設定の魔力量じゃないクリスには負担が大きかったようだ。


「アリエル様もここで一緒に待機した方がいいんじゃないの?」

「姉さまは僕より強い」

「それほど?」

 クリスの羨望の眼差しに、私はにこりと笑顔を返す。


「心配するな。穏便に話して帰ってくるから」

 ラキシスはそういうと、私をお姫様抱っこした。


 ?


「な、何するの!?」

 いきなり、端正な顔が間近に迫って声が上ずる。


「何って、護衛だが?」

「護衛するのに、抱き上げる必要ないでしょ」

「ある。この川には何か潜んでそうだ」

「私なら大丈夫よ」

「いいから、守られてろ」

 ラキシスの優しい眼差しに、なんと答えていいのかわからない。


「ユーリ様、いいんですか?」

 クリスが、何やら叫んでいるがドキドキと大きな音を立てる心臓のせいで聞き取れなかった。

 ただ、ユーリが笑って手を振るのが見えこれ以上抵抗しても無駄だと悟った。



「じゃ」

 掛け声と共にふわりと身体が浮き私たちはあっという間に川の上を飛んでいた。


「魔王城に着く前に聞きたいことがあるの?」

「なんだ?」

「もしかしてラキシスって、私のこと好き?」

「……」

「いや、誤解ならいいの。このところやたら近いし、ただ揶揄っていただけよね」

 恥ずかしいことを言っている自覚があるぶん、一気に顔に熱が集まってきて火を吹きそうだ。


 フッと口の端で笑われたまらず両手で顔を覆う。

 こんなときに、何言ってんの?

 落ち着け私。


 隙間からラキシスの顔をのぞくと、甘い瞳と目が合い、頭が混乱した。


「私の勘違いよね」




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