第75話 ひと時の平和
騒動から1週間。
夏休みの補習を避けるため、生徒たちは必死に勉強に励んでいた。
中でも魔法の技術試験対策は校内での練習場所が限られているため、いくつかある格技場では争奪戦が繰り広げられている。
「驚くほど平和ね」
温室の入り口から、順番待ちの列を眺めながらマリーが不満げに呟く。
確かに、王宮魔術師と教会が裏で手を組み聖女候補を誘拐していたというのに、学院には捜査を担当する騎士もいない。
あの日、囚われていた古城から戻るとマリーはユーリから私を奪い取り、泣きながら抱きしめてくれた。
そのまま一緒にベッドで眠ってしまったが、いつも凛々しいマリーの顔にはくっきりとクマができており相当心配したのだろう、眠りに落ちてもパジャマの裾を掴んだままだった。
「心配かけてごめんね。それとありがとう」
間違いなく一晩中お説教だと思っていたので助かった。
今日は寝て明日はマギの言っていた魔王の一部がなんなのか確かめよう。
興奮して眠れないかと思ったけど、横でマリーの寝息を聞いていると思いのほかぐっすり眠れた。
結局、次の日ユーリだけじゃなくソールからもマリーからも「無謀すぎる」とお説教をされたけど、これで真相に辿り着くと思えばどうってことない。
けれどエルーダ様はもちろん、アンガス様もクリスもフェリシア様も学院には姿を現さず、通常授業が行われるなか肝心の魔王を封印するためだという魔法陣は確認できていなかった。
しかたなく放課後グランディス先生の部屋を訪ねると、彼は私を見て満面の笑顔で「ロザリンを助けてくれてありがとう」とお礼を言われる。
「先生はロザリン嬢を知っているのですか?」
「ああ、実は彼女は私の姪なんだ」
「それじゃあ……」
クリスやアンガス様とグルだったってこと?
「騙すようなことをしてすまなかった。教会はもちろん誰が敵なのかわからなかったから」
まあ、確かに。教会どころか王宮魔術師まで関わっていたんだから、真実を言えなくても仕方ないか。
「アリエル嬢、今回のお礼は必ずさせてもらう。今日はこれから王宮で話し合いがあるから失礼するよ」
グランディス先生は急に厳しい表情を作ると、慌ただしく部屋を出ていった。
なんだかグランディス先生の言葉のニュアンスが妙に気になる。
話し合い?
追及じゃなくて?
王族に対してだからだろうか?
✳︎
「アリエル、ちゃんと食べないと力が湧いてこないわよ」
マリーがたくさんのケーキののったお皿を私に差し出す。
その中に、いつもなら絶対に譲ってくれないイチゴタルトまで入っていて、明るい声とは裏腹にマリーが心配してくれているのが伝わる。
「ありがとうマリー」
「今日の夜、聖女ラナの棺がある霊安場に行ってみましょう」
「え? マリー、いきなり何を言い出すの?」
エルーダ様の執務室の前には護衛がいて中に入ることができない。
何より、マリーは聖女に関わらないように礼拝堂ですら避けていたのに。
「わからないことだらけでモヤモヤする」
自分が興味あるようにマリーは言ったが、私のためであるのは確かだ。
「そうだね。もう1週間も経つのにアンガス様もクリスも登校してこない」
あれからグランディス先生にも会えないし、ユーリは何か知っていそうなのに「今、お父様が賠償交渉しているから姉さまは心配しないで」とにべもなく言われ、「交渉が終わったあと、僕が跡形もなく始末しておくから」と真っ黒い笑みを向けられそれ以上聞けなかった。
「どんな話し合いをしているのか、誰も教えてくれないのがモヤモヤする」
「一番腹が立つのはラキシスよ」
マリーが飲み干したオレンジジュースをドンとテーブルに置く。
「マギを始末したのはいいよ。そのあとは? エルーダ様に双子だってバレた? 王様とは対面した? 王族に復讐するの? 人がデリケートな問題だからって見守ってやってるのに一言の説明もないってどうなの!」
マリーが温室中に響き渡るくらいの大声で叫ぶ。
実際は保護魔法で私たちの周りから音が漏れたりしないのだが、私は咄嗟に辺りを見回す。
万が一、誰かに聞かれたら即首が胴体から離れてしまう。
「いくら音を遮断していても、唇を読むやつだっているぞ」
なんの気配もなく、ラキシスが私の横に腰を下ろした。
「出たな。この薄情者!」
「そう怒るなって、美人が台無しだぞ」
「ふん、美人は怒っても美人なのよ」
「世の中不公平だよな」
ラキシスはマリーの小言など、耳に入らなかのように私のお皿から食べかけのイチゴタルトをひょいとつまみかぶりつく。
「うまい」
「あー、何するの! この変態! アリエルから離れなさい!」
マリーがテーブル越しから私たちの肩を掴みぐいぐいと引き離し、それに対抗するかのようにラキシスが私を横から両手で抱きしめてきた。
ポッと頬に熱があつまってる気がする。
気のせい、気のせい。
これは軽いじゃれあいに過ぎないよね。
「アリエルの10m以内に入るなって言ったでしょ」
「1m以内の間違いだろ」
「10mよ」
「どっちにしろ、そんなのは無効だ」
ラキシスは不敵に笑うと、スリスリと私の頭に頬を擦りよせてきた。
「キャァァァァ、変態離れろ!」
マリーがサンドイッチの乗っていたお皿をラキシスに投げつける。
片手で余裕に受け止めるが、2枚、3枚と立て続けに投げられて、ラキシスは降参だというように私からちょっとだけ離れてみせた。
「これでいいだろ?」
「いいわけないでしょ……アリエルもなに顔赤くしてるの?」
「あ、赤くなんてなってないよ」
慌てて顔を背けたが、マリーは腕組みをして私をじーっと見つめる。
「忘れてるかもしれないけど、こいつはバッドエンドよ」
「おい、俺を元凶みたく言うな」
「元凶じゃないとでも?」
「少なくとも、俺はアリエルの嫌がることはしないし、全力で守るから」
「うん、わかってる。マリー大丈夫。シナリオ通りラキシスが私に危害を加えることはないから」
この前、古城で牢に現れたラキシスを見ても怖くなんかなかった。
今の私は無力じゃないんだから。
「ふーん。じゃあさっきのベタベタくっついてるのもアリエルは嫌じゃ無いってことね」
ニヤリ、とマリーは私を揶揄うように片方の口角を上げた。
「べ……ベタベタって、違うから」
「そうか、ベタベタしてもいいんだ」
「ラキシス、違うから」
ぷっと、頬を膨らませて睨むと、ラキシスはシュンとして俯いたがすぐに「でも心配したのスリスリはいいんだよな」と頭をまたぐりぐりと擦りよせてきた。
「なにそれ?」
「この前ユーリにされてただろ」
ユーリに?
ああ、牢でか。
「あれは、本当に心配かけたから……」
「私も心配したわ」
マリーがスクッと立ち上がり、私に駆け寄るとラキシスを押し除けて私の頬にスリスリしてくる。
まあ、今回はみんなに心配かけたのは確かなので、私は気の済むまでスリスリされながらそっとマリーの頭を撫ぜた。
✳︎
「ところで、あんたどうするの?」
マリーは私を抱きしめながら、横に座るラキシスに詰め寄った。
「とりあえず、静観することにした」
「静観ってどうして?」
この1週間、ラキシスからはなにも話してはくれなかった。それなりにデリケートな問題なので話してくれるまで待とうと思っていたが、この
「どうやら、俺を始末せずに捨てたのはマギの独断だったらしいし、エルーダも産んだ母親さえも俺の存在は知らないようだ」
「でも、国王陛下は知っているのでしょう?」
「ああ、側近数名は知っていたんじゃないか?」
「じゃあ、人知れず育てるつもりだったのね」
「それはどうかな?」
ラキシスの口調にははっきりとした否定が含まれていた。
確かに、ゲームでは奴隷のすえ勇者になるがその後も、決して王族と認められることはない。
でも、今は違う。
ラキシスは不幸設定勇者のままじゃないし、不幸になっていい存在じゃない。
「ラキシス、あなたが幸せになるために身分を取り戻したいなら、私たち協力する」
「ああ、この前から誤解があるようだけど、君の横に並ぶためだから」
「アリエルの横に並ぶため?」
マリーがピクンと反応する。
?
そういえば前もそんなことをラキシスは言っていたけど。
あの時は……でこチューされたんだった。
ぼっとほっぺたが熱くなり、咄嗟に私はおでこを手で押さえた。
「なにその反応?」
「別に、なんでもない」
「まさか、あんたアリエルに何かした?」
「さあな」
ラキシスがくすくすと笑いながら流し目を送ってくる。
やめて、色っぽい目で見ないでほしい。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、マリーがラキシスの頭を手で叩いた。
「もう、いちゃいちゃはいい加減にして」
いちゃいちゃって……いちゃいちゃじゃないから。
「それよりも、もっと詳しく。なんで静観なのか教えて」
「ああ、どうやら魔王討伐に行かないとならないらしい」
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