第55話 めぐり合ったら (ラキシス)

 ユーリに呼ばれて4階の談話室に入ると、そこにはお嬢様がいた。


「アリエル様……」

 桜色の瞳に捕らえられ、視線を外すことができない。


 魔力封じを解いてやるという約束も果たせず。子供だったとはいえ女の子の服を脱がし、トラウマを作ってしまった。後ろめたさから長い間直接顔を合わせていない。


 せめて彼女がこれ以上傷つかないで欲しいと、この数年、怖がらせないように影からこっそり見守ってきた。

 この学院でも今まで通り距離を置こうと思っていたのに……。



 入学して間もなく、敷地の隅に1本の桜を見つけた。

 瞬間、頭に浮かんだのは日本の桜でも、修行した山の桜でもなく、アリエル様の瞳の色だ。


「あの瞳をもう一度間近で見たいな」


 そんなことは叶わないだろうとわかっていても、同級生としてならあの澄んだ瞳をむけてくれるかも……そこまで考えて、首を振る。

 これじゃあまるでお嬢様によこしまな気持ちがあるみたいじゃないか。



 お嬢様に対する気持ちは、そんなんじゃなく、もっと純粋なものだ。

 同志とか。そういう友情に近い気持ち。

 そう納得して桜を目指して歩く。



 あったのは、想像よりずっと大きくて、今にも朽ち果てそうな枝いっぱいに花を咲かせた枝垂桜しだれざくらだった。


「素晴らしいな」

 魔力というよりは霊力に満ちた桜に話しかけ、静寂を邪魔しないようにゆっくりと近づく。


 そして、あまりに美しい光景に息をのむ。


 ハラハラと落ちる桜の花びらの中、天使が幹によしかかるように目を閉じている。


「アリエル様……」

 吸い寄せられるように跪き怪我がないか確認する。


 ほんのり色づいた頬と安らかな寝顔にホッと息を吐くと、前髪についていた花びらがひらりと落ちた。

 思いのほか間近で覗き込んでしまっていたようだ。


 そういえば、前にもあったな。

 水路に落ちて、2人で岸に打ち上げられたとき、息をしているか確かめた。


 あのときはいきなりアリエル様が目を開いて叫び出すから、慌てて口を口を覆ったっけ。

 胸の奥にジンと温かさが広がって、目覚める前に離れなきゃ、と思うのに立ち上がれない。


 こんなにぐっすりと眠っているんだ、ほんのちょっとだけ、この穏やかな時間を堪能するくらいは許されるはず。


 それに、意外にこの桜は人を惹きつけるようで、いくつかの人の気配がこちらに近づいてくる。


「敷地内といえ物騒だしな」

 お嬢様1人ここに残してはいけない。

 自分に言い訳をして、しばらくの間、この空間に誰も入れないように結界を張った。




「やっぱりな」

 結界に、わずかに歪みがしょうじる。


 この学院に、今でも国最初の聖女がかけた結界があることは知っている。

 それを魔術師たちが補強しながら守っているらしいが、この嫌な感じはなんだ?


 本来聖女の結界の中では普通の魔力量では魔法が無効化されるらしいが、聖女を上回る魔力があれば魔法は使える。

 俺の魔力なら問題ないはずなのに……。

 魔力が反発しあっているのか?



 まあ、原因はゆっくり調べればいい。


 今は2人だけの空間で、花見を満喫しよう。

 俺はお嬢様の隣に腰掛け、雪のように舞い落ちる桜を眺めた。




 うっかり寝込んでしまったのか、誰かが横で小さく叫んだ声で目が覚める。


 しまった。

 アリエル様が目覚める前に離れるつもりだったのに。

 いつか見た、真っ青な顔をしたお嬢様が脳裏に浮かぶ。

 気まずくて目を開けることができない。

 目を開けて、なんと言っていいかもわからないし、このまま寝たふりをしてしまおう。


 眉間に皺がよらないように自然に。

 肩に力が入って息が乱れそうだが、必死で平静を保つ。


 なんで走り去らないんだ?

 俺のこと怖いんだよな。

 ものすごく視線を感じるけど、自意識過剰か?


「あっ」

 いきなり、声を上げるとアリエル様は立ち上がって走り去った。

 まさか、俺のこと覚えてなかった?


 怖がられているのもショックだったけれど、忘れられるのはもっとショックだ。

 駆けていくアリエル様の背中に声もかけられず、ただ見送ることしかできない自分にイライラする。




 俺の結界の切れ間でウロウロしていた人物にアリエル様がぶつかった。


「エルーダ様」

 頭を下げて申し訳なさそうに謝ってる。

 俺の名前ではなく、あいつの名前をさらりと呼ぶアリエル様に心がざわつく。


 仕方ない、彼は王子様だ。

 物語の女の子はもれなく憧れる。アリエル様はヒロインかもしれないんだから、なおさらだ。

 そこまで考えて、思考を止める。

 これ以上はややこしい方向にしか結論は出ない。


 しばらく忘れていたけど、俺は不幸設定な勇者で忌み嫌われる双子の片われ。

 誰かを不幸に巻き込まないためにも、近づきすぎるのは良くない。


✳︎



 改めて、距離を置こうと思ったのに、なんの前ぶれもなく目の前に緊張した面持ちのアリエル様が座っている。


 アリエル様とマリアンヌ嬢が転生者だということも驚きだったが、バッドエンドが俺との腹ボテだったなんて想像もしてなかった。


 もちろん、魔物を産むとか超グロいが、俺自身にトラウマがあるんじゃないってわかって、なんだかホッとした。

 調べる必要はありだが、バッドエンドはさけられそうだ。


 そうなれば、距離を取るつもりだったけど、協力した方がお互いのためだ。

 なんだか楽しくなってきた。


「話はまとまりそうね。マギはどうするの?」

 3人で話をすり合わせた後、アリエル様が聞いてきた。

 その手にはまだ桜色の魔法封じが浮かんでいる。

 もちろんフェイクだが、マギが宮廷魔術師筆頭でいる限り、大っぴらに魔力を使ったりはできない。


「考えがある」

 俺だけなら、もうしばらくマギを泳がせてやってもいいが、アリエル様には自由に魔力を使わせてあげたい。



「マギには俺たちが味わったことを倍にして返してやらないとな」


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