第44話 悪役令嬢は息をひそめる。

「これ汚してしまいました」

 マリーが首をかしげて、ベトベトに汚れたハンカチをエルーダ様に手渡した。

 一瞬、何が起きたのかわからずに固まるエルーダ様。

 ゲームではいつも王子様スマイルだったけど、こんな抜けた顔もするんだ。


「皆様も、ハンカチありがとうございます。これは誰のでしょう?」

 数枚のハンカチをひらひらさせるも、茶色く染まったハンカチは、もはやだれのものかは判別不可能だ。

 もちろん誰ひとり名のり出るものはいない。


「困りましたね。洗えばまた使えると思いますのに。ではご迷惑ついでにエリカ様に浄化していただきましょう」

 マリーは一番初めに私をデスった聖女候補であるエリカに、落ちているハンカチまで拾って押し付けた。


「なぜ私が!」

「だって、さっき力になりたいって言ってましたよね」

「そ、それは……」

「私と違って、素晴らしい光魔法を使うとお聞きしました。きっと新品のような仕上がりですよね。あ、エルーダ様のハンカチも綺麗にしてもらいましょう」

 未だ、固まったままのエルーダ様の手から、汚れたハンカチをつまむと、それもエリカに渡す。

 これで、絶対に失敗はできない。


「でも、城の中では魔法は使えないのです」

「確かにそうですね。でも、大丈夫です。寛大なエルーダ様がきっと離島届を受理してくださるように、事務に掛け合ってくれるでしょう」

「ね」とほほ笑めば、すぐさま「もちろんだ。それは母上から頂いたものだから、綺麗になるなら助かる」と返事をした。



 普通ならハンカチの浄化魔法でこの島から外に出る許可など下りるはずがないのだが、そこは権力さえあれば融通が利く。


 エリカは涙目で食堂を後にした。


 可哀そうに。

 これで彼女は2週間、この学院に戻っては来られない。

 いや、それ以上かも。

 マリーが聖女候補にハンカチを手渡すとき、ちょっとした魔法をかけているのを見逃さなかった。

 汚れが落ちない魔法とかだったら、2週間どころではない。



 この島に入るのには、それはそれは膨大な量の身分証明の提示が必要で、出るときも学園長の許可がいる。いったん出てしまうと、もう一度身分を証明する必要があった。


 なにせ、ここは他国からも王族が通う学院だセキュリティーには万全をきしている。

 しかし、ここまで厳しいのにはもう一つ理由がある。


 その昔、魔王の放つ瘴気しょうき陥落寸前かんらくすんぜんだったライナ王国を、圧倒的な光魔法で救った伝説の聖女ラナの眠る城。

 ここまではここの生徒なら誰でも知っている。いや、国中が知っている。


 しかし、おおやけにはされていないが、彼女の最後の祝福でようやっとこの国が瘴気を寄せ付けないで存在できていること。

 今、聖女と呼ばれる光魔法の使い手はこの時の祝福を強く受けた者の血を引くにすぎないことは王族他一部の人間しか知らない。


 今の聖女が何人集まろうとラナ以上には決してなれることはなく、その亡骸に宿る魔法こそが最後の砦であり、この国最高の魔術師たちがかろうじて結界を張り、身を削って守っていることは、王子さえ知らない。



 結構重い設定だけれど、私はすっかりこれを忘れていて、つい最近マリーに教えてもらった。


「このゲームはすぐにやめたって言ってたのに、こんな細かな設定よく覚えてたね」と感心すると、「何言ってるのよ、設定読んでめっちゃ暗くて重いからすぐやめたんじゃない。まさかアリィは事前にリサーチしない派なの?」と笑われた。


 もちろん設定は読まない派です。



 *


「じゃあ、エルーダ様。私は制服のシミを落さなくちゃならないのでここで失礼しますね」

 用事はすんだとばかりに、マリーは私を振り返り「もう最悪~」と言って私の手を引いて食堂を出た。



「姉さま、大丈夫ですか?」

 振り向くと、追いかけてきたユーリが心配そうに駆け寄ってくる。


「ちょっと、顔が青いね」

 まさか断罪シーンを思い出してひやひやしたとは言えない。


「もっとしっかりしてください。アリィにちょっかいかけてくる人間はもう調査済みじゃなかったの?」

「もちろん、調査はしていますが貴族以外はこれからです。さっきも本当は殴ってやりたかったですが、突発的な状況での態度は意外に本心が出るので周りを観察させてもらいました」

 そうだ。ユーリにはしばらくは人間観察のため、表立って味方できないと言われていたのだ。


「いいのよマリー。ちょっとした嫌がらせくらい対処できるし、全く嫌がらせされないのも変でしょ」

「なんで? 嫌がらせされる前提なの?」

「それは、ほら。なんたって、11歳の誕生日にやらかしてるから」

「そんなの、公爵家なら何とでもなるでしょ!」

 マリーがむきになって、ユーリを睨む。


「僕だって、何度も姉さまに逆らうものは闇に落とすって説得しました」

「ユーリ、馬鹿なこと言わないの。私は目立ちたくないし、王家とも距離を置いているくらいがちょうどいいのよ」

 下手に普通の令嬢になってしまえば、公爵家のことだ王家だけでなくあちこちから縁談が持ち込まれないとも限らない。

 内心、ユーリもそれがわかっているから、無理に私の評判を回復させようとはしていないんだろう。


「悔しい!」

 マリーが叫んで私にハグをした。




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