お嬢様と流される

「お嬢様!」

 切羽詰まった声が上から落ちてきて、俺はようやっときつく閉じた目を開けた。

 スティーブは剣を握りしめ片手でお嬢様を軽々持ち上げると「建物の影に」と叫んで駆け出す。

 慌ててそのあとを追って走るが、護衛二人が矢を受け血を流し倒れているのを目にして、方向を変えて駆け寄る。


「よそ見せずこっちへ走れ」

 怖い顔で睨みつけられて、俺は命令通りスティーブの所まで全力で走った。

 その後ろで、地面に矢の刺さる音と人間の呻き声が聞こえる。

 一瞬足が止まりそうになるが、「走れ」という声に従う。



「伝令を送ったからすぐに応援が来る」

 ドキドキと心臓が壊れそうなくらい跳ねる。

 大きな鼓動を、両手で押さえて必死で鎮めようとしたが、うまく息ができない。

「ゆっくり息を吐くんだ。力を抜いていい」

 驚くほどやさしい手つきで、スティーブは頭をなぜてくれた。


 その目の前に、ボトリと矢で胴体を打ち抜かれた1羽の鳥が落ちてくる。

「ぐっ……」

 スティーブは悔しそうに言葉を飲み込むと、お嬢様と俺を物陰に押し込み、建物の上をにらみつけた。

 もしかして、これが伝令だった?


「小僧、顔を見たか?」

「太陽を背にしていたから、顔は見えなかったけど、一人だった気がする」

「やはり一人か……相手は魔術師だな」

「魔術師?」

「ああ、一度に複数の矢をつがえることは不可能だし、俺には二射目を放った時、一本の矢が途中で数本に分かれたように見えた。しかも正確に狙ってるところを見るとかなりの魔法の使い手だ」

 俺はスティーブのその言葉に、ある人物を思い浮かべながら通りに目を向けた。

 言葉通り、10本以上の矢が地面と二人の護衛に突き刺さっている。


「うっ」

 俺は彼らから目をそらし、こみ上げてくる胃液を手で押さえて地面に膝をついた。

 前世でも人の死体なんて見たことなかったのに、さっきまで側にいた人間があっけなく死んでしまうのを見て、ガタガタと身体が震えるのを止めることができない。


 この世界で貴族以外、命の価値は虫けらと同じだ。

 転生チートで簡単に死なないような気がしたけど、あっけなく死んでもおかしくないんだ。


 目の前が真っ暗になっていくのを誰かの声が遮る。

「今は考えるな、気配は一人だから大丈夫だ」

 でも、相手は魔術師、伝令が失敗した今、応援は来ないんじゃないのか?


「いいこと考えたわ、あなたが囮になりなさい」

 は?

 それまでスティーブの後に立っていたお嬢様が突然俺の手首をつかむと、おもむろに俺を物陰から押し出した。


 運動神経は鈍くないので、「え?」っと思ったときには、俺は咄嗟にお嬢様の腕をつかみ返して一緒に道ばたに転げ出てしまった。


 こいつ最悪!


 しかし、本当に最悪だったのは転げ出てしまった道路の先が用水路だったことだ。


 ゲッ、まずい!

 お嬢様のピンク色の瞳が大きく見開かれるのをどうすることもできず見つめたまま、二人してボチャンと水の中に落ちていた。


 俺は、泳げたが当然お嬢様は泳げないようで、その場でばたばたと手足を動かす。しかしフリルのいっぱい付いたドレスを着ていたので、あっという間に沈んでいった。


 助けようにも、子供の俺では引っ張り上げられそうもない。


 どうせスティーブが助けるだろうと、彼を見るが雨のように矢が降ってきてそれどころではないようだ。


 くそっ、終わりか。

 どちらにしろ、俺も時間の問題だ。通常の用水路は50㎝くらいの幅に、大人の腰くらいの深さしかないが、ここはちょうど水門がもうけられている場所で、1メートルくらいの幅があり深さも俺の身長を少し超えている。しかも壁は垂直で一人では這い上がれない。

 運が悪いな。

 これが不幸設定のせいなら、巻き込まれたお嬢様は救い出してやらなくては目覚めが悪い。


 覚悟を決めて、大きく息を吸い込むと俺は水の中に潜っていった。

 落ちた用水路は、生活用水に使われているもので、透明度が高いのがせめてもの救いだ。


 手を伸ばして、腕を掴むといっきに水面まで引っ張りあげる。

「濁ってなくてよかった」

 視界が悪ければ探すのに手間取っていただろう。


 俺は用水路の壁ではなく一段低くなった水門にしがみついた。


「おい、しっかりしろ。大丈夫か」

 未だ焦点の合っていない令嬢に大声で怒鳴る。

「おい、聞こえてるなら返事しろ」

 その声に、ようやっと意識がしっかりしてきたのか、ゲホゲホとむせながら、お嬢様は両手で俺の頭を押さえ込むようにしがみついてくる。


「おい、手を離せ溺れる!」

 何度もそう叫んで引きはがそうとしたが、全く耳には届いてないようで、力尽き二人で沈みそうになった。


 その時。

 前触れもなくしがみついていた水門が開いた。


「うわぁぁぁぁぁ」

 すごい勢いで流されて、俺はしがみついているお嬢様を強く抱きしめ返した。

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