お嬢様と二人きり


 ガタンガタンと繰り返し地を叩くような音で俺は目を覚ました。


「ここは……」

 周りを見渡すと、1メートルくらいの幅だった用水路は川に合流していた。流れは穏やかだが深さはかなりある。

 反対岸には音の原因である小屋が建っており、煙突よりもさらに高い巨大な水車が数台回っていた。



「どうやら人気ひとけはあまり無いようだけれど、見つかるのは不味いだろうな」

 俺は少し離れて横たわるお嬢様まで駆け寄ると、そっと口元に顔を近づけ息を確認した。

 ゆっくりと規則正しい呼吸音を聞き、安堵あんどしてしまう。

 いくら生意気でも、やはり子供が溺れるのを放ってはおけないからな。


 それにしても、こうして瞳を閉じていれば天使と言っていいほど可愛らしい。

 まじまじと眺めていると、いきなりパッチッと両目が開いた。


「うわぁぁ」

 やましい気持ちはこれっぽっちもなかったけど、思わず後に退いてしまう。


 俺の狼狽ろうばいした声に、一瞬呆然あぜんとしていたお嬢様が大きく息を吸い込む。


「きゃ……んぐぐぐっ」

 盛大な悲鳴を上げそうだったので、すんでの所、両手で口を押さえつける。


「シッ、シッ。大声を出さないで。悪い奴らに見つかる」

 できるだけ易しく言ったつもりだったのに、じたばたと俺の手を払いのけようとお嬢様が暴れる。

 全く、こいつは人の話を聞かないよな。


「静かにしてください。ここには護衛はいませんよ。騒いで奴隷商に見つかっても誰も助けてくれる人はいません」

 一瞬動きを止めるが、ものすごい怖い目で俺のことを睨んでいる。


「そんな顔したって怖くありませんから」

「……」

 どうやら、やっとおとなしくする気になったみたいなので、俺はそっと手を口元からはずした。


「無礼者、良くも私に命令したわね。ただじゃおかないから覚悟しなさい!」

 めいっぱい大声で叫ぶと、お嬢様は立ち上がりあたりをきょろきょろと見渡した。

 幸い、水車の音にかき消されたようで、水車小屋からは誰もでては来ない。

 うーん、やっぱり話の通じるタイプじゃ無いな。


「そうか、言いたいのはそれだけか」

「何なの、その態度。スティーブを呼びなさい。切り捨ててやる」

「そうですか、じゃあ」

 俺は、お嬢様を見捨てビエラの所に帰ることにした。

 正義感や罪悪感は捨てよう。

 こんな馬鹿に付き合っていたら、俺までまた奴隷に売り飛ばされかねない。


「ちょっと待ちなさい。スティーブを呼ぶ前に、まずは着替えを持ってきて」

 何を勘違いしたのか、お嬢様は俺に着替えをご所望されているようだった。

 返事もせずに、どんどん歩いていると後からぐちゃぐちゃと音を立てて子供の追いかけて来る気配がし、それに続きべちゃっと転ぶ音がした。

 社会人の俺、振り向くな。騙されるな、今は俺だって7歳だ。



「うぅ、うっぅ。」

 押し殺した鳴き声に、どーしても良心が傷み。しかたなく俺は後ろを振り返った。


 水を吸って重さを増したドレスが、転んだせいでさらに泥だらけになっている。


「「……」」

 しばしのにらみ合いの末、口を開いたのはお嬢様の方だった。


「ここはどこ?」

「さあ、領地の端じゃないですか? 木の向こうに城壁の見張り塔が見えるでしょ」

「あの小屋の人間に命令すれば」

「間違いなく奴隷商に売られて、どこか外国に売られるでしょうね」

「そんな馬鹿な」

「馬鹿だと思うなら、ご自分でいけばいいのでは?」

「お前が行ってきなさい」

「何故俺が?」

「何故って、決まっているでしょ。私はアリエル エルドラです。すべての領民は私の命令に従うのです」

 本気で言ってるらしいところがすごいな。

 いったいどんだけ甘やかせば、こんなわがまま娘が育つんだ?

 今まできっと一度も、自分の思いとおりにならないことなんて無かったんだろうなぁ。

 全然羨ましくないけど。


「そうですか。でも俺は違います」

「ちょっと、待ちな……」

 呼び止める声の後、またもやベッチョッと転ぶ音がする。

「お前も私を見捨てるの?」

 怒りなのか、あきらめなのか分からない声が聞こえた。


「お前もって、護衛2人は殺されたし、もう1人も矢が飛んできて手一杯だっただけだ」

 俺はこの先この領地を出て行くので、お嬢様にどう思われてもいいが、生き残った護衛騎士のことを考えると、理不尽に罰を受けるのはかわいそうなので、状況を説明してやることにした。


「この川を上っていけば、用水路の合流地点まで行けるだろ。そこまで行けばスティーブって護衛が迎えに来るんじゃないか」

 生きていれば……。

 相当腕が立つようだったし、こいつを本気で心配しているように見えたから用水路をたどって探しているに違いない。


「馬車を呼んできて」

 このおよんで、俺に命令するとは見上げた根性なのは確かだが、もう限界。


「平民の俺に馬車が呼べるわけ無いだろ。そもそも俺はここの領民じゃないから、お前とは無関係だ。見捨てられたくないなら、人にばかり命令せずに自分で動け」

 ちょっときつく言いすぎたかなと思ったが、これくらい言わないと分かりそうもない。

 そもそもこんな街の中心からはずれたところに馬車なんか来るわけないだろ。


「歩けない」

「服が重たいなら脱げばいいんじゃないか。中になんか着てるんだろ」

 真っ赤になって怒ると思ったら「自分では脱げない」とうつむいてしまう。


「しかたないな」

 俺は背中に廻って、ドレスの構造を確かめてみた。

 ビー玉を半分に割って布に包んだようなボタンが、たくさん並んでいる。


「これをはずせばいいんだな」

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