第10話 やっとお風呂に入れます!!……が?

続いた戦いでへとへとになりながらも、救世は教室に帰ってきた。

壁に囲われた教室の敷地内に入り、壁にもたれて座り込む。


「はほ~……」


肺に溜まった空気を吐き出し、脱力すると、ぐ~っといった音が腹部から発せられた。


「あ、救世さん。お風呂の方の仕上げ終わりましたよ……。すみません、お疲れでしたね」


奥から歩いてきた優斗が、壁にへたり込んでいる救世を見て穏やかに言う。


「いや、いいよ」


優斗はそう言った俺の横、入り口に立ち、さっきまで戦っていた草原を見渡す。


「大群と聞いてましたが、意外と少なかったので?」


「ん?」


きっと、草原で倒れているピグリングレートの数が少ないからだろう。


「あー、後処理めんどくさいかなと思って死なない程度に戦ってたんだよ」


「なるほどです。実際は何体ほどいたんですか?」


「最初のやつと合わせて九十くらい?」


優斗は少し目を見開いてこちらを向く。


「本当ですか。だからそんなにお疲れなんですね」


「まあなー」


それ以外にも原因はあるかもしれないが。


「あ、そういえば、お湯を作るのにいい案が出たんだが聞くか?」




「さぁー! 最後の一仕事だっ!」


「主に働くのは我なのだが……」


彩羽いろはさん、よろしくお願いします!」


救世、優斗、彩羽の三人は、お湯を作るため、既に水が貼られた銭湯のような広い浴槽の前に集まった。


「では、頼む、アルティメットしろ」


彩羽が言うと、肩の上に乗っていたミニ竜がぽちゃんと水の中に入っていき、巨大化する。横に広いこの浴槽の端から端まで届くデカさの竜が目の前に現れた。


「アルティメットしろ、【焔鱗Blaze scale】!」


すると、竜の体表がほのかに白く光り出した。


「体表に現れる炎を利用してお湯を温める……なるほど、彩羽さんの竜のスキルを利用した加熱方法ですね」


「正直、風呂に竜が入ってるって結構やばめだが……まぁ、彩羽の竜だし大丈夫だろ」


キュェエエエエエエ!!!


「な、なんだなんだ!?」


「あ、アルティメットしろ!?」


突然暴れて鳴き出した白竜に俺たちは困惑するが、すぐに落ち着いて水に浸かる。


「どうやら少し水に驚いたらしい」


「え? あんな水の流れるところにいたのに?」


彩羽の解説に俺は素早く突っ込みを入れた。


「では、お湯が温まるまで少し待つとしましょうか」


「ああ、そうだな」


優斗の提案に賛成して、俺たちは一旦教室の方へ戻ることにした。

脱衣所、トイレ、水道へと繋がっている廊下に出て教室の方へ行く。


「そういやーさ、死骸処理部隊なんていつの間に編成したんだ?」


俺が言うと、優斗が答えてくれる。


「二度目に救世さんたちが林に入っている間ですね。勝人さんがウルフを大量に持ってきたので、学級長の高村さんが編成したんです。まぁ……ほとんどの人はリタイアしてしまったのですが……」


「まぁそうだろうな……俺もちょっときついと思う」


「ちなむと、我も隊員なので今から手助けに行ってくる」


「お前、そうだったのか」


出入口近くまでやってくると、優斗は教室へと入っていき、俺はちょうど出入口から入ってきた女子学級長の小林こばやし藤花とうかと目が合う。


「あ、救世くん」


「よっ。お前も死骸処理部隊なのか?」


「まあね」


そして、俺は藤花が何か持っていることに気が付いた。


「お、お前、それ……」


「あ、これ? 掃除用具から借りてきたバケツだよ」


確かに、その青いバケツは掃除用具ロッカーにあったものだが……。


「なに入れてんの?」


「え? ピグリングレートの肉だけど?」


頼むから笑顔で言わないでくれ!!

藤花の見たくもない別の顔を知って、救世は目を瞑りながら横を通り過ぎた。藤花はそのまま焚いてあった火の近くまで行って、サッとこちらを振り向く。


「そういえば、救世くん、さっきお腹鳴らしてましたよね? お肉焼いてるんで後で来てくださいね」


「ア、ハイ」


言って、俺は彩羽と共に外へ出ようとすると、視界の端に人影を見た。


「やっ」


クラスナンバーワンのイケメン。田中たなか陽太ようただった。

三人で坂を下りながら、俺は彩羽に言う。


「彩羽はああなるなよ……」


「救世。我はこの世界に来て大抵のことはできるようになった」


彩羽は続ける。


「だが、どうやったらあんなおぞましいサイコパスオーラが出せるのか分からない。分かりたくもない」


俺は少し安心する。もし彩羽がサイコになってしまったら……たぶんその殺戮の嵐は誰にも止められないだろう。

そして、藤花。文面だけ見れば普通の会話に思えるが……完全にオーラが目に見えたな……。


「はは……藤花さん、ここに来る前はあんな感じじゃなかったのにね……」


「まるでここに来てからああなったみたいな言いぐさだな……」


陽太の苦笑いに、俺はため息をつく。


「……今いる死骸処理部隊って彩羽と藤花だけか?」


俺は隣を歩いていた彩羽に訊くと、彩羽は草原の方を見て言う。


「いや、もうひとり……」


「ヒャッ……ハッハァァァアア!!!!!! 豊作じゃあぁぁぁあー!!!!!」


「「「……っ!?」」」


三人は、真夜中の草原でモンスターの死体を前に大喜びして奇声をあげる……異常者を発見してしまった。

なかなかに近づくのは憚られたが、ここは救世のクラスメイトへのコミュ力。おそるおそる話しかけた。


「や、やあ、小沢おざわさん。解体作業おつかれー……」


自分のものであろう懐中電灯を歯で加え、なにやら開かれたピグリングレートの腹の中でカチャカチャと音を立てる少女。小沢:香奈かなは、こちらを目だけで見て言う。


「あ? なんのようじゃ、ゲームオタ」


ピキッ。

間違いではない。間違いではないので、ここは落ち着け俺。


「一人で大変じゃない? 明かりでも持って……」


「いらん。全部ワシがやる。オタは教室戻ってゲームでもしてろじゃ」


ピキ、ピキッ。


「おいこら、ちょっと立てや」


ついに堪忍袋の緒が切れ、拳を鳴らす救世。


「は? やんの? 正直、オタの内臓は筋肉無さそうじゃから、ずたぼろにしてもいいのう」


さらっと放たれた言葉に、救世の顔は青ざめる。


「あ、あの……冗談……ですよね?」


「至って真面目じゃが?」


「すみません! ごめんなさい! 調子乗ってましたぁぁああ!!」


ずささと背を低くしながら下がって、パタパタする救世を見て、香奈かなはふんとつまらなそうに鼻を鳴らす。


「まぁまぁ、小沢さんもそんなに怒らないで。仲良くしよう?」


救世の後ろに立っていた陽太が出てきて優しく言う。と、今まで黒いオーラを出しまくっていた香奈の表情がパッと驚きに変わる。


「よ、陽太さん……!」


香奈は加えていた懐中電灯と、持っていたナイフをその場に落とし、陽太の近くへ駆け足で寄る。


「こんばんは。とても良い夜ですね!」


「あ、ああ。そうだね」


少し香奈の勢いに押されながらも、笑顔で返す陽太。さすがだ。


「見てください! 今日は豊作ですじゃ!」


「今夜の夜食が楽しみだね。実は、僕はあんまりこういう生のは得意じゃないんだ」


「ああ、そうなのですね。後はワシがやっておくので、陽太さんは教室でお休みになっていてくださいなのじゃ」


「そうするよ。ありがとうね」


そんなやり取りを、救世と彩羽はジト目で見届けた。

未だ地面に正座したままだった救世に彩羽が手を差し伸べ、救世はそれを取って立ち上がる。

そして、三人で無言で教室へ帰り始めた。


「おーい。救世さん~!」


すると、教室の敷地の入り口から優斗がこちらに呼び掛けているのが見えた。




「では、大変ながらくお待たせいたしましたっ! みなさんお待ちかね、お風呂が沸きましたー!!」


「やっとお風呂入れるねー」「いやーまじ啓太と土山に感謝しかねぇよなー」などと、みんなが盛り上がる中、俺は一回手をパチンと合わせ、注目を集める。


「時間と技術的に風呂は一つしか作れなかったので、どちらが先に入るか、平等にじゃんけんで決めようと思う!」


じゃんけんの代表は誕生日が同じ学級長同士が選ばれた。


「それでは、男女平等を掲げるこの俺に誓って、男女どちらが先に風呂に入るかじゃんけんを行う! 男子代表、高村たかむら琉偉るい!」


琉偉が救世の右側に進み出る。


「女子代表! 小林こばやし藤花とうか!」


少しサイコだった新事実を明かした藤花が、救世の左側に進み出る。


「行きますっ! さーいしょーは、ぐー」


二人がクラスのそれぞれの意志を背負って拳を握る。


「じゃーんけーん」


二人とも拳を引き、勢いよく前に突き出す。


「ぽん!」


チョキ、グー。


「藤花の勝ち! よって、最初に風呂に入れるのは女子で決まりだぁー!」


「「「ああぁー!」」」


崩れ落ちる男子諸君。

女子たちは彩羽の案内に着いて廊下から脱衣所へ入っていった。


「みんなごめんよぉお……」


しょんぼりする男子代表、高村を、みんなは元気づける。


「まぁ、じゃんけんなんて運だからな」


「そうだ、そうだ。気にすんな」


救世と眠月が言い、琉偉は少し立ち直る。


「じゃあ、その間に制服の洗濯でもしましょうか」


優斗が言い、すかさず救世が言う。


「え、洗濯できるの!?」


「ええ。洗剤があればなおさらよいのですが、今回は……」


「洗剤なら俺、持ってるぜ?」


きっと優斗はうまいこと水洗いで済ませるつもりだったのだろうが、そこに眠月が入った。


「眠月……珍しくやるじゃねぇか!」


毅が言うと、眠月は教室の中へと入っていき、しばらくして出てきた。


「じゃじゃーん」


「おおー! お?」


「こ、これってさ」


「なにこれ、洗剤?」


「ちょっと違うような……?」


毅と、続けて宮本みやもと下田しもだ知野ちのが言う。

三人の後ろから顔を出した陽太が、その袋の表面に書いてある物質名らしきものを読み上げる。


「炭酸ソーダ……」


「なるほど、炭酸ソーダですか。なかなか珍しいものを持っていますね」


さすがの優斗も笑いながら言う。

たぶん、眠月は洗剤と間違えて買ってきたのだろう。バスケ部などの運動部はうちの学校では洗濯機が使えるが、洗剤は自腹なので個人で買ってくる必要があるのだ。


「それは何かに使えねぇのか?」


教室の壁にもたれていた啓太けいたが優斗に問う。


「そうですね、水と油があれば石鹸が作れます。全て同じ石鹸にはなってしまいますが、洗剤としてもシャンプーとしても使えないことはないでしょう」


「おお、ってことは眠月、結構役に立ったんじゃないか!」


啓太は眠月の肩に腕を回して、にひひと明るく笑った。


「ほー良かったぜ……まさか役に立つとは」


「普通に洗剤買ってきてたより役に立つな! シャンプーにも使えるんだし!」


眠月は炭酸ソーダを優斗に手渡す。


「では、石鹸づくりから始めましょうか」


「僕、手伝うよ」


「あ、俺も手伝うわ」


「じゃあ、僕も」


そうして、優斗と陽太、啓太、土山の四人は洗剤、シャンプー兼石鹸を作りに水道へ向かった。



ウォジェルの穏やかな寝息が教室の中に響く。

救世は焚火の横の正方形の石に座ってピグリングレートの肉を食べていた。さきほど藤花が焼いてくれたものだ。

さすがに、毒を盛られているなんてことはなかった。藤花に関しては間違いなく香奈の影響と異世界というのがデカいと思う。


「なぁ、お前ら……」


まぁ、こちらとしては遺体の処理をしてくれるのはありがたいのだが。


「行くっきゃねぇよな?」


にしても、ピグリングレートの肉って脂のってて美味いな。ダークウルフよりも。


「おい、救世」


「ん?」


肉を堪能していた俺に、毅が声をかけてくる。後ろにはいつものごとく宮元と下田と知野がいた。


「行くぞ」


「? どこに?」


「風呂だ」


「風呂? なんで今……」


救世の中で答えが出るよりも先に、毅に腕を引かれ、肉の最後の一口を食べて着いていく。


「……俺らの天国を見に行くぞ」


その一言で、俺は全てを理解した。

こいつは、毅は、やるつもりなのだ。

全男子の夢を、追うつもりなのだ。


「お前、まさか……」


「そうだ。今まで黙ってて悪かった。俺が、勇者だ」


「かっ……」


救世は息を呑んだ。


「お前らぁ! 女子風呂に突撃だぁー!!」


「「「おぉー!!」」」


俺は思った。

なんだこれ。



救世含め、計五人は制服のまま、毅の提案で、どこから持ってきたのか、二つ穴が空いた黒い布製の袋を頭に被った。

どうやらこの穴から外を見るらしい。

毅たち四人を先頭に、俺たちは風呂への進行を開始した。


「止まれ」


「っ……!」


俺たちの前に立ちはだかる影があった。


「高村学級長……」


「俺も学級長だからな、クラスの秩序を守る。ここは、己の心に背いて立ちはだからせて貰うぜ」


心の中では一緒に行きたいと思ってんのね?

すると、ぞろぞろと教室の陰から数名の男子が出てくる。

勝人と大杉おおすぎ太郎たろう、そして眠月だ。


「お前らまで……! くそっ! こうなったらやるしかねぇのか!」


毅はそう嘆いて、俺らの方を向く。


「お前ら! 絶対にここを抜けて天国へ行くぞ! かかれぇー!!」


「「「うぉー!!!」」」


声をあげて、四人は突っ込んでいった。

俺は、それを、観ていた。


「うおー!」


宮元が大杉に飛び掛かろうとする。すると、大杉は目を見開いて悲鳴を上げる。


「ヒー⁉」


ぶしゃーあ。


そして、鼻血を大量に噴き出して倒れた。


「え?」


鼻から血を流して地面に倒れている大杉を見て、宮元は呆然とする。


「あー、大杉はあれなんだ。鼻血が出やすい体質なんだ」


と、眠月が宮元に説明する。


「いや、だとしても出すぎだろ!? 噴水みたいに出たぞ一瞬……」


救世が突っ込むも、眠月は平然と、


「まぁ、出ちゃうんだし、しゃーないでしょ」


と言った。


「【創水クリエイトウォーター】!」


「からの、【並行風フロウイングウィンド】!」


下田の手の前に複数の水滴が出現し、それを知野が風で飛ばす。

それは高村学級長へと飛んでいき、学級長は両腕をクロスして水滴を防ぐ。


「くっ!?」


が、強く吹き付けた横風によって押され、しりもちをついた。

二人はお互いにガッツポーズをした。


「あいつら……何気に連携してんな……」


「だなー。ああやって魔法って組み合わせて使えるもんなの?」


俺が言うと、眠月は俺の横に立って訊いてくる。


「まぁ、ゲームだとできるのは少ないと思うが」


「へー」


この二人は戦う気ゼロであった。


「っ……!」


「「「毅!!」」」


一方、たけしは勝人と対面しており、お互いに向き合ってお互いの両手を掴んで押していた。


「ふっ……!」


お互いに手を離し、少し距離を置く。

そして、拳を構え、パンチとキックを合わせた戦いが始まる。


「え? これ結構がちで戦ってない?」


俺の見る限り、お互いに実力を確かめ合っているかのようなマジの戦いに見える。実際、肩など強いところにパンチを当てたりしていた。

すると、毅が上段蹴りをする。勝人はそれを後ろに下がって避ける。

毅が詰めるが、勝人がいち早く反応し、パンチを連続で繰り出す。

が、毅はそれを全てのらりくらりと躱し、勝人のパンチを両方とも弾いて、勝人の首元に手刀を突き付けた。

勝負ありだ。


「勝人、お前は攻撃のときの隙がデカい。もっと体術を磨くんだな」


言って、毅は勝人の横を通り過ぎる。勝人は、止めなかった。代わりに毅にこう訊いた。


「毅、何か習ってたのか?」


「ん? まぁ、空手をちょっとな」


アイツマジか。

一番驚いていたのは救世だった。

まぁ、確かに戦ってるときも相手の動きをよく見れてたしな。魔法なしのパンチも結構威力高そうだったし。

こうして、毅一行は高村学級長軍との戦いで勝利を収め、先に進んだのであった。


「おい、救世」


「?」


「? じゃねーよ。お前も行くんだよ」


毅に言われ、俺は手を引かれてそのまま連れていかれた。

そして、脱衣所にて。


「お前ら、ここまでよく辿り着いた。心の準備はいいな?」


ゴクリ。


「誰が欠けても気にするな。突き進め。そして、無事に帰ってこい!」


「「「おう!!」」」


「おーう」


そう全員が決意を固めたとき、


「毅たちー」


名前を呼ばれ、毅は脱衣所と廊下を繋ぐもう一つの短い廊下を見る。

ちなみに脱衣所は教室に直結している廊下から入り、突き当りを曲がると、石の棚が並ぶ空間(脱衣所)へと出るようになっている。


「ん? どうした啓太」


「これ持ってってくれ」


ひょっこり顔を出していた啓太から白色のプラスチックバケツを貰い、俺たちは脱衣所から風呂へと向かう。

ちなみに脱衣所から風呂へも二回曲がって行くようになっている。これはドアが作れない現状、服を湿気から守るためのものだ。

そして、俺たちは二回角を曲がり、風呂がある空間を目の前に止まる。


「では、健闘を祈るぞ、お前ら。とつげきぃいいいいい!!!!!!」


毅が言うか早いか、五人は風呂場へと乗り出し、走る。


「おえ!? 何あれ、黒マスク!? いや、男子!?」


見ると、浴槽には大きな竜、その周りで女子たちが入浴しているのが見える。声を上げたのは体にタオルを巻いて立っている烈花だ。


「アルティメットしろ、【濃霧Blind fog】!」


今度は彩羽の声。すると、竜が口を開き、そこから白い霧が出てくる。あっという間に風呂場は濃い霧に包まれてしまった。


「止まるな! 走れ!!」


霧の中から毅の声が聞こえる。ずいぶんと前の方だった。


「みんな、浴槽から出て! 男子たちが居なくなるまで逃げて!!」


そう言ったのはたぶん美里だろう。そんな気がする。

そして、俺は、走るのを、止めた。

歩いた。

だって危ないし。滑って転ぶのは勘弁だし。マスクのせいで視界悪いし。

だから、歩いた。


毅は、走っていた。

そして、人影を見つけ、風呂場の真ん中で立ち止まった。


「おにいちゃん」


霧の中から、体にタオルを巻いた女子が四人。姿を現した。

毅は笑みを浮かべる。


「ふっ。さすが妹よ。すぐに正体を見破ったか」


「いや、だってこんなことするのあんた以外にいないでしょ」


溝口みぞぐち愛南あいな。毅の妹である。が、現在、年齢は同じである。


「愛南、おにいちゃんは今な、男の夢を実現しているのだよ」


「そう? じゃあ、とっととくたばって出てってくれる?」


「ふっ。やるきか?」


黒マスクごしに、毅は愛南を見据える。愛南もまた、拳を用意して構えた。


「やっちゃってください、愛南さん!」


「ボッコボコにしちゃってください!」


「いけー」


愛南の後ろに立っていた女子三人組、小口こぐち尾川おがわ中田なかだがそう順番に言った。


「ッ!!」



一方、その頃。救世はぺたぺたと風呂場を歩いていた。

靴が濡れるのは嫌なので、裸足で来たのだ。

すると、少し前に壁が見える。霧の中を方向も分からず歩いてきたので、とりあえず壁側に寄ろうと、歩いていく。と、


「待っていたぞ。曲者」


声を掛けられ、俺は少し右を見る。そこには、壁にもたれて立つ女子の姿。


「い、彩羽……」


霧でよく見えないが、声と口調的に彩羽だろう。


「我が入浴しているときに攻めてくるとは、いい度胸だ」


言って、彩羽はぺたぺたと歩いてこちらに向かってくる。

やばい。このままじゃまずいぞ……! 確実に殺されるっ!! 逃げるか? いや、この霧の中じゃ、どこが出口なのか分からねぇし……!

焦りながらキョロキョロしている間に、彩羽はどんどんと近づいてくる。


「まずはその黒マスク、剥いでやろう!」


言うと、彩羽は走り出し、救世に飛びかかろうとしてくる。


「やばい、にげっ……」


俺は素早く身を翻して走ろうとした、が、


つるっ


「おわっ!?」


そんな高い音が鳴って、救世は後ろにすっころびそうになって更に身を翻し、


「きゃっ!?」


結局、倒れた。


「いたた……」


何とか右に全体重を掛け、右肘で倒れた衝撃を受けた。

一方、左手はというと、何やら柔らかい感触を手のひら全体で受け止めていた。

そっと目を開けると、すぐ目の前に彩羽の呆けた顔が見えた。鼻と鼻がくっつきそうなほど至近距離だった。

水滴を浮かべた艶やかな黒髪に、真っ赤で大きな双眸、まだ少し幼い顔立ちまで、はっきり見えた。


「きゅ、救世……!?」


さすがに風呂では眼帯してないんだなと、そんなことを思いつつ呆けていた救世は、彩羽の顔がどんどん真っ赤になっていっていることに気づいた。

そしてようやく、自らの左手を見て、すべてを理解した。そして、自分が黒マスクを付けていないことも同時に気がついた。


――あ、しんだ。


悟ってすぐ、救世は右にゴロゴロと転がり、立ち上がって叫びながら全速力で走った。


「すみませんでしたぁぁぁ!!!!!」


おじいちゃん、おばちゃん。

俺、オワッタかも。


そんな救世の辺りにはいくつかの石鹸が転がっていた。

次回に続く。

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