第32話 人間の悪意
◆
「はぁ……楽しかった……」
「ふふ。そのようですね、祈織様」
怒涛の四日間を過ごし、俺たちは今車に揺られて地元へも向かっている。
俺の横には雫が。対面には和樹と東堂が座っていて、みんな疲れているのか爆睡中。
唯一起きている俺は、助手席の宮部さんと話をしていた。
「休みが空けたら学校か……嫌すぎる」
「私も、お嬢様のいない休日は久々でしたので、羽を伸ばさせていただきました。少々名残惜しくはありますが」
「宮部さんは休みの間、何をしていたんですか?」
「二日だけ実家に帰りまして、あとはグルメ巡りをしていました。美味しいラーメン屋を見付けたので、後で教えますね」
「ありがとうございます」
……なんか、普通だな。宮部さんのことだから、俺と雫が付き合い始めたことは知ってると思うけど。
ちょっとそわそわしていると、宮部さんが鏡越しに笑みを向けてきた。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ。その……」
「お嬢様とお付き合いされたことについて、何も聞かれないのが不思議……ということでしょうか」
「……やっぱり知ってたんですね」
「ええ。お嬢様から嬉しそうな電話を頂きました」
獲物を手に入れて飼い主に意気揚々と見せに行く猫みたいだな。
「おめでとうございます、祈織様」
「ありがとうございます」
「……何か不安がある、と言った顔でございますね」
流石。この人に隠し事は無理か。
横目で雫を見る。
安らかで幸せそうによだれを垂らしてやがる。人の気も知らないで。
「……雫から、結婚を申し込まれました」
「おめでとうございます」
「おめでとうございますって……いいんですかね、俺で。だって俺、本当に平凡なんですよ? 学校の勉強も、運動も、人望も、何もかも普通です。……そんな俺が、雫と釣り合うとは……」
雪守雫という完璧美少女と俺が釣り合うなんて、おこがましいにもほどがある。
体の相性がよく、そこから始まった恋とは言え、俺と雪守は身分が違う。
これで不安にならない方がどうかしているだろう。
「そういうことですか……確かに、雪守家という名家に婿入りするのであれば、不安も大きいでしょう」
「そうなんですよね……」
「私は何も心配はいらないと思いますが、不安なのでしたら屋敷で一緒に住むというのはいかがですか?」
「一緒にねぇ。……………………………………え?」
今、すごくスルーしそうになったけど……え、一緒に住む?
「そんなこと出来るんですか?」
「お嬢様がいいと言えば、明日にでも」
「で、でもご両親とか……」
「当主様と奥方様は、お嬢様のお決めになられたお相手なら、誰でもいいと」
「だ、誰でもいいって……輩でも?」
「雪守家の更生プログラムで真人間にしますので、そこは些末な問題です」
更正プログラム!? 雪守家そんなことまでやってんの!?
「私たちは、お嬢様がお決めになられたお方を向かい入れるだけですよ」
「そ、そっすか……」
「もしご希望があれば、雪守家の方で家庭教師を付けますが。スポーツ等のインストラクターも付けられますよ」
「……考えさせてください」
「かしこまりました」
至れり尽くせり過ぎて怖い。俺の前世、一体どんな徳を積んだんだろうか。
でもこれをまるっきり受けるって……それでいいのかな、俺は。
窓の外を見て色んなことを考える。
と……あぁ、急に眠く……疲れが今出たみたいだ。
「すみません宮部さん。俺、ちょっと寝ます」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、祈織様」
宮部さんの言葉を聞き、目を閉じる。
疲れがピークに達し、車の揺れで完全に眠気が天元突破をすると、俺の意識は闇へと落ちていった……。
◆
そうして、家に着いたのは十六時。
日が傾き、西日が指す時間だ。
俺は雪守家の車から降りると、窓から寂しそうにこっちを見てくる雫と目が合った。
「あぅ、寂しいです……」
「休み明けには会えるだろ? それまでの我慢な」
「うぅ……」
そんな捨てられた子犬みたいな目で見られても。
苦笑いを浮かべつつ雫の頭を撫でる。俺だって離れたくないよ。……本当にさっきの話、受けようかな?
「ったく、見せつけてくれるなぁ、祈織」
「本当よ。イチャイチャしすぎ」
「てめーらにだけは言われたくねぇ」
あとそのニヤニヤ顔やめろ。なんか腹立つ。
名残惜しいが、いつまでもこうしている訳にはいかない。
車から離れると、ゆっくりと動き出して走り去ってしまった。
「……はぁ、終わった……」
楽しい旅行だった。楽しい思い出しかない。
こんな幸せでいいのかな、俺。
……とりあえず、荷物を部屋に運ぼう。そんで、今日はゆっくりと──
「祈織」
「──……ぇ……?」
な……ぇ……は……?
突然掛けられた女性の声。そしてアパートの影から現した姿に、俺の思考が凍りつく。
雫や宮部さん、東堂には遠く及ばないが、美人と言っていい女性が、にこやかな笑みで俺を見る。
なんで……なんでこの人が、ここに……?
最後に会ったのは一年前。……俺が、家を出た時。
中学まで俺を預かってくれていた、母さんの妹……おばさんだ。
俺の記憶にあるおばさんは、俺の方を見向きもしなかった。見ても、感情のない目で見るだけ。
でも今のこの人は、俺を優しい笑顔で出迎えていて……正直、気持ち悪かった。
「祈織、お帰りなさい。待っていたのよ」
「ま、待ってた、て……なんで……?」
「家族なんだもの。顔を見に来るのは当然でしょ?」
……家族? 今、家族って言ったか……?
俺とこの人たちにそんな関わりはない。飯は食わせてもらった。寝床は与えられた。……それだけだ。そんなの、家族とは呼ばない。
「……何が目的ですか?」
「だから、顔を見に来ただけって……」
「あんたたちは、俺には全く興味を抱かなかった。なのに今更、そんな理由が通じるとでも思ってるんですか?」
俺の言葉に、おばさんの笑みは少し崩れる。
これだ。この俺を疎ましく思っている目。これが嫌で嫌で仕方なかったんだ。
「……まあいいわ。ええ、その通り。ちょっとだけ用があって来たの。……久々にあなたの口座を確認したわ。すごいわね、あのお金。どこかでバイトしたの?」
「……なんで、俺の口座を……?」
「たまたまよ。曲がりなりにも保護者だから、確認は必要でしょ?」
おばさんはポシェットから通帳を取り出すと、俺にその額を見せてきた。
額にして三百万円近く。普通に大金だ。
「それでね、祈織。今おばさんたち、お金が必要なのよ」
「……何が言いたいんですか?」
「だから──あなたの口座の暗証番号、教えてくれない?」
………………………………は?
え、今……なんて?
おばさんは笑顔を浮かべながら、通帳をゆっくりと撫でる。
目の奥には、金に目が眩んだ欲望が渦巻いていた。
「あなたを中学生まで育ててあげた。高校も行かせてあげた。私たちはあなたの育ての親……なら親孝行するのは当たり前でしょ? ならこのお金も、私たちのもの。ほら、教えなさい?」
「…………」
バカバカしすぎて言葉も出ない。ここまでとち狂ってたのか、こいつは。
おばさんはゆっくり俺の方へ歩いてくると、気持ち悪い笑みで腕を広げる。
「おばさんたちのために、よく頑張りましたね。抱き締めてあげるわ。さあ、来なさい」
……気持ち悪い……。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……!
こんなにも人間の悪意が気持ち悪いと思ったのは、生まれて初めてだッ。
誰か……助けてくれ……!
雫──!
「祈織くん!!」
「────ぁ……雫……?」
突然、俺とおばさんの間に割って入ってきた、小さな女の子。
最愛の彼女……雪守雫だった。
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