第29話 お嬢様と平凡男

「えっと……落ち着いた、か?」

「は、はい……!」



 ようやく泣き止んだ雪守。

 だけどさっきの事を思い出しているのか、顔を真っ赤にして俺から少し離れた場所に座っていた。

 まあ、俺もちょっと落ち着きたかったからいいんだが……。



「あー……雪守」

「ひゃっ、ひゃいっ……!?」



 話しかける度にこの調子だ。ずっと緊張してるというか、俺を警戒してるというか。

 そんなに警戒されると、俺もちょっと困るんだけど。



「えー……その、さっきのことだけど、あれは俺は嘘じゃないというか、本気というか……」

「わ、わかってまふっ。わかってましゅ……!」



 こくこくこくこくと頷く雪守。

 そ、そっか、わかってるか。……てことは。



「ゆ、雪守が俺を好き、ていうのも……?」

「は……はぃ……」

「そ、そっか……」



 どうやら聞き間違いじゃなかったらしい。

 俺は雪守に告白して、雪守も俺のことが好きで……。

 えーっと……えっと、え。マジか? 本当に? 今だに信じられないんだけど。



「て、ことは……つ、付き合う?」

「わ、私はお付き合いしたい、です。はい……」



 雪守は少しだけこっちに近寄り、俺もちょっと近付く。

 もう何回も体を重ねてるし、雪守の裸も親の顔より見ている。

 それなのに、今までこんなに緊張することなんてなかった。お互い体を重ねるより、気持ちが重なったときの方が緊張するし……嬉しい。

 これが、両想いってやつか。

 と、雪守の手がそっと縁側に置かれた。俺もゆっくりと手を伸ばすと、雪守の手に触れる。

 雪守も、指を絡めるようにして手を繋いできた。

 静かな時間が流れる。気持ちがゆったりとしてるというか、充足感に溢れてるというか……そんな感じだ。



「それにしても、雪守も俺と同じことで悩んでたんだな」

「そ、そりゃそうですよ。体を重ねるたびに想いが大きくなっていくの、抑えるのに必死だったんですからね」

「まあ、いわゆるセフレから相手を好きになるって、ちょっと気まずいもんな……」



 特に女性からしたら、軽い女って見られるのを怖がるだろう。

 俺も雪守が突っぱねたらと思うと、怖かったから……気持ちはわかる。

 でも俺たちは、その恐怖に打ち勝った。打ち勝つことができた。

 本当、こんなことになるとは思わなかったな。



「あとは結婚だけですねぇ」

「そうだな」



 …………。



「え?」

「え?」



 きょとんとしている雪守と目が合う。

 待て、今雪守なんて言った?



「えーっと……結婚?」

「はい。結婚です」

「……俺らが?」

「そうですよ。しないんですか?」

「する、しないの前に、気が早すぎるんだが!?」



 え、俺たち今付き合い始めたばかりだよね!? それなのにもう結婚の話!?

 雪守は鈴を鳴らしたように笑うと、まさに女神のような笑顔で俺を見つめてきた。



「まさか雪守家の一人娘と付き合うのに、その覚悟がないんですか?」

「そ、それはだな……」



 確かに、雪守家のご息女に手を出して、更に付き合うことになって……喧嘩したからはいさようならは出来ない、か。

 だからって結婚は本当に気が早すぎる。俺ら高校二年生だぞ。



「ふふ、まあいいです。絶対逃がしませんから、この話はおいおいしていきましょう」

「ひぇっ」



 訂正。女神のような笑顔じゃない。女神の皮を被った、獰猛な肉食獣の笑顔だ。



「それに仲のいい家族に憧れを持つのは、初瀬くんも同じでしょう?」

「う……それは……」

「大丈夫です。私は全部わかっていますから」



 雪守が俺の頭を撫でる。

 そうか……雪守は、俺の家の事情を全部知っているんだっけ。

 俺には両親がいない。生まれてから親戚の家をたらいまわしにされていた。

 中学まで身を寄せていた家でも疎まれ、高校無償化制度を使って高校は行かせてやるが、バイトして一人で生活しろと言われた。

 だから暖かい家庭というのを知らない。だからか、そういう家庭に誰よりも憧れを持っている。

 それを雪守と築く、て……。



「雪守はいいのか? その……俺みたいな半端モンと結婚って」

「何を言いますやら。初瀬くんだからいいんですよ」

「……そっか」



 そう言われると……認められたみたいで、なんだかいいもんだな。

 なんだかむず痒くなって頬を掻くと、雪守が「さて」と言い立ち上がった。



「じゃ、エッチしましょうか」

「お前今日唐突すぎない?」

「そうですか? ……そうかもしれませんね。自分でも引くくらいテンション上がってます」



 いや、そうは見えないけど。

 雪守は月光の下で俺の方を向くと、帯を外して浴衣の前をはだけた。

 下着は付けていない。もう何度見たかわからない、雪守の裸だ。



「見てください。あなただけの体ですよ」

「ああ……綺麗だ、雪守」

「ふふ、ありがとうございます。……でも、その雪守っていうのはちょっと嫌ですね」

「え?」

「付き合い始めたのですから、名前で呼んでほしいです」

「な、名前……」



 そ、そうか。そうだよな。せっかく付き合ってるんだし、名前、名前……。

 雫。雫だよな。雫、雫、雫……。



「し、し……しー……」

「ほらほら、はーやーくー」

「わ、わかってるって」



 今更名前呼びって、なんだか緊張するな。



「し、し、し……しず、しず……しずしずしずしずしずしず……しず、く……」

「はい、もう一度言ってください、祈織くん」

「ぅ……雫……」

「祈織くん」

「……雫」

「祈織くん♡」



 もうやめてくれ、恥ずかしすぎる。

 俺は立ち上がると、雪守……雫に背を向けた。



「も、もういいだろっ。……するなら、部屋戻るぞ」

「初めての恋人イチャイチャエッチですね。興奮します」

「何言ってんのお前」



 雪守は浴衣の前をはだけさせたまま、俺の腕に抱き着く。

 さっきまでの気まずい空気はどこへやら。

 俺らの間には、誰がどう見ても幸せで、甘い空気が漂っていた。


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【作者より】

 当作品に関する近況ノートを作成しました。

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