第13話 二匹の獣

 ホテルに到着すると、雪守を伴って部屋に戻る。

 流石に疲れたな。体力的というより、精神的に。

 でも胃の方はだいぶスッキリした。車の中で宮部さんに貰った薬のおかげだ。



「雪守、今日はもう休もう。慣れない外出で疲れたろ?」

「…………」

「……雪守?」



 おかしい、雪守が立ったまま動かない。

 いつもなら、疲れていたらベッドやソファーに飛び込むのが恒例だ。

 やっぱりどこか悪いんじゃ……?



「雪守、大丈夫か? 今宮部さんを……んぐっ!?」



 んっ、えっ……きっ、キス……!?

 突然動き出した雪守のキス。しかも激しく、情熱的に深く絡ませてくる。

 キスなんて今更だ。だけどこのタイミングがよくわからない。

 雪守は逃がさないよう俺の後頭部に手を回し、舌で口の中を蹂躙してきた。



「ちょっ……ゆきも……!?」

「んっ、ぁっ、ふっ」

「ま、まっふぁ! まっ……!」



 雪守が完全に俺に体を預け、その拍子にバランスを崩した。あ、あぶ……!?

 ぽふっ──。

 た……助かった。後ろがソファーで……。

 そっと息を吐くと、俺の上に跨った雪守が豪快にワンピースを脱ぎ捨てた。

 止めるまもなく、下着姿を露わにする雪守。

 呆然としていると、また深いキスをしてきた。



「ま、待て待て! どうしたんだよ、一体。愛欲は解消されたんじゃ……!」

「……なぃ……」

「……ぇ……?」



 雪守がボソリと何かを呟く。

 しかしその顔はいつもの女神のような笑顔でも、俺の前だけで見せる無邪気な笑顔でもない。

 愛欲に支配された、淫靡で妖艶な笑みだった。



「わかんない、です。でもどうしても、あなたが欲しくて、欲しくて、欲しくて……どうしようもないんです……!」

「雪守……」

「体が熱い。心が渇いている。どうしても、どうしても、どうしてもっ。体の内側からあなたを感じたい。初瀬くんの全てを感じたいんです!」



 今まで、こんな雪守なんて見たことがない。

 どんなにストレスが溜まっていても、どんなに疲れていても、どんなに愚痴を漏らしても。雪守がこんなに暴走することはなかった。

 雪守の心に何があったのかわからない。

 でも雪守が……俺の雪守主人がそれを望むなら、欲するなら、従者は全力で応える。

 それしか、俺には出来ないから──。



   ◆



 夜。間接照明が照らすベッドの上で、雪守は俺に抱きついていた。

 寝てはいない。ただ無言で、俺に全身を絡めている。



「……激しかったです」

「お前が求めてきたからな」

「わ、私がエッチみたいな言い方やめてください」

「違うのか?」

「……体の相性が良すぎるんです。初瀬くんのせいです」

「なんだそりゃ」



 まあ、俺もいつも以上に燃えたから、人のことは言えないけど。

 寂しそうに抱きついてくる雪守を俺から抱き寄せると、幸せそうな顔で擦り寄ってきた。

 さて、今なら聞けるか?



「雪守、言いたくなければ言わなくていいけど、本当にどうしたんだ?」

「ぅ……言いたくない、です……けど……」



 チラッ、チラッ。言いたくないけど、言いたい。そんな感じの視線だな。

 雪守と体を重ね続けたせいか、雪守の考えが少しわかるようになった気がする。気がするだけだが。



「えっと、その……は、初瀬くんは、好きな人とか……いるんですか?」

「……はい?」



 え、何その唐突な質問。今のこの状況となんの意味が?

 それに、雪守の全てを汚してるのに、今更誰かを好きとか言ってみろ。俺ただのクズじゃん。

 まあ雪守の方が欲してきたから、汚した俺に全面的に非があるかと言われたら、微妙な気もするけど。



「好き……好きな人、か。家庭環境上、そういうのが疎くてよくわからないんだよな」

「ぁ……ごめんなさい」

「いや、気にすんな」



 雪守は俺の家庭の事情を知っている。

 正確には、俺を相手に選んだ時に、諸々のことは調べたらしい。

 そりゃそうだ。欲情の発散の相手がヤベー奴だと、どれだけ相性が良くてもダメだろうからな。

 ただまあ、雪守が好きかと聞かれたら……わからない。

 むしろ好きになっていい人じゃないだろ、雪守は。

 そもそも格が違いすぎる。こういう関係でもなければ一生関わることはない程、絶望的な格が。

 それを何度も遊んで、一緒の時を過ごして、体を重ねて……それで好きになるなんて、雪守に失礼だ。

 俺には、雪守を好きになる資格がない。



「じゃあ、あなたのことを好きな人がいたら、どうします?」

「え? ……考えたこともなかったな」



 俺を好きに、か。それが本当だったら……。



「多分、申し訳なくなる」

「なんですか、それ」

「いや、気持ち的に」



 俺には、誰かに好いてもらうような魅力はない。

 身長もそこそこ。顔もそこそこ。運動神経も勉強もそこそこ。家は貧乏だし、誇れることはなにもない。

 ……でも……。



「俺なんかを好きになってくれる人がいたら、全てを捧げてでも全力で幸せにするかもな」



 それがだけど正しい答えかはわからない。

 だけど、俺を好きになる物好きがいたら、全力を尽くす。それだけだ。



「……優しいんですね、初瀬くんは」

「俺が優しいのはいつものことだろ」

「ふふ。そうかもしれません。優しくないと、こんな私のわがままに付き合ってくれるはずありませんから」



 雪守は起き上がると、また俺の上に跨ってきた。



「またか?」

「そういう初瀬くんこそ、準備万端ですが」

「仕方ないだろ。雪守から求められて、頑張らない男はいない」

「やっぱり優しいですね」



 雪守はキスをすると、そのまま腰を落とし……。



「待った。その前に、さっきの質問の意味を教えてくれ」

「んー……まだ秘密です」

「なんだよそれ」

「秘密なものは秘密です。今の初瀬くんは、私だけを見ていればいいんですから。……んっ──」

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