13

 本当にムカつく。

 エリは、背が高くて顔立ちも良くて、男子からモテるし黙っていれば美人そのものだ。ゆえに関わりたくない人物なのだが、それ以上に傲慢ごうまんちきな振る舞いがムカつく。

「よし、いいわよ」

 見てくれがいいからってリーダー気取りで、指示を出してる。エリとその腰巾着腰巾着こしぎんちゃくのボタン、あとは彼女の取り巻きが3人いる。名前は覚えてない。髪が長いのと短いのと、メガネを掛けているのの、3人だ。

 モモはハンコ屋の看板の影から身を乗り出した。

「どーして車が通りかかるたびに隠れなきゃなんないの」

 試しにケチを付けてみた。すると思った通りエリが口をとがらせた。

「わかってないわね。小学生がこんな時間に歩いてたら警察を呼ばれちゃうでしょ」

 罪の意識があったことには驚いた。

「じゃあ、こんな時間に行かなきゃいいじゃん」

「あんた、バカねー」エリは鷹揚に「勇気を出してこそ、この私の名声が高まるってものでしょ」

 バカはお前だ。バカバカしくって反論する気にもなれない。

 モモは冷たい目で視線を合わせなかったが、どうやら暗闇のおかげでエリは気づいていないみたいだ。

 私は本当の恐怖を知っている。5年前、あの潰瘍の中で。突然空が真っ暗になって、尋常じゃない寒気を感じた。マナが迸る暖かさとは真逆の、吸い取られていく感じ。そしてお父さんもお母さんも、周りの人もみんな、溶けるようにして消えた。ほんの、一瞬だった。あとに残ったのは誰のものとも判然としない残骸と、影みたいに動く怪物=怪異。

 立ちすくんで、どうすればわからなかったけど、助けてくれたのはニシ兄ぃだった。昔のことを思い出しても、泣いたり悲しくなったりしない。もう心は大人だから怖くなんてない。

 これが勇気というものだ。

 エリは先頭に立ってゆっくり歩み始めた。彼女の取り巻きたちもぞろぞろと付いていく。モモはその後ろをやや遅れて進む。

「どうしてそんなにゆっくり歩くの? さっさと行ってよ」

「誰かに見られたらどうするのよ」

 誰か? 周りを見渡してみたが人の気配がない。

 そういえば帰りのホームルームで担任の小林先生が、危ない事件がたくさん起きているので早く家へ帰りましょう、と言っていた。そのせいで人がいないのか。ただの人間なんて、魔導さえあれば怖くない。

「こっち、行きましょ」

 いつも通りの声量で、エリを呼び止めた。指差す先は暗い路地が古い家屋の間を縫って続いている。暗いせいか、その先は見えない。

「そっち、暗いじゃない」

「大きい道を歩いてたら、誰かに見つかるんでしょ? それにこっちのほうが近道じゃん」

 しかしエリの返答はない。口を真一文に結んだままだ。取り巻きたちも互いに目配せして不安そうにしている。

「はぁ、明かりがあればいいんでしょ」

 よくその程度で勇気云々を口にできたものだ。

 モモは羽織はおっているパーカーのポケットから2枚の紙人形を出した。顔にあたる部分にマジックペンでAとBと書いてある。

「アニラ、バサラ、お願い!」

 2枚の式神がふわりと浮かび上がった。

「光を」

 A=アニマはやや先で、まばゆい光を抱えている。B=バサラは足元近くに浮遊して、同じく光を抱える。

 エリは、一瞬ためらいを見せたが、すぐにたかびしゃたかびしゃに戻った。

「ふんっ、魔法って便利なのね」

 嫌味のつもりだったんだろう。だがむしろそれがおかしくて、エリを許してやる気になった。取り巻きどももぞろぞろとエリの後に続いた。

 海に向かって伸びる緩やかな細道。ニシ兄ぃは、これはアンキョだと言っていた。昔の川だそうだ。どこにも川なんて見えないしアンキョはよくわからないけれど、こういった地形は、マナが集まりやすいことがあって、怪異が出没しやすいとか。

 その時は確かにマナを感じた。温かい風のような。肌で感じる暖かさじゃない、もっと皮膚の内側を流れる暖かさだ。だが、今はマナを感じない。とっても薄い、率直に言えば寂しい感じだ。

 もっとも、怪異がもし出てきたら、攻撃できる魔導は1種類しか知らない。ニシ兄ぃは、それだけでも十分だと言ってくれたけど、不安だな。

 ニシ兄ぃ、か。心がしんみりと痛む。嘘をついたわけじゃない。でも、ニシ兄ぃは、私がうちにいると思っている。カグツチおじさんも通せんぼしてきたし。

 でもこれは、ひーちゃんが嫌なことをされないためだし、高飛車で鼻につくエリにぎゃふんと言わせるためだ。そう、カグツチおじさんに言ったら納得してくれた。さっさとこんなことを終わらせて帰ろう。

 どうせおばけなんていない。適当なタイミングで、魔導でおばけっぽい影を作ってこいつらを驚かせて、それで終わり。ただの人間におばけだか魔導だか、見分けがつくわけがない。

「なんで止まるのよ」

 エリ一味いちみがの上の細い道を抜けた先、路地との境目でたたらを踏んでいる。エリは他人よりスラリと高い身長の割に、慎重にシィーと指で口を抑えた。

 こんな時間に、誰も起きていないって。周りには人が住んでるかどうかも怪しい古い住宅が並んでいる。その分厚いカーテンの向こうからじゃ、式神が持っている魔導の光が見えるわけがない。

「おばけの線路がすぐそこなの」

 怯える取り巻き共を押しのけて、おばけが出るとかいう線路を見やった。錆びた狭いが街頭に照らされている。車がもし来たら避けられないくらいの狭さ。立て看板の「子供飛び出し注意」という文字がおもしろかった。

「怖いの?」

「そんなわけないじゃん!」

 すぐに反応したのは取り巻きの一人のボタン。その割には素っ頓狂な声色だったし、眉が八の字をしている。

「はぁ、まったく」

 なるべくエリ一味どもに聞こえる音量で、ため息をついた。Aの式神=アニマを引き連れて歩を進める。

 ここで死んだ人の幽霊が出る、とかいう話だったが、線路は壁とフェンスに囲まれて入れそうにない。魔導を使えば、入れなくはないが、本当にここで事故があったんだろうか。

「どーしてそこで固まってんの。早く来なよ」

 堂々と/エリに見せつけるように。あれだけ大口をたたいていて実際は臆病者=まだまだ子供だな。

 して、どんなおばけを見せつけてやろうか。式神はもう1枚、ポケットに忍ばせてある。連中の期待通り、首を探している首無しおばけを作ってやろうか。あるいは死装束に三角のはちまきをしてるおばけか。

 ポケットの中で紙でできた式神に触れた。エリ一味どもが射程に十分入っている。しかし、5人の視線がモモを通り越して鉄橋ガード下を見ている。

「どうしたの……ヒッ!」

 一瞬だけ息が詰まった/バレないよう息を整える。おばけなんかじゃない。女/酔っぱらい/千鳥足の人影がふらふらと下を通ってこちらに歩いてきている。異様な雰囲気。

 モモとエリたち5人は道路脇に避けて道を譲った。横の小さな工場の敷地に6人で身を寄せた。もうすでに見られているだろうが、工場の名前が入った軽トラの陰で息をひしめた。

 その千鳥足の女は牛のようなのっそりした歩みで目の前を通り過ぎようとした。上半身がグラグラと揺れて今にも倒れそうだ。

 違う。普通じゃない。鳥肌が立つ/心臓が速く打つ/寒気/吐き気。マナの流れが“逆だ”。

 女が立ち止まる。街頭で照らし出されたソレ。悲痛に歪んだ顔/真っ黒なペンキが飛び散った跡がよれよれのTシャツに広がっている。

 左腕があるべき場所にが漂っている。マナの滞留/この感じ、前にどこかで。

「お、おばけぇ!」

 めがねを掛けた取り巻きの1人が悲痛な声を上げた。ギロリ、と女がこちらを見る。

 おばけなんかじゃない。あれは、怪異だ。

 どうしようどうしようどうしよう。手が震える/足が動かない。どうしよう、怖い怖い逃げなきゃ。

 女の口がなにか動いた。なんだろう、かすれていてよくわからない。でも、人だよね。なんで腕に怪異がくっついてんの・・・・・・・・・・・・・・・

 モヤが晴れる/女の体躯に似つかわしくない太い/異形の腕。古い大木の枝のように節くれだって生き物のように脈を打っている。

 どうしよう、絶対に危ない。走って逃げたら、多分逃げ切れる。でもこの中の誰かが捕まっちゃう。怪異は生きている人間を殺すって、ニシ兄ぃが言っていた。

 怪異の女の口が力なく開いた。空気が漏れている、と思ったが言葉だった。

「魔導士のぉ、血、肉、心臓ゥ、喰ワせロぉ」

 狙いは私だ。

「アニラ、バサラ、お願い!」

 やるしかない。すっと右手を前に差し出す。すると呼応して2枚の式神が空中へ浮かび上がる。

 A=アニマとB=バサラに灯っていた光球が消える。と同時に新たな光が起きた。

 こぶりな魔導陣が2枚の式神の正面に起きる。その2つが高速で/アニマは右回転/バサラは左回転する。

 モモが前に出した腕をゆっくりと頭上へ上げる。それに伴って魔導陣もさらに速度を上げて回転する。

 怪異の女がまとう冷たいマナとは正反対に、体中にマナの奔流を感じる。温かい。優しさと慈悲の包容。勇気が満ちてきた。心は妙に落ち着いている。

「打てぇッ!」

 鋭く/頭上の手を標的に向ける。

 途端/まばゆい光が起こる。純白の光の滝が怪異の女を叩く。圧倒的な物量でマナが溢れ出す。

 確かな手応えがあった。ニシ兄ぃは、純粋なマナの攻撃魔導は、怪異に絶対的な効果がある、と。もし遭遇したのなら使うようにと言われていた。

 10秒ほどの光の嵐。2枚の式神の魔導陣が消えて再び暗闇が戻ってきた。息が上がっている。指先に力が入らない。膝が笑って地面を踏んでいる感覚がしない。

 目が暗さに慣れてきた。夜のの向こう側で、怪異の女はもんどりをうって倒れていた。動く気配がない。

 やったぁ! やったよ、ニシ兄ぃ。怪異を倒したよ。

 思わず口元がほころぶ私は怪異と戦える。もうニシ兄ぃに守られてばかりじゃない。これからは対等にニシ兄ぃと生活できる。ずっと、一緒に。

「本当におばけがいたんだぁ」

 長髪の取り巻きが呟いた。

「なーんだ。ドキドキしたけどあっけないんだね」

 ボタンが嫌味を付け加えた。ただの人間のだから知らないんだろうけれど、この攻撃魔導を習得するまでにどれだけ練習したか。さっきまで顔をクシャクシャにしていたボタンにさんざん言って聞かせてやりたい。

 そして、この騒ぎの大本の原因/エリは口を開こうとしない。両手を、お尻近くの腰に当てたまま、微動だにしない。

「どしたの? もしかして漏らした?」

「そ、そんなわけ無いでしょ! この私がまさかお漏らしなんて」

「ふーん」

「ナプキンが、ちょっとズレだけだから」

 一歩も動いていないのにそんなわけ無いじゃん/意外と、私より大人だった/なんだかムカつく。

「これで、おばけの件は解決でしょ」

 怪異とおばけはぜんぜん違う。そうニシ兄ぃが言っていた。とりあずそれは伏せておいた。

「ええ、そうね。そういうことにしましょう」

 高飛車女は随分と懲りたようだ。

「じゃあ、ひーちゃんに嫌なことしないでくれる?」

「ふん、なんのことかしら」

 エリは肩をすくませた。やっぱりムカつく。おばけの幻影も追加で見せてやろうか。

 モゾリ。

 怪異の女の、左腕が脈打つ。

 ゾクリ。

 また来た。冷たいマナの蠢き。そんな/まさか。あの攻撃でまだ動けるなんて。

 怪異の女が、予備動作無しで起き上がった。まるで操り人形のように起き上がった。

 もう一回。あの攻撃をしなきゃ。

「式神、お願い!」

 震える指先で怪異の女を指差す。震える。力が入らない。2枚の式神に弱々しい発光の魔導陣が現れる。

 しかし、目に止まらない速さで女の左腕が動いた。モモのすぐ眼前をかすめる/式神を破られた

 モモは後ずさった。後ろにエリ一味どもの誰かがいた/ぶつかる。それ以上下がってくれない。でも怪異の女はジリジリと距離を詰めてくる。

 ニシ兄ぃの言葉が今更に蘇ってきた。マナのジュンスイジュツホウは怪異に絶対的な効果がある。ただし、白の魔導士ならともかくモモ=黄色レベルの魔導士は、

「一度しか使えない」

 マナが回復するまでどのくらい? ここまでマナを使ったことがない/でも丸1日はかかる。

 かさり。

 ポケットのなかの、予備の式神に指が触れる。どうすることもできない。戦う魔導は使えないし守るための魔導も知らない。

 もう、怪異の女に手が届きそうな距離だ。

 ニシ兄ぃ、助けて。

 キーンという甲高い音/今どきの車の音。

 それが聞こえた瞬間、大きな車が現れた/怪異の女にぶつかる/跳ね飛ばす/盛大に擦過音&停車。ドアに「常磐保安部」と書いてあった。

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