10
翌日の昼下がり、カフェインで眠気をごまかしてなんとか体を動かしていた。精神とか肉体とかの負担を減らす魔導が無いことを恨んだ。
おとぎ話の魔法だったら、呪文1つで体力が回復するのだが、魔導にはそんな
3日続けての昼夜逆転の捜査任務に加え、昨日は犯人が現れたということで夜が明けるまで街中を走り回った。
「俺、5時間は寝たんですけど、全然疲労が取れないんす」
ジュンが寝ぼけ眼でぼやく。他のメンバーからのツッコミはなし。皆ぼんやりとパイプ椅子に座ったまま動かない。作戦ともなれば飛び起きる元軍人&元警察なので、これはこれで、彼らなりの休み方なのだろう。
警察署の会議室の1室。昨日犯人からもぎ取った腕で鑑識がいろいろと探しているらしい。もうすぐ結果が出て、すぐに出動するということで早めの時間に呼び出されていた。
部屋の中ほどに座るニシに対して、会議室の隅の、余った椅子を積み上げているその隙間でリンは座ったまま寝ていた。今日も会ってから一度も話をしていない。
小さな寝息を立てる彼女を見つめた。リンは仲間の危機には人一倍敏感/にもかかわらずニシは殺人をいとわない魔導士と対峙してしまった。快くは思っていないだろう。それがなおさら、彼女との距離を遠くしてしまった。
西日が眩しくてブラインドを下げたとき、バタンと扉が開かれて数名の刑事とカナが入ってきた。カナの方はというと、予想通り目の下にくまを作っていた=朝型人間。
県警と常磐の連絡役にくわえ、犯人の解析も任されていたので同情するしかなかった。
「注目……起きて!」
こんな声のトーンの先生が、小学生の時いたなとニシは思いだしていた。筋肉たちは途端に姿勢を正して座り、リンもまるで目を閉じていただけといったふうに薄い目を開けた。
「犯人がわかったのか」
ニシはホワイトボード近くの椅子を陣取った。
「ええ」
カナは、刑事たちが犯人の資料をホワイトボードに貼り終えるのを待ってから口を開いた。
「犯人、いえ容疑者は野際カナコ21歳。現場に残された──腕から採取したDNAから身元が判明した」
どこかの身分証で使われたであろう、青背景に無表情な顔写真。しかしその髪型/目つき/蒼白な肌から、決して誰からも好かれることのなさそうな陰鬱な雰囲気を醸し出している。
「ということは、前科があるのか」
「いえ、戦時国民保護法があったでしょ」
「何年か前の?」
「そ。国民保護番号とDNA情報を抱合せで保管するの」
思い出した。5年前、潰瘍の発生と怪異をひっくるめた魔導災害、そして誤発射された戦術核弾頭の被害で減った人口を、再び管理するため施行された。肉片だけになっても個人を特定できる、とかいうふれこみだった。左腕に付いてる白環=高位の魔導士を監視するGPS発信機も、その時から付けている。
「被害者たちとのつながりは? 最初の被害者と交際していたとか」
カナの片眉だけがピクリと動く。どうしてあんたが知っているの?といったふうに睥睨する。
「ええ、そうらしいわね」
それ以上の説明は和田刑事に譲った。いぶし銀の低い声が会議室に響く。
「交際していた、というわけではないがしつこくまとわりつく大学の同級生がいた、という情報はあった。この容疑者かどうかは今確認させているところだ」
ケンの上体が揺れた。
「ん、ちょっとまってくれ。俺ぁ、てっきり犯人死亡。事件解決、解散っていう話を期待していたんだが。片腕が引きちぎられた上に、出血量も尋常じゃなかった。いくら魔法使いとは言え、応急処置もなし、病院にも行っていないとなると、野垂れ死んでるはずだろう?」
ケンは寝不足と筋トレ不足による体調不良が見て取れた。一方の和田刑事も、憮然として両の手をヨレヨレのスーツのポケットに突っ込んだ。
「まず、出血量についてだが、途中止血したらしく、血痕はほとんど残っていなかった。魔法でそんな事ができるのか」
刑事の視線が、資料からニシに移ったが、ニシは首を横に振った。
「
「
カナのいらえ/言葉の綾に厳しい。
「警察犬が血痕を追跡した。で、10キロほど行って小原山の枯杉神社で途切れていた。それからの足取りはつかめていない。魔法使いは空を飛べるんだろぉ? 警察犬の鼻もそれじゃあ、役には立たない。一応、
和田刑事はそう言い残して部屋をあとにした。後頭部をぼりぼりと掻きながら部屋を出た。たぶん次は、警察署に集まったマスコミ対応なのだろう。表側の顔役の苦労を思うと忍びなかった。
「さて、これからは魔導士の時間よ! ……ほら、そんな顔しない」
カナの取って付けたような朗らかさに顔をしかめた。背後にさっと目配せすると、筋肉たちはスイッチを切ったかのように目を閉じた。ケンは起きているがやたらに目力が強い。リンは目の焦点すら合っていない。
「腕を引きちぎったんだ。俺も、死んでいる方に賭ける。ケガを治す魔導でもあるのなら別だが」
暗闇の中で飛び散った鮮血が脳裏をよぎった。生きているのなら、心のどこかでまどろんでいた罪悪感が晴れるというものだ。むしろどこか知らない人間がやったのだと、第三者の視点からあの光景を眺めていた。
「あるわけないでしょ。でも生きているのが問題なの。それにこの犯人、『緑』クラスの魔導士よ」
「緑?」
緑といえば、マナへの感応が最下級という意味だった。魔導士同士──全員ではないにしろ──上下意識があるわけではない。緑の魔導士を見下すわけではないが、ごくごく基本的な術しか扱えないはずだった。
「5年前の測定が正確であれば、そういうことになるわね」
「煙幕のような視界遮断、身体能力の向上、念動力で体を千切る。緑クラスの魔導士じゃ難しいと思うんだが。緑の魔導士はせいぜい、宴会芸でスプーンを曲げられるぐらいだ」
「神社へ逃げたのは、マナの補給や魔導の強化のためと思うの。それにほら、ここ最近龍脈が薄くなってきているでしょ。彼女のせいじゃないかしら」
ホワイトボードに、これまでの出来事を書き、その左側に自分の考察を書き連ねていく。一文字ごとにマーカーの擦過音が鳴り鳥肌がった。
どや、とカナは誇らしげだったが、ニシはかぶりを振った
「飛躍しすぎだ。古代の儀式で龍脈を使うことはあったけれど、緑の魔道士が水分補給するみたいに龍脈のマナを吸い取れるわけじゃない」
カナは、プイっと頬を膨らませた。愛嬌のある仕草と対面しているニシも、しかし具体案などなかった。決定的な部分で矛盾が生じているからだ。何か決定的なピースが欠けている気がする。
「魔法使い同士でも、見解が分かれるのねー」
リンが茶々を入れた。目は閉じ顔は天井を向いている。いつでも寝れますよ、という体勢を取りながらも隊長として目を開けたままいた。
「
カナの表情がほころんだ。
「──カナは俺のように魔導は使えない。
「
ただの言葉の綾なのにどうしてそこで張り合うのか。うんざりしながらも、この陰鬱な空気を吹き飛ばすほどのカンフル剤だった。
「ほう、じゃあ、赤いリンゴを青に変えるのは?」
「できる」
「釘が打てるバナナ」
高校時代、文化祭で作ったことがある。好評だったが釘が打てるプリンは手がべとつくので不評だった。
「できる。やったことないけど」
「徹甲弾に魔導性爆発を付ける」
「でき──それって、規約違反よ。常磐の知的財産の侵害」
それを聞いたリンが膝を叩いて笑った。
「あはっ、あん時は楽しかったなぁ。怪異がバッタバッタとなぎ倒されて。Mk.Ⅳカービンがまるで
リン=銃声を口真似してみせた。
「ここだけの話、銃口に魔導陣の……まあ、膜みたいなものを
もう一度、ここだけの話、と付け加えておいた。
「せめて、私の見てないところでやってよね」
すると、リンが会議室の隅で手を振った。
「で、でこちゃんは、楽しい楽しい魔弾が作れんの?」
つい、額を見てしまう。きらりと光を反射するそれを、カナはとっさに手で覆った。
「はいはい、話を戻しましょう」
「でこちゃん、できないんだ」「教えようか?」
「遠慮します!」
さすがにかわいそうなので、それ以上いじるのはやめておいた。
「あたしさ、犯人はひとりじゃない気がする。共犯というよりは協力している誰かがいる」
リンも目が覚めてきたらしい。
「うん、合理的に考えるとそうだよな。あらかじめ魔導陣を描くなりなんなりしておいて、この犯人がマナを供給すると高度な魔導が完成する、とか。例えば使用期限の切れた魔導セルにマナを流すともう一度使える、みたいな」
「えっ、魔法使いって魔導セルを毎月買い換えなくてもいいの?」
「魔導士ならできなくは、ないな」
「ちょっと!」カナが間に入った。「それ、常磐の知的財産を侵害してるんですけど」
「冗談だ。そんな事するわけないだろう。それにうちに魔導セルを使う機械はない。バイクはまだガソリンで動いてる」
魔導士のくせに保守的=ニシ。
「で、次の作戦はどうするの? また罠を仕掛けるの?」
「さすがに同じ手は通用しないだろ」
カナが唸った。人質は全市民=2000万人。
その時、すっとリンが手を上げた。そしてトロンとした目で、
「あたしが、その犯人の魔法使いなら、狙うのは……」
頭上の手を下ろして、人指し指でニシを狙った。眠気もあってか妙に艷っぽい目つきだった。カナは1人でどぎまぎしていたが、ニシは愚鈍にも気づいていない。
「復讐?」
「当然っしょ。大怪我させられた上に、あんたの性別は?」
「男」
「そそ」
ニシも納得するようにうなずいた。知らず知らずのうちに囮作戦が実行できそうだった。
「そうね」
カナはリンに機先を制されたせいで、また頬を膨らませた。
「──カグツチ」
唱えるように名を呼んだ。ふわり、と空気がゆらいで金髪に褐色肌、筋骨隆々な湘南男がそばに立っていた。場違いに派手なアロハがその体格のせいで引き伸ばされている。ハイビスカスのプリントがさながらラフレシアに見える。
「
「ああ、頼む。あの子達に何かあったらと思うと、気が休まらない」
しかしカグツチの返答はなかった。
「我はお主のほうが心配だが」
大丈夫だ、と気軽に返事をしようとしたが言いよどんでしまった。無力な人間しか攻撃しない弱小魔導士なら脅威になりえない。しかし
それ以前に、殺すことができるか、という問題があった。ケンのように意を決して従事しているわけではない。単に魔導が扱え怪異を排除するために働いている。強力な魔導も命を奪うという忌避すべきイメージがあったら、その威力が大きく減衰してしまう。心象がそのまま具現化するのが魔導であれば非殺の深層意識もまた、それに映し出されてしまう。
「だいじょーぶだよ、先生」リンが腕組みしたまま「あたしたちは対魔導士戦闘も訓練してるの。低級魔導士1人くらい、どうにでもできるって」
「そうね。ニシだけじゃない。わたしだって戦えるんだから」
ニシは肩をすくめて同意せざるを得なかった。さすがの大男も納得したようだった。
「うむ、ではニシを頼んだぞ。こう見えて弱いところもあるからな」
余計なことを。
湘南風の大男はズシズシ歩いて、その会議室のドアから出ていった。
「歩いていくの? 召喚体なのに」
人間っぽく振る舞うのは彼の趣味だった。
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