9

 また犠牲者が出た。50代男性。四肢がもがた事による失血死。常磐の武装チームが展開するエリアとは反対側の地区。警察もとうとう隠しきれずに公開捜査に乗り出したらしい。仮眠して起きたら、夕方のニュースはその話題で持ちきりだった。魔導士絡みの事件はメディアとしても扱いづらいらしい。社会基盤のエネルギーも、神出鬼没な怪異から守ってくれるのも魔導士だからだ。

 正直なところ余計なお世話だ。お節介がいらぬ差別を生んでしまう。

 夕日が新市街の高層ビルの影に落ちようとしていた。ニシはアスファルトの地面に人差し指を置くと、半径1mくらいの魔導陣を編んでいく。辺りは薄暗くなったが地面はほんのりと暖かかった。

 薄い赤色に輝く魔導陣は、さらに緑の輝きの魔導陣で覆われ、そして見えなくなった。

「完了です」

「これで、17個目、いや18個目だったか」

 ケンが指を折りながら数えた。2人はに乗り込むと次の地点へ移動を始めた。

 カナと話し合った結果、広域の魔導探知は効率が悪いということで、各地点に高濃度のマナ=攻撃的な魔導を探知する魔導陣を置くという対処になった。念を入れて、犯人にさとられぬよう魔導も組み込んである。最高位の魔導士ではない限り見抜くのは不可能だ。

 今日はカナも捜査に参加し、各々、西と東に分かれて罠を置いて回っている。

「ニシだから西側担当というの、安易ですよ」

「わかりやすくていいじゃないか」

 ケンは運転しながら笑った。罠に引っかかればすぐさま術者が知覚する。その情報を即座に、全隊員に伝えることで封じ込みをかける。

 市内各所に罠を設置し終えたときには夜10時を回っていた。30個を超えたあたりからお互いに数えるのを止めていた。

 多目的輸送車ハンヴィーを住宅地横の県道に駐車するとあとは待つだけだった。ニシは助手席で黙々と、多糖なチョコレートバーを齧っている。今日はチョコレート以外のレーションも多めにもらっていた。

 隣に座るケンは、30分おきに車の外に出て体を動かしていた。強化外骨格をまとった体が、文字通り機械じみた動きでキビキビと動き、飛び上がる。準備運動に満足をすると無言で車内に戻ってきた。

『各自、定時連絡を』

 インカムから少女のようなしい声が届いた。

『こちら、異常なし。“鳥かご”も反応がないようです』

 チームにはカナが付いてる。東側で犯人に動きがあれば、カナが探知をしてくれる。

『ガード下のおばけも、今の所、動きがありません!』

 今の声はジュンだった。イヤホンの奥でツッコミ=制裁を受けている音がした。

『よけーなこと話さないの。任務に集中して!』

 リンが喝を入れた。

 車内で二人して顔を見合わせた。ケンが目配せした。つまり、ニシが応答しろということだった。

「こちら、異常なし。“鳥かご”は一切反応なし」

 しかし、反応がない。ややあって、

『了解。各自警戒を』

 リンの声色は冷たかった。まるで機械のように、あるいは用意しておいた言葉を出しただけだった。

「なんか、俺だけに冷たいですよね、最近」

 たこ焼きを食べたとき、リンは涙ながらに謝った。そこまで言葉を重ねる必要はないと思うのだが、もっと別の事情があるように感じられた。

「ニシのせいじゃないから、そこは心配するな」

 ケンは口を閉じて目をつむると、それ以上話さないという意思を体で表した。

「何か知っていますよね」

「俺から話すことはない。これはあいつの問題なんだ」

 あいつ、という言葉が引っかかった。そういえば、ケンはいつもリンを遠目から眺めていた。反論をすることなく、かといってイエスマンというわけでもない。以心伝心な右腕として戦っていた。

「そういえば、2人は仲がいいですよね。阿吽の呼吸というか。ただ隊長と副隊長というだけではないでしょ。どういう関係なんです? もしかして元恋人とか」

「ば、ばか! そーゆー関係じゃない」

 だが観念したらしく、咳払いして姿勢を正した。

「俺たちは元の職場が一緒だったんだ。同期で入隊して、かつ陸自に新設された機甲部隊の教導隊に一緒に配属された」

「きこーぶたいのきょーどーたい?」

「戦車っていえばわかりやすいか。それに付随する形で強化外骨格APSの試験的運用、性能評価なんかを行う部隊だった」

「通りで、リンは強化外骨格の扱いが他の人とは違うんですね」

「ああ。着てなくても男性隊員にも勝る成績だったんだが、“板に付いていたんだ”。板っていうかチタン合金のフレームとセラミックの防弾プレートだったけど」

「って、同期ってことはリンと同い年ってことですか」

 隣に座るケンは、うっすらとヒゲが生えた筋肉だるま。一方のリンはというと中学生に間違われるほどの背丈と童顔だった。

「そこは、まあ、俺の口から一番言えないところだろうな」

 否定も肯定もせず、それだけは本人から聞いてくれといった感じに肩をすくめただけだった。

「ともかく、いろいろあったんだ。あいつにはな」

「ケンさんも同じ境遇を?」

「んーそうだな」ケンは口ごもった。頭をガリガリと掻いて一言だけ「ルールだ」

「どういうことです?」

「公務員によくあるだろ、守秘義務ってやつだ。陸自ってのはなおさら極秘事項が多くて、一生縛られるんだ。以上。この話は終了だ」

「いいです。わかりました。自分も詳しくは聞きません。でも、リンとはいつもどおり話したいんです」

「それってつまり、あいつに惚れてるってことか? まあ、見た目“は”いいからな」

「そういうわけじゃないですよ。でも、仲間ですよ」

 ケンは長くため息をついて、残念そうに首を振った。ニシにはその仕草の意味がよく分からなかった。

「これこそ、俺の口から言うべきじゃないって分かっているんだが、あいつはお前のこと……って、聞いてるのか?」

 ニシはぼんやりと窓の外を眺めているだけだった。ピリリとした感覚を覚えた。どこかで魔導陣が、放出された高濃度のマナを検知したらしい。

「何かいます! 北東の方角です」

「おう! 任せとけ」

 ニシがシートベルトを締めたと同時に、ケンはアクセルを踏み込んだ。電動モーターの強烈な加速でシートに体がめり込む。駐車しているトラックをぎりぎりでかわして、大きい道路へ出た。

 ケンがインカムに向かってがなる。

「こちらチーム、“鳥かご”に反応あり。場所は──」

 しかし、ニシは首を振るだけだった。正確な場所までははわからない。それに、魔導を検知した地点から対象が移動してる可能性もある。

「ここからそう遠くありません」

「──E-2から半径2km。県警にも連絡して、所轄を集めてもらってくれ」

「敵性の魔導を感じてから、5分くらい経っています」

「じゃあ、移動されたかもしれないな」

「あるいは、獲物を見つけたのかも。ただ1つ、気になる点が。あれだけ人を殺しておいて、いまだ堂々と魔導を使い続けていることが、腑に落ちません」

「というと?」

「当然、魔導士犯罪専門の常磐も動いているわけです。だったら、魔導の発動をするかなるべくマナが漏れないように行動するはずです」

「俺は、魔法のことがよくわらかんが。つまり素人ってことか」

「ええ、そんな感じです」

 あるいは後先考えていないか、だった。そういった思考の人間は行動が予測できないので厄介だ。

 多目的輸送車ハンヴィーは小さな駅のロータリーをぐるりと回って、線路に沿って一方通行の細い道を進む。街灯が一定間隔で並んで白い光を放っている。光が落ちる地面以外、漆黒の闇に包まれていて何も見えない。

「このあたりのはずです。外から確認しますね」

 ケンの返事を待たず、ドアを開けた。

 高速詠唱。声なき声を唱えて、身体能力を底上げする。軽いステップで飛び上がる/走行中の屋根に飛び乗る。ジメッとした夜風が顔に当たる。

「おい、落ちたら大怪我するぞ」

「自分は、大丈夫です。道路に穴が開くかもしれませんが」

 再び魔導を展開。魔導障壁が体を包む/マナが迸る暖かな感覚。

 目を凝らすが、やはりよく見えない。昔、暗視ができる魔導士もいたらしい。ニシも習得に励んでみたが、解剖学だの神経学だの知識が必要になると理解して諦めてしまった。

 人が見えた。街灯の下で後退りしている。大都市に変貌しつつあるこの町とはいえ、日付が変わったこの時間に人は歩いていない。だから余計に目立った。

 その人影が、こけた。そして腰を抜かしたように、自分に追い迫った何かに怯えている。しかし暗闇に包まれていてそれが見えない。

 確信/あれがこの事件の犯人だ。

 ニシはの天井をバンバンと叩いた。

「いました!」

 一言だけ運転席の窓に向けて叫ぶと、左側の線路へ高く飛んだ。反動で多目的輸送車ハンヴィーがぐらついた。

 風がなびく/降り出した雨粒が顔に当たる。思考が高速化/周囲の動きが緩慢に見える。空中での姿勢制御の副作用。

 線路の中ほどに着地した。大きい砂利で足を取られる。見つめたその先=影がいた。闇が動いているといった異形の姿、手足が見えない。かといって空中に浮いているわけでもない。闇の外套をかぶったようなそれは、滑るように地上を移動している。ニシの登場に動じることなく、獲物=頭頂部が薄くなった壮年の男性に迫る。異形のそれに手というものがついているなら、次の数秒で届いてしまう距離だった。

 間に合わない。カナのような遠距離での攻撃はできない。

 高速詠唱──声なき声を唱えた。身体強化&重力制御&召喚魔導。複数の魔導陣が両碗を包み込むようにして現れた。

 右腕を大きく後ろへ振りかぶる。その頂点で/召喚の魔導陣が収縮=消失/手にマチェットがあった。刃渡り50cmほど。鍔のない/柄も飾りっ気のないただの棒=しかし先端まで細く鋭く尖った刃が、街灯の白い光を受けてキラリと光った。

 投げた。魔導陣のひとつが消失し腕力が投石機カタパルトと化す&さらに魔導陣を消費/瞬間的に0Gになった軌道上の空間が、弾丸のごとくマチェットを加速させていた。空気を切り裂く音=ソニックウェーブが響く。

 極悪な凶器たる短刀は、異形の影と壮年の男性の間を猛スピードで通過して、背後のブロック塀に深々と突き刺さった=威嚇攻撃/時間稼ぎ。

 影が動く/こちらを見た気がする。そのときにはすでに、ニシは振りかぶった左手に別のマチェットを握っていた。

 投げた。3つの魔導陣が消える&マチェットが空を切る。飛翔速度は先程よりも更に速い。空気が唸り、そして異形の影に刺さった。

 絶叫。すりガラスをこすり合わせたような甲高い叫びが夜の街にこだました。人の声、しかし狂気に支配されたゾッとする声音だった。

 叫び続けたまま、影がユラユラと揺れた/ふわりと浮かび上がって、住宅の屋根に上ると、そのまま闇夜に逃げた。

「待て、落ち着くんだ」

 ケンが強化外骨格APSをがちゃがちゃと揺らしてやって来た。脚力は並の人以上あり、線路のフェンスを悠々と飛び越えていた。強化外骨格APSの外装が開くと、そこから照明弾が高々と打ち上がった。上空で花火のような音が聞こえ、辺りを赤赤と照らした。

「深追いをしてはダメだ。罠かもしれない」

 自分はいたって冷静だぞ、と心の中で反論した。

「でもチャンスです」

「包囲が完成していない。俺たちはチームだ。独断専行は作戦事態を危うくしてしまう」

 元軍人の冷静ないらえ。

 ニシも長い溜息をつくと、それに同意して魔導の展開を解いた。

「それに、まだチャンスはあるようだぞ」

 ケンは強化外骨格APSをガチャガチャ言わせながら線路内を横断する/再び軽やかにフェンスを飛び越えた。ニシもその後を追った。

 壁に刺さった2本のマチェットのうち、2度目に投げられたほうは、壁に鮮血を塗りたくり、一本の腕が貫かれたままぶら下がっていた。腕を切り取ったのではない。骨に刺さった刃が、腕を関節から引き抜いていた。関節と、白くドロッとした体液がボトボトと地面を濡らしている。

「こいつは、左腕だな。指紋もDNAも血液型も、なんでも分かる。時計もしているから身元を探す役に立つだろう」

 B級映画さながらのスプラッターな状態だったが、ケンは冷静に眺めている。

「痛そうだな」

「ハハハ、普通はショック死するが心臓が丈夫なら、即死はしない。痛みはアドレナリンで感じないだろうから、逃げることはできるだろうな。ただ、どのみち病院で緊急処置をしないと失血死するだろう」

 楽観的に。

「じゃあ、俺は、アレを殺したことになる」

 いくら犯罪者とはいえ、捕らえる方法があるのなら安易に命を奪うべきでない。それは、人智を超える力が扱えるからこそ戒めなければならぬことだ、と師であるジジィに嫌というほど聞かされた。

 とっさだったため生かすとか殺すとか考えることができなかった。ただ、暴挙を止める手段があれしかなかっただけだ。

「違う。人を救ったんだ。いいか、暴力反対、戦争反対ってのは安全圏にいる連中のオママゴトにすぎないんだ。そんな理想論、」 

 ニシは地面で横たわる壮年の男性を見やる/よほど恐怖だったのか気を失っている。近づいてみるとかなり酒臭かったので、たぶん寝ているだけ。道の端に引っ張っていき、回復体位を取らせる。願わくばこの出来事が単なる悪夢だと思ってくれたら、本人のためになるだろう。

 遠くから複数のサイレンの音が近づいてくる。

「残りの捜査は県警に任せよう。犯人が人間だったから、彼らの得意分野だろうし。お手柄だな、ニシ」

「ええ。特別報奨、ゲットです」

 空元気をケンに見せておいた。血に濡れた報奨金は手に取りたくない。


 フンフンフン……。

 いつからか、暇つぶしにリズムを口ずさんでいた。どこで聞いた音楽なのか、思い出せないしどうでもいいことだった。いつから自分が生きているのか、それすら曖昧なのだから。

 を探して街を彷徨っていたときか、もしくはあの男の家か。

 ペロリ。舌が動いた。あの男は美味しかった。初めて食べた血の味。それまではあの男と同じ食事しかしてこなかった。土か灰のような味だった。血も、味はしなかった。だが生命を司るそれを口に含んだ瞬間、体中にマナが流れる高揚感は最高だった。



 フンフンフン……。

 いつからか、暇つぶしにリズムを口ずさんでいた。どこで聞いた音楽なのか、思い出せないしどうでもいいことだった。いつから自分が生きているのか、それすら曖昧なのだから。

 食事にんげんを探して街を彷徨っていたときか、もしくはあの男の家か。

 ペロリ。舌が動いた。あの男は美味しかった。初めて食べた血の味。それまではあの男と同じ食事しかしてこなかった。土か灰のような味だった。血も、味はしなかった。だが生命を司るそれを口に含んだ瞬間、体中にマナが流れる高揚感は最高だった。

 フンフンフン……。

 苔むした神社の社の屋根で、その少年はリズムよく足をぶらぶらさせて暇をんだ。短い銀髪が風で揺れる。髪だけではない。全体的に色素の抜けきっていて、さらに布とも服とも形容できる簡素な白い衣類を細い体に巻き付けている。

 遠く雨粒が木の葉を揺らす音、風のうなり、そして、駆け足が近づく音がした。

 それが纏う闇のような外套は崩れかかっていた。その中で真っ青な顔色の若い女がぜいぜいと喘いでいる。額には大粒の汗が浮かび、血走った目で少年を見上げた。

「今宵の復讐劇は、いかがだったかな」

「冗談じゃないわよ! こんな、こんな……」

 女はうずくまって、右手で左の腕の付け根をギュッと握っている。肘から先が、ねじ切られたような傷を残して消えていた。心臓の鼓動に合わせて血が吹き出していた。上半身はべっとりと血糊が付き、白い細いシルエットのズボンの先まで血に染まっていた。

「あれっ、しばらく見ないうちにちょっと小さくなったんじゃない? というか軽くなった感じ?」

 ケラケラと軽い笑いを瀕死の女に投げかけた。女の顔が悲壮に歪む/そして叫んだ。

「あんたのせいでしょ! あんたが私をそそのかしたからこんなことに!」

 血と汗と涙で、ぐしゃぐしゃになって泣き始めた。

 白い少年は器用に屋根の上にすっと立った。先程までの飄々とした雰囲気は消え、目を細めて女を睥睨した。

 少年は重力を感じさせぬふわりとした軌道で、空を飛び、女の前に着地した。そして女の頭を掴んで持ち上げた。その細い腕からは想像できないほど強い力で締め上げる/女がワナワナと震えた。もはや痛みを感じられる限界を突破して意識が薄くなった。吹き出る血は勢いが弱まり、全身から血の気がすっと消えていく。

「ボクのせいだって? 何を言っているんだい。君の復讐のためにボクは力を分けてあげただけだ。虫けらのようなマナしか扱えない君に、絶大な力を与えてあげた。優しいだろう、ボク? 君が死にかけたのは君自身のヘマのせいだ。ボクは関係ない」

 感情が消え無表情なまま女を問い詰める。女の目が僅かに開かれる。

「で、どうするんだい? あと1分もしないうちに君は死ぬ。いやもう現世うつしよを離れつつあるのかな。どう、もう少しこっち側にいたい? それとも面倒事とはおさらばしてへ逝きたい?」

 女の唇が僅かに動いた。しかし少年は聞き取れず、ん?と耳を近づけた。

「ごめん……なさい。あなたの言うとおりにしますから……助けてください」

 少年は、掴んでいた手を離した/女の体が崩れ落ちる。その周囲を闇のように黒いが取り巻く/集まる。そしてが晴れた。

 女の顔に血色が戻ってきた。浅かった呼吸が次第に深いゆっくりとした呼吸に戻っていく。

「べつに、ボクの言うとおりにしなくたっていい。ただボクは、楽しいお遊びを見たいだけなのだから」

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