7

「暇だ。なんとかならんのか」

 フッと白スーツの大男が現れた。腕を組んで2人と同じ方向を向いている。口は真一門に結んだまま。まるで、もっと楽しいことをするはずだったのにと我慢をしている子供のよう。

「先生、頼もしいんだが、今日は警備だけ。戦闘じゃない」

 ケンの筋肉がビクビク動いた。強化外骨格を用いた格闘訓練をするせいで隊員たちからは「先生」と呼ばれている。湘南の遊び人といった風貌なので、ギャップに思わず笑ってしまう。

「それより、先生、なんか薄くないか」

 彼の体の色が薄くなっていた。背後の夜景や街灯の光が、彼の体を透過している。しかし彼はいつものことというように憮然と霞のようになった自らの両の手を眺めた。

 高速詠唱──ニシは声なき声を唱えた。するとみるみるうちに彼の色素が戻っていく。そして完全に実体を取り戻した。

「やっぱり龍脈が弱くなっている」

 彼にマナを分けあたえた。最高位の魔導士はふだんからマナが垂れ流し状態なので、多少分けたところでも問題がない。ただ、さすがに彼が戦闘用の巨体に変身してしまうと供給過多になってしまう。

「ふむ、マナに余裕はあるのか」

「もしあんたが戦うっていうのなら、俺は傍観するしかない」

「ならば、この拳で戦おう」

 彼はギュッと拳を握った。節くれだった老木のような腕で、スーツがギリギリまで引き伸ばされた。もう少し力を加えたら、スーツがはちきれそうだった。

「“神様”みたいだとはいっても、この世界のことわりに従うんだから、あまり無理すると怪我するぞ」

 怪我の修復にマナが必要だし、彼のためにマナを使いすぎたらしばらくは、魔導を使うことができなくなる。

「ところで、先生、龍脈とは何なんだ?」

「うむ、この次元の外側に流れるマナの奔流のことである。通常、次元の内と外は交わることはない。しかし、我や魔導士、あるいは怪異といったマナに感応できる者にとっては重要なマナの供給源になる」

 ケンは真面目に彼の話を聞いていたが、元気のない相槌を返すだけだった。

「一種の反物質エネルギーということです」ニシが意訳した。「地下水のように流れているんですが、日によって流れる場所や強さが変わるんです。ここ最近は特に薄い、気がします。俺の場合、自分のマナと判別しづらいのではっきりとしたことはわからないんですけど」

「潰瘍のせい?」

「んー、どうでしょう。潰瘍は溶解した自我と魂のマナの異常地帯ですので。次元の裏側の龍脈は関係ないような」

 暗闇の中で街頭に照らされてケンの表情が見えた。複雑そうに眉を結んでいる。魔導やマナの原理は言葉では説明できない。頭の中で「理解」するものであり言語化すると実体からズレてしまう。魔導の教練も同じようなもので、ひたすら生徒に自然への「理解」を促すものだ。マナの流れが「理解」できれば自ずと魔導も扱えるようになる。

「ふむ、ならば魔導が使えるのではないのか」

 湘南男がった。ニシはしばらく彼の顔をぽかんと眺めた。

「あ、ああ、そうか」

 高速詠唱──声なき声でマナの奔流を呼び出す。人差し指を地面につけ、半径数メートルの魔導陣を描く。ルビーのような赤色に輝く魔導陣は、複雑な文様を編み出していく。

 しかしケンには魔導陣が見えず/ただ地面に触れているだけに見える。

「何を、しているんだ?」

「魔導探知です」

「潰瘍の中でやっていたやつか。敵を探し出すという」

「そう、それです。潰瘍の中ではマナの濃度が一定なので探査できるんですが、外だと龍脈の影響で広域の探査ができないんです。でも今日なら大丈夫。龍脈の影響を受けないので、最寄りの魔導士を見つけることができます」

「もし、今回の事件が怪異なら?」

 それはない、と思ったが、

「魔導陣のそこと、あとそこの式を組み替えます」

 しかし、ケンには魔導陣がみえないので、ただ困惑するだけだった。

 高速詠唱──最後の魔導陣が完成した。ニシを中心に、ルビー色の光が沸き起こる。カグツチもそれ見て笑っているようだった。

 遠くにモヤがいくつか見えた。数百のそれはひとつひとつが魔導士を示していた。正確な距離まではつかめないが、近ければ近いほどモヤが大きく見えた。

「魔導士の位置が見えます。近いところから追いかけましょう」

「待て待て、勝手には動けない。チームに連絡するから、少し待て」

 ケンはインカムを通してリンにことの詳細を報告し始めた。そのとき、ニシは動悸を覚えた。体中が冷めて四肢に力が入らない。マナの使いすぎだった。周囲数キロに渡っての魔導探知は体にこたえた。

「我はしばらく不可視化のままでいよう。そのほうが楽だろう」

 彼は暗闇に吸い込まれるようにして消えた。すこし呼吸が楽になった。目を閉じて深呼吸をした。息を整える。全員に流れるマナに意識を集中して、魂から流れ出すマナを整える。

「本部から許可が出たぞ。警官の配置が薄いU-1からT-9までを巡回する。……って大丈夫か? 顔が真っ青だぞ。貧血か」

「ええ、問題ありません。行きましょう」

 2人は車に乗り込んだ。ケンが運転席の始動スイッチを押す。魔導セルが電力を生み出して車に動力を与える。魔導セルが動き出したときにピリリとした感覚がした。正直吐きそう。マナを抽出する魔導セルをそのまま飲み込んでしまいたい気分だった。

「なにか、甘いものありませんか」

「ダッシュボードの中にレーションがあっただろう。プロテイン入のチョコレートバーだ」

 プラスチックのふたを開けると、中に地味な銀色の包みに包まれたチョコレートバーが転がっていた。『常磐』とその下に『行動食』とゴシック体の文字で書いてあるだけの飾りっ気のないデザイン。

 ニシはそれらをひっつかむと、2個同時に頬張った。甘い。しかし味をあまり感じない。黙々とチョコレートの塊を咀嚼する。

「おいおい、それ1本で1食分なんだぞ。歯が溶けるぐらい甘いのに」

 ケンの表情が若干引きつった。しかしニシは2本をぺろりと食べると3本目のチョコレートバーの包みを破いた。そして大きな一口を頬張った。

「カロリーを補給すると、少なくとも頭は動くようになるので」

 話している時間がもったいない、といわんばかりに次の一口を齧った。

「で、魔導士はどっちだ?」

「次の信号を右で」

 が見えた。3階建てアパートの中ほど。動く気配がない。

「一般人のようです。次、行きましょう。2時方向です」

 ケンは言われた通りの方向に車を進めた。道には誰も歩いていない。車の通りもまばらだった。明かりの消えた住宅街をのろのろと進んでいく。

「人通りが少ないな。通り魔事件のせいか。明日が平日ってのもあるだろうけど」

「この魔導士も関係無さそうですね」

 次のモヤも、家の中から動かない。部屋の電気も消えているので、たぶん寝ているようだった。

「すみません、いいアイデアだと思ったんですけど」

「いいんだ。立ったままでいるより、いくぶん楽だからな」

 ケンはニコニコしながらハンドルを叩いた。合理的な作戦を逐次取り込むことができるのがケンの長所だった。その点で、リンに次ぐ実質的な副隊長だった。

 しかし、その後2時間ほど市内をドライブしたが、不審な動きをするモヤ=魔導士を見つけることができなかった。そしてそのまま朝を迎えた。

 幸い、今日は通り魔の被害者はどこにも確認されず、そのまま帰宅することになった。



 朝6時。家についた。使いすぎたマナは幾分か回復していた。しかし手足が妙に重い。バイクの鍵をうまく引き抜けない=指が思うように動かなかった。頭もぼんやりする。疲れた体に朝日が突き刺さる。太陽を見るだけで吐き気を催した。今欲しいものは睡眠、それだけ。

 しかも今日の夜もまた、県警とともに警らに駆り出されることになっている。その上、通常の待機とかわらない賃金なので割りに合わない。さっさと不届きな輩を捕まえていつもの生活に戻したい。

 改善すべき作戦はいろいろあれど、まずは眠りにつきたかった。玄関の扉を開けると、その向こうのダイニングで朝食をで食べる子どもたちがいた。サナとモモは制服+エプロン姿という出で立ちで、目玉焼きを載せたトーストを齧っていた。

「おかえりー」「むむむむー」「おかえーり」「おかえり」

「ただいま。ふたりともすまないな、みんなに朝ごはんを作ってくれてありがと」

 サナの表情が、多少和らいだ気がした。しかし機先を制するようにモモが、

「このくらいダイジョーブだって! いつものことじゃん。私に任せてよ」

「そうか。それなら、安心だ」

 ニシは靴を脱ぎ、魔導の念動力で靴をきれいにそろえた。そしてそのまま自室へ向かった。

「あれ、ニシ兄ぃ、ご飯食べないの?」

「ああ、今はすぐ休ませてくれ」

 なるべく笑顔を作る。子どもたちの前ではなおさらだった。でも/たぶん、眠そうな半眼の子どもたちも空気を読んでか、ニシにちょっかいをかけようということをしなかった。

「あの、お兄さん」

 自室のドアを閉めようとしたとき、サナがニシを呼び止めた。

「今日、4時くらいに帰るんです。その後、今日魔導の訓練をお願いできますか」

 ここ最近、サナは遅れを取り戻そうといわんばかりに、ニシに訓練を頼んでいる。比較的、高齢な分、直感より理屈を頼ってしまい、魔導をうまく扱えないが、の実力があるだけに期待は大きかった。

「今日も5時には警察署に行かなきゃならない。それまでなら」

「よ、よろしくおねがいします」

 律儀なあいさつ。そういう礼儀は嫌いじゃなかった。

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