6
「じゃあ、まずは復習だ」
イマイチ本調子じゃないぼんやりとした頭のまま、サナに声をかけた。
結局、昨日の捜査は空振りだった。にもかかわらずニシたち常磐の担当地区とは反対側の街で被害者が出てしまった。警察の落ち度、と片付けるのは簡単だが、自分たちがそこにいたら、と思うとやるせない気持ちだった。
昼夜逆転の午後、学校から帰ってきたばかりのサナの、魔導の練習に付き合うことになった。
自宅/元アパートの前の狭い庭に、古いコピー用紙などを置く。そして風で飛ばないように石の重しを置いた。訓練=紙を燃やす簡単な魔導。火それ単体を出現させるより基礎かつ、緑など低級の魔導士でも簡単にやってのける術。BBQのときに便利な術だが実用性はあまりない。
サナは眉間にシワを寄せた。足を肩幅に開いて腰を落とす。そして大仰に腕を振りかぶって、手を大きく開いて、紙の束を凝視した。
「燃えろぉー」
普段小声な彼女にとってはかなりドスの効いた文言だった。間抜けに見えるその仕草も、ニシは笑うこと無く真面目に付き合った。ということもあり、間違えて家を燃やしてしまわぬよう、冷却魔導の高速詠唱をいつでも唱えられるよう構えていた。
盛大に燃やしても、近所からクレームは来ることがない。魔導災害で皆立ち退いてしまったから、周囲に家は1軒もなかった。
3分ほど経った。サナは微動だにせず紙の束を見つめている。額には小粒の汗が浮かんでいる。初夏とはいえもう暑い昼下がりだった。
ニシはさり気なく近づくと、小声でつぶやいた。
「物の燃焼に必要なものは?」
途端に発火した。明るい炎に包まれてコピー用紙の束が灰になった。
サナは妙な構えを解くと、ニシをじっと見た。小刻みに震えているようにも見えた。
「やっぱり、わたし、ダメなんですか」
サナがつい比べてしまうのは、他の5人の子どもたちだった。この程度の術なら皆すでに扱えていた。学校の宿題よりも熱心に訓練に励むおかげで一般的な魔導の術をマスターしていたのだった。
魔導災害のトラウマの気晴らしにと始めたが、今では魔導が扱えることそれ自体が、子どもたちの自負につながっていた。
「そんなことはない。子どもってのは直感的に魔導が扱えるんだ。だから、目に見える自然現象ならすぐ再現できてしまう。だけどサナくらいの年になると、理屈で考えてしまうんだ。無意識に。火なんて勝手に起きるわけがない、って無意識下で考えてしまう。でも逆に、理屈でなんとかなるんだから、宇宙の物理法則を学べば、それこそ太陽だって作れてしまう」
原爆が作れる、という常磐の筋肉野郎たちのセリフを改変して引用してみた。
「でも、わたしもひとつだけ、魔導が使えるようになったんです」
そういうと、握った拳を突き出してきた。
「じゃんけんしましょう」
唐突に、しかし促されるまま、ニシもグーの手を合わせた。
「じゃん・けん──」
「ぽん!」
ニシがチョキ、サナがグーだった。
だから? と視線を送るとサナは自信たっぷりに、
「もう一度!」
「じゃん・けん──」
「ぽん!」
ニシがグー、サナがパーだった。
妙な感覚。うまく言語化できないが。
もう一度やってみたが、やはりサナが勝った。
「『じゃんけん必勝法』 どーですか、お兄さん」
「……心を読んだ?」
「わかんないです。えへへ。でも、勝つ方法はわかるんです」
サナはさっきとは自身に満ち溢れていた。対照的にニシは頭を抱えたままだった。
「あまり、こういうのは良くないんだ」
「えー」
「心を読んでギャンブルで勝とうとする魔導士が時々いるんだが、必ずバレる。魔導探知機や、警備員が魔導士だったりするから」
なるべく、穏やかに言ったつもりだったがサナは不貞腐れてしまった。ニシは頭を振って、新たなコピー用紙を煤けた石の下に置いた。
「ところで、魔導の発動キーは決めたのか?」
「ううん、まだです」
「前にも言ったけど、発動キーは魔導発動までの思考を単純化できるんだ。つまりいちいち酸素+炭素=炎反応、みたいに考えなくていい。どれだけ複雑な物理法則でも理解し発動キーさえあれば即座に発動できる」
ニシは手のひらを上に向けた。その上に、明るい緑に光る魔導陣が出現した。その内と外がゆるやかに逆回転し、手の内に鈍く光る鉄球が現れた。
「俺の場合は、こんなふうに魔導で陣を描き召喚する」
「他に方法は?」
「初めの頃は事細かく口に出してたんだ。酸素+炭素=炎反応、みたいにね。その言葉を魔導で更に早く言えるようにしたんだ。だから今では自分でも聞き取れないような言葉を素早く唱えることで発動している」
なるべく安心感を与えられるよう、サナと同じ境遇だったことをやんわりと教えてあげた。サナよりも頭の固い子どもだったので、師匠のじじぃのしごきを受けつつ、その妥協で今の発動キー=高速詠唱を身に着けた。
しかしなおも、サナは難しそうな顔で考え込んでいる。
「こんなのはどうだ?」
今度はサナと反対方向に手のひらを向けると、
「フラッシュ!」
高らかに唱えた。途端にまばゆい光が起きた。光が収まったと思ったら、コピー用紙がメラメラと燃えていた。
「フラッシュ?」
サナは思わず苦笑した。それにつられてニシも笑っていた。安直すぎる。どういった経緯でこの起因になったのか、今度聞いてみよう。
「カナ、覚えている? 」
「ときどき来る、常磐の女の人」
「そうそう。そのおでこの広いほうの」
「おでこ……白い腕輪をしてる」
「カナの起因がこれ。短く言葉を唱えるんだ。本人が納得できるなら何だっていいんだ。別にルールはない」
カナの発動キーも、かなり滑稽だがその威力は絶大で実際に遠距離からD型怪異を狙撃して焼き払っていた。
「あるいは、媒介だ。この前見ただろうけど、モモは紙を人の形に切った式神を使う。ほかにもチョークで魔導陣を描いたり、塩をまいたり、楽器を使う魔導士も見たことがある。発動に時間がかかるから実用的ではないけれど。でも、大切なのは手段より結果さ。高度な奇跡の技ができるのなら、些細な問題さ」
その時、サナの顔がパッと晴れた。ぽんと手を叩くと、
「……笑いません?」
やたらに真面目にそう聞いてきた。ニシはコクコクと頷くと、サナは踵を返して家の中へ走っていった。
程なく、彼女は手に短い棒を持って帰ってきた。棒、といっても小さな手に収まるほど細く、長さも50cmほど。表面はナイフのようなもので雑に削ぎ整えられていた。ニスか何かで薄茶の色もつけてある。
「技術の時間に作りました。木工で自由に作ってよかったので」
「その棒で何するんだ?」
「棒じゃないんです。これは、杖なんです」
サナは高らかに宣言した。そして伝家の宝刀かのように、その不器用に削り出された杖を掲げた。小学生、しかも男子たちが下校するときにこういう仕草をするよな、と思い出した。
しかしサナは実年齢不詳の中学1年生。平均身長よりやや高い背丈で、本人も大人びていると自覚している。ずいぶんとちぐはぐに見えた。
「この杖を振ることで、魔導を使えるようになるのです!」
笑わないように、と念を押されていたのでそんな気は起きなかった。むしろあっけにとられた。普段おとなしいサナがここまで堂々と──多少、顔が赤くなっているが──自信を持っていることに驚いた。
「まあ、見ててください、お兄さん!」
サナは調子を崩さない。空中で十字を切ると、その杖先をコピー用紙に向けた。
「ふぁいあ!」
彼女のため、笑わないよう努めた。が、同時にピリッとした感覚を覚えた。大きな力で魔導が発動される予兆だった。
紙が燃えた。強烈な熱気が顔を明るく照らした。
「できましたぁ!」
ほぅ、とニシは唸った。炎はやがて赤から青に変わって温度が上がったのが分かった。魔導で炎という現象が実体化している。
「思ったよりも──」
「すごいですか!」
「ああ。さすが
起因と媒体は、かなり滑稽ではあるが。怪異と戦うにしろ建築現場で働くにしろ、こういったスキルは重宝される。並の魔導士と違ってマナの持続力も長い。サナにそんな未来を感じたが、当の本人はやっとまともに、そして相応の魔導が扱えたことのみが眼中にあった。
「サナ、もういいぞ」
しかし杖を持つ手は震えたまま、火炎は天高く舞い上がろうとしていた。
「これ、ど、どうやって止めるの」
マナを供給する回路の遮断、と口で言っても直ぐにできるものではない。
高速詠唱。声なき声を唱えた。防御のための魔導障壁を展開した。六角形の魔導の壁が青く激しい炎を取り囲む
もはや物が燃えているのではなく、火炎という現象それ自体が具現化していたから冷却では追いつかない。
魔導障壁は、火炎の渦を包み、そして収縮した。空中に吸い込まれるようにして、その両者が小さくなり点になって、消えた。あとに残されたのは、黒く焦げた地面と、半ば溶解して真っ赤になった石だった。
耳を澄ませた。消防車は近づいてこない。だれにも通報されずに済んだらしい。
サナは肩を大きく動かしていて、息が荒かった。ギュッと杖を握っている手はうっ血して赤黒く変色していた。ニシはその手にそっと、自分の手を重ねた。
「すごいじゃん」
冷たい手の感覚が伝わってくる。自分が初めてまともな魔導が扱えたときもこんな感じだった気がする。もっともあのジジィは、優しく手ほどきなんてしてくれなかったが。
サナは杖を抱きしめた。しかし目は虚ろだった。
「起因がうまく働いてる。この調子だよ」
「わたし、魔導が使えるんですか? 力が暴走しただけなのに」
「暴走じゃない。加減がわからなかっただけだよ。問題ない。実力は
「杖と呪文、笑わなかったですか?」
サナは恥ずかしそうに言った。懸念していたのはそこだったのか。そして今日の訓練を積極的にやろうと言い出したのも、媒介に用いる杖と呪文を思いついたからだろう。
「正直言うと、ちょっとおもしろかった」
素直に笑った。たぶん嘘を言ってもすぐ見抜かれてしまいそうだった。
「もう!」プイッと背を向けてしまった。「でも、ありがとう、お兄さん。もっといろいろ教えてください」
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