5

 信号待ち。6月のジメジメした中で大型バイクのエンジンが低い音でドロドロと響いている。頭上の曇天からいつ雨が降り出してもおかしくない感じ。雨が降るとバイクの洗車が面倒だ。ニシはバイクのグリップをギュッと握って赤信号を睨む。

 雨を避けるための魔導はそう難しくない。しかし街なかであきらさまに魔導を使うことは、はばかられた。まだ魔導を諸悪の根源と思っている人間も多い。

 そしてもうひとつ面倒なこと=きちんと話ができないうちにリンと別れてしまった。きっと彼女の性格だと、次会った時話しづらいはず。

 青信号。ギアをニュートラルから1速へ、ガコンと心地よい振動でヨーイドン。憂鬱ゆううつを置き去るような急加速/しかし法定速度は守る。

 リンは人の面倒をよく見ることができる姉御肌だ。こちらから優しくすると逆に、彼女の心を傷つけてしまうかもしれない。今できることは待つことだけ。たぶん彼女の傷は時間が解決してくれるはずだ。

 高級住宅街を通り過ぎた一瞬、警察車両と黄色いテープで区切られた邸宅を見た。その外で見慣れた刑事の顔があった=魔導士ではなくライダー持ち前の動体視力。

 次の交差点でUターンをすると、事件現場へ戻った。

 3階建庭付きの家が、町を見下ろす丘に並んでいる。潰瘍の発生や川崎市の発展の以前から立ち並ぶ瀟洒しょうしゃな一角。

 そのひとつが、1階の全面がブルーシートで覆われている。

 制服の警官が、ピーと笛を吹いて静止した。

「すみません、ここから先は通り抜けできないので、引き返してください」

「知り合いの刑事さんがいたので、ちょっとだけ」

「しかし、規則ですので……」

 若い警官は譲らない。その後ろで、今時珍しいエンジン音に気づいて、ヤクザのようなの刑事がつかつかと歩いてきた。

「おう、魔法使いライダーじゃないか。久しぶりだな」

 しかめっ面のまま。しかし彼にとってそれが、普通の顔だった。表情をあまり変えない。さすが昭和生まれの。

「ええ、お久しぶりです、新山刑事」

「こいつは俺の知り合いだから大丈夫だ」

 新山刑事は真面目そうな警官を元の配置に戻らせた。

 ニシはバイクを降りながら、

「何かあったんですか」

「ああ、ちょっとな」

 ちょっと、という言葉を聞きながら目を細めた。常磐のロゴ入りの防護服を来た一団が玄関付近をウロウロしている。家の正面には2tトラックが止まっている/ナンバープレートは新東京。同じく常磐のロゴが3面に描かれた荷台から、何やら機材を下ろしている。潰瘍監視基地の研究棟でも見たことがない高そうな機材ばかりが並べられていく。

「あれ、常盤本社の研究員ですね」

「ほう、目がいいな。それも魔法か?」

「もともとです。バイクに乗っているので、いろいろ見るべきものが多いでしょ。交通取締とか」

 最近の警察は、ガソリンエンジンというだけで騒音だの環境対応だので職務質問してくる。新山刑事以外の警官にはそんなにいい印象がない。

「おっと、そらぁ俺のせいじゃないからな。それに交通課には配属されたことがない」

 筋金入りの凶悪犯罪専門の警察官のいらえ。

「ええ、冗談ですよ自分は善良な魔導士です」

 ニシの腕で、白い円環が揺れた。核爆発から紙幣偽造まで、最高位の魔導士が犯罪行為をしないよう監視するGPSデバイスを掲げてみせた。

「で、今回は本社が協力をしているんですね」

「お前に電話しなかったのを悪く思わんでくれ。状況が状況なんでな」

 新山刑事は歯切れの悪い言葉しか並べようとしない。

「おーい」新山刑事の低くて大きい声「一服してくるわ」

 そう言って、ニシに目配せすると路地の陰へ入っていった。その後にニシも続いた。

 新山刑事は内ポケットからタバコを取り出すと、1本を咥えた。路上喫煙は条例違反だった気がするが、警官が良いといえば良いのだろう。

「火、付けましょうか」

 無言の魔導を発動/指先に小さい炎が灯る。風でも揺れない特別製。

「俺ぁ、独り言がデカイけど気にすんなや」

 タバコに火を付けると、一吹き、煙を吐き出した。その険しい表情は百戦錬磨のおとこの顔だった。

「ええ」

 ニシはひんやりとした古いコンクリートの壁にもたれかかった。風になびく紫煙を眺めた。煙がわずかに香る。

「発覚したのは2日前のことだ。隣人の犬が庭に白骨化した人の腕を埋めててな。で、隣人がこの家に近づいてみると腐敗臭がしたそうだ。それにここ1ヶ月、人の出入りを見ていない。だから警察に通報が入った。うちの警官が駆けつけて見たところによると、老人らしき腐乱死体があったそうだ」

「それは、見たら吐きそうだ」ニシ=同じく独り言。

「いや、そうでもなかったらしい。干からびててほとんどミイラだった。つまり体液やら血液やらが全部吸い取られてった、ってわけだ。それに頭蓋と胸骨が割られていて、脳と心臓も持ち去られている」

 鳥肌が立った。

「じゃあ、先月の怪異がらみの殺人事件に関連が」

「鑑識によると、被害者の死亡はそれより前らしい。ま、それ以上詳しいことは県警と常盤の社員が調べてるから俺ぁ知らん」

 所轄の刑事のいらえ=さも慣れたふうに言った。

「ここの住人は誰だったんです?」

「一人暮らしの老人。名前は高橋邦夫たかはしくにお73歳。近所付き合いはほとんどなかったそうだ。昔からここに住んでるが、妻に先立たれてから引きこもりがちでゴミ捨て以外は見かけなかったらしい。で、近隣住民の話では、この爺さん、魔法が扱えたらしい」

「らしい?」

「ほら潰瘍と、その後の戦争で電子情報が消えちまっただろ。あらかた復旧した住民票はともかく魔法使いの登録は義務とはいえ、登録している魔法使いは100%じゃない。この爺さんはその登録がなかったんだ」

 現代社会の盲点。潰瘍に続き核の電磁攻撃でずたずたになった社会は魔導士への信用が落ちてしまった。そして魔導士の登録制度も、老練な魔導士にとっては屈辱だったのかもしれない。

「どんな魔導士ですか?」

「そういうのは常磐の上司に聞いたほうが早いんじゃないか」

 独り言の質問に、独り言の質問が帰ってきた、つまり知らないということ。たぶんカナに掛け合っても無駄だと思う。

 新山刑事は携帯灰皿で火をもみ消した。

「さて、休憩終了だ。本署の連中が調べ終わるまではずっと交通整理だ」

 新山刑事はぐっと伸びをした。かなり暇そう。

「もうひとつ、いいですか」

「ん? なんだ」

「魔導士かあるいは怪異が関係している通り魔のことです。あまり情報がもらえてなくて」

「通り魔?」

 新山刑事は一瞬固まったが、ぽんと手を叩いた。

「おう、そういや和田警部がドタバタしてたな。署を挙げて捜査したいんだが、こっちの事件に時間を取られちまってる」

「なにか詳しいこと、知りませんか。犯人の目星とか」

「殺しが人間の仕業だったら、の話じゃないのか」

「俺は、怪異がやったとは思えないんです。怪異にとって、命の有無だけが重要であって性別は関係ない。今回の事件、男ばかり狙われてるのは明らかに人為的な感じがする」

「おん? まだ聞いてないのか。被害者5人のうち、1人目は女だったんだ」

「えっ、聞いてないですよ」

「まあ、判明したのは今朝方けさがただったか。なにせ遺体はミンチになってたんだ」

「それだけで、性別がわからないんですか?」

「お前、スーパーに並んでる挽き肉を見て、牛が雄か雌かわかるのか?」

「つまりペースト状になった遺体ということですか」

「ああ、しかも2人分が混ざっていたせいで鑑定と身元の特定に時間がかかったんだ」

 なんてこった。しばらくはハンバーグが食べられそうにない。

「犯人の目星はついていますか?」

「怨恨、だな。1人目と2人目の被害者は交際関係にあった。それを恨んでの犯行だろうな」

「だったらすぐ見つかるんじゃ」

「それが、まあ、被害者は今どきの大学生ってやつで。元彼女とか元々彼氏とか、たどっていくとかなり多くて。しかも全員シロ。魔法が扱えるやつはいなかった」

「だから、常磐に依頼して人海戦術を」

「ああ。だが俺の勘じゃ、犯人は女だ。2人目以降、男ばかり狙うのは、2人目の男に重ねてるからだろう。夜道の酔っぱらいを狙うところを見ると、かなり小心者あるいは警戒心が強くて、簡単な獲物しか狙わないタイプ、ということになる」

「おお、ドラマの刑事みたい」

 素直な称賛を送った。新山刑事は照れくさそうに頬を掻いた。

「よせやい。凶悪犯ばかり見てると、誰でもこうなっちまうんだよ」

 そう言って遠くを見つめた。きっと、争いが絶えない世の中にうんざりしても、それでも犯罪と戦わなくてはいけない身の上を憂いている。

「殺しの間隔が短くなってる。もしかしたら今夜も死者が出るかもしれない。それを未然に防ぎ、かつ現行犯で確保できるなら、それほど理想なことはない」

「2000万人もいるこの街から見つけるのは、そう簡単じゃないと思いますが」

「なーに、あれがあるだろ」

 新山刑事は、チチンプイプイと言って指をくるくるさせた。つまり魔導で犯人を見つけろ、ということか。

 人間相手の戦いは慣れてない。自分を鍛えてくれた近所のジジィは、いつか魔導士同士で戦うことがあるからと、“稽古”をつけてくれた。ほぼ“しごき”に近かった訓練が嫌いでおろそかにしてしまった。

 でも、この街のため、そして子どもたちのため、やるしかない。

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