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「モモちゃーん、次、教室移動だよ―」

 休み時間、教室の中はガヤガヤしていた。モモはぼんやりと窓の外を眺めていたせいで次の時間、理科室へ行くことをすっかり忘れていた。

「うん、サンキュ」

 声をかけてくれた親友=ひーちゃんが、うんうんとうなずいた。みつあみがパタパタと揺れる。ミッフィーのヘアゴムがトレードマーク。かわいい友人。やや特殊な境遇のモモに分け隔てなく接してくれる。

「何か見てたの?」

「ううん、何でもない」

 時々、学校のそばの道をニシ兄ぃがバイクに乗って通り過ぎる。だから暇さえあればこうして外を眺めてしまう。そう、何でもない。ニシ兄ぃが気になるけれどそれは単に、一緒に暮らしている家族・・が近くを通ったから気になるだけだ。

 理科の教科書と副教材の分厚い資料集、ノートを重ねて、上に筆箱を置いた。

「佐藤先生、今日から新しいことするっていってたけど、何するんだろうね」

「うーん、なんだろうね。カエルの解剖とか」

「えー、やだよーモモちゃん。そういうの苦手なのに」

「アハハ、冗談冗談。そういうの最近はやらないらしいから」

 わざわざ理科室に行くのだから火の実験をするはず。だとしたらよく聞いておかなくちゃいけない。ニシ兄ぃは、いい魔導士になるには理科を頑張らないといけないって言ってた。まだ魔導では単純なことしかできないけれど、いつかニシ兄ぃのような立派な魔導士になってみせる。

 また、ニシ兄ぃのことを考えちゃった。

「重いねー教科書」

 ひーちゃんが教科書を両手に抱えながら階段を降りる。モモもその横をついていく。

「こんなの楽勝楽勝! 鍛えてるから」

 自負。ニシ兄ぃを助けて、小さいたちも助けている。家事だってなんでもできる。最近はサナに仕事を取られつつあるけれど、忙しい中学生と違ってたくさんニシ兄ぃのために働ける。

 階段の下、3階と2階の踊り場に目立つ同級生がいた。さらりとした髪の長身の女の子。りんとした風貌は大人びていて逆に周囲から浮いている。

 ひーちゃんは小さい声で、

「エリちゃんだよ。きれいだよねー」

「うん」

 正直、苦手だ。

 思いやりのある人、という標語のような言葉を体現したのがひーちゃんだとしたら、この同級生は何でも自分の思い通りにしたいという女王タイプ。

 モデル然と佇む少女=エリの眼前を横切る時、妙に視線を感じた。が、なるべくそちらを見ないようにした。

「ねえねえ、モモさん。こんにちは」

 普段話しかけてこない相手/しかしスクールカースト上位のエリを無視するわけにもいかず。

「こんにちは」

 一瞬だけ視線があった。二重の大きい瞳、小さい顔。毎週ラブレターが届くという噂=多分本当。なんかムカつく。

 適当に挨拶をして、その後は極力無視して理科室へ向かって歩いた。しかし違うクラスのはずのエリも一緒についてきた。

「そっちのクラス、次は国語でしょ。こっちに来ると遅刻しちゃうよ」

「モモさん、魔法使いなんでしょ」

「……魔導士」

 モモは一言だけ言い返したが、一瞬、手足が冷たく感じた。その事実は隠しているわけではないが、おおっぴらにされたくない事実。異質な存在だと言われるのは嫌だ。

「ハハハ、ごめん、そうだったわね。でね、実は頼みがあるんだ」

「頼み?」

 カースト上位の美人の声掛け=イジメという疑念は、とりあえずは無くなった。

「下田のガード下で深夜2時におばけが出るって話を知ってる?」

 そういえば/たしかクラスの男子が話していた。

「首なしおばけ」

「そう、それそれ。昔、電車ではねられた人が、自分の首を探して歩いてるんだって。そのおばけを友だちみんなで退治しにいかない?」

 みんな? なぜ自分も入っているのだろうか。

「おばけなんて、いないのよ」

 そうニシ兄ぃは言っていた。話は難しくてよくわからなかったけど、怪異とおばけは違うらしい。それにどうしたらこの高飛車たかびしゃ女がおばけ退治に行くことになるのか。

「でもー4組の西田たちが見たって」

 エリの細い眉が釣り上がる/整った顔のせいで威圧感が倍増=反論しないほうがいいサイン。

「なら、いるかもね」

 深夜2時にどうやって見に行ったっていうのだろうか。そんなの嘘に決まっている。証拠なんてあるはずがない。声に出さずとも心のなかでこの裸の女王に毒づいておいた。

「でねでね」エリは理科室の前まで執拗に追いかけてきた。「魔法使いのモモさんにも協力してほしいなって思って。行くでしょ?」

「嫌だ」

 モモ=毅然きぜんと。となりでひーちゃんはオドオドしている。

「ん、ごめんよく聞こえなかった。行くのよね」

 人差し指をこめかみに当てて、悩むようなポーズ=あからさまな演技/いつもこうして精神攻撃をしているというふう。

「行かない。そんな訳のわかんないことに協力できない」

 学校のボス/猿山のテッペンの女王へのささやかな抵抗。エリは面子めんつを潰されたせいで、今にも怒気が沸騰寸前。普段、周囲にイエスマンばかりをらせているせい。

「あらそう。別にいいわよ。あなたとお友達になりたいと思ったから声をかけてあげたのに。好きにするといいわ」

「どうも」

 モモ=あくまで慇懃いんぎんに。

 エリは怒りを抑えながら、モデルウォークで立ち去った。完全に姿が見えなくなってから、ひーちゃんは興奮気味に、

「どうしよう、モモちゃん。エリちゃん、すごい怒ってたよ」

「大丈夫だって。バカバカしい子供だましに付き合ってられないって」

 そう、わたしはそんなことに興じるほど、おこちゃまじゃない。ニシ兄ぃには一番のお姉ちゃんとして期待されている。はやく大人にならなきゃいけないのに。

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