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かつての東京をドーム状に覆っている東京潰瘍。この次元と世界の外側のマナの均衡が崩れた異世界=しかし原因は憶測/推測。常磐を信じるなら、そう。

 原因不明の魔導災害のひとつ。

 さらにその周囲/破壊され更地になった平野=かつての東京23区の外周部/常磐の魔導研究施設がある。潰瘍を監視し怪異の殲滅せんめつ を担う保安隊もまた、3つの小隊が配属されている。

 研究施設が入るビルの横=旅客機の格納庫と思わせる高い天井とスライド式開閉扉を備えた屋内演習場がある。ここ数年で東京潰瘍と多摩川を挟んだ反対側に民家が建ち始めたので、屋外で銃を使うような訓練はクレームが来るとか。川の向こうにある川崎市は、今では3000万の人口を抱える都市に発展していた。

 あとから来たのに文句を言うのか、と納得はできないがここにいる元軍人&元警察の面々からすれば、そういったの文句は“日常”といったふうに聞き流しているようだった。

 陽気さが取り柄な彼らは、強化外骨格APSを身にまとい、自動小銃を片手に、雑な2列横隊でがやがやと談笑していた。言葉の端々で「賭ける」だの「1000円」だのといった言葉が聞こえてくる。ニシはそんな彼らとやや距離をとった。

 死地でも笑顔を忘れない、そんな体育会系筋肉野郎とは、なんとなくりが合わない=話の輪に入れず。

「うっし、野郎ども、やる気が十分だな」

 遅れて登場した小さい影=リン。威勢のいい掛け声/どう見ても中学生な風貌/ 左右非対称アシメの赤い髪がパタパタ揺れている/強化外骨格APSのおかげでニシと同じ背丈に。

 こう見えて彼らの隊長。

「うおおおぉぉ」

 ロボットのようなシルエットの男たちも唸りを上げる。第1、第2小隊の隊員が集まっている。残る第3小隊は潰瘍の監視任務で不在。しかしこの人数でも、今からラグビーかアメフトの試合を始めるのではないか、というくらい男臭い熱気が漂っている。

「昨日も伝えたけど、今日は、実弾演習だから気ぃ抜いたら死ぬわよ。それに、強化外骨格APSの性能評価試験も──」

 途中でリンの言葉が途切れた。童顔隊長のすぐ後ろで冷たい目の白衣&最高位の腕環をした女性=カナが立っていた。きらりと、照明を反射しておでこが光る/イライラを飲み込んでいるが、ポニーテールがぶんぶん揺れている。

 こう見えて、実力部隊をエンジニアとしてサポートする常磐の社員/本業は大学院で魔導工学の研究員。

 すっとカナは手にしたバインダーに視線を落とした。

「先月の潰瘍内での戦闘をふまえ、駆動モーターの出力アップ、神経伝達素子の改良を加えました。すでに皆さん、完熟訓練を終えたとの報告を隊長から頂いたので、今日は性能評価試験を行います。3機のドローンが追従して撮影をします。なお、隊員個人の戦闘能力評価は行いませんので、あまり気負いしないでください」

 杓子定規しゃくしじょうぎ 前口上まえこうじょう を述べたあと、少なくとも私は、と小声で付け加えた

「ルールは、ベニア板で区切られた通路と小部屋を進み、50m先のゴールまでたどり着きます。途中、10体の標的を倒してください」

 隊員たちがそれぞれ顔を見合わせた後、がらんと広い訓練場/格納庫を見渡した。壁際にベニヤ板がうず高く積み上げられたままだった。

「私が訓練経路を魔導で構築します」 カナがニシに目配せした。「なお、今回の射撃標的はニシが作るA型怪異の幻影です」

 高速詠唱──声なき声を唱える。にわかにコンクリートの床にエメラルド色の光る魔導陣の文様が浮かび上がった。内側が時計回り、その外側が反時計回りに回転する。エレベーターで登ってくるように、ヒトの形をした影がせり上がってくる。

 筋肉野郎たちにどよめきが広がった。偽物にしてはよくできていた。だらんと垂れた長い両腕、やや前かがみの姿勢、赤く光る2つの目……のような部分。潰瘍の発生で犠牲となった魂の集合体たるA型怪異とそう違いがなかった。

「へぇ、よく出来てるっすね」

 ガシャガシャと強化外骨格APSを揺らして、怪異に近づく若い隊員=ジュン/金髪=社内規定違反ギリギリの明るさ/興味本位でA型怪異の顔を覗き込む。

 ぐrおぉオぉぉぉぉ

「うわっ、くそ、こいつ動いた」

 足が絡まって盛大に尻餅をつく/それでも怪異はジュンに襲いかかろうと身構えた。

 途端にA型怪異は霧散した。あとに残ったのは、怯えたジュンとそれをゲラゲラ笑う筋肉野郎たちだった。

「気をつけてください。俺が召喚して作った怪異は、その習性もまた、本物と同じです。一応、俺が見ているので危険が及ぶようでしたらこうしてすぐ消します」

 すみません、とニシは手を伸ばしたがジュンは頭を振ると、機械仕掛けの脚力で垂直に起き上がった。

「寿命が縮んだっす」

「銃弾に対する抗力や急所も同じなので、まあ、普段どおり戦ってください」

 ジュンは、強化外骨格APSを揺らしながら列に戻った。

「じゃあ、みんなでじゃんけんでもして順番を決めて。あたしらは上で見てるから」

 上、と指差す先にキャットウォークがあった。高さは3階建てのビルくらいある。ひと1人が通れるぐらいの幅の通路がコの字型になって天井付近にぶら下がっている。

 リンはキャットウォークへの梯子を、カンカンと音を立てて軽快に登っていく。さながら木の上で獲物を待ち構えんとする豹のよう。

強化外骨格APSって、あんな動きできたっけ」

 カナの耳元で訊いてみた。

「普通は、無理ね。ま、ちびっこ隊長だから細かな動きもできるんじゃない?」

 エンジニアの割にずさんな返事。

「改良型の強化外骨格APSが支給された初日、みんながずっこけてるなかで、リンだけはいきなりカグツチと格闘訓練してたし」

 すると空気が揺らめいた。ピントのズレた像が次第に絵を結び、身長2mはある筋骨隆々な湘南男=カグツチが現れた。

「ん? 呼んだか」

「いや、呼んでない」

「なんだか、楽しそうなことしてるじゃないか」

 無意識下での召喚/というより勝手に現世にやってきた自称・神/実際に古代の魔導士に祭られていた。人と言葉をかわし共に戦うのは高次の思念体たる彼の愉悦ゆえつ の一つだった。

「今日は訓練だ。しかも個人戦闘の訓練。俺たちはただ見守るだけ」

「なんだ、そうか。つまらんな。次は必ず──」

「必ず呼べ、だろ。分かってるって」

 どこで覚えたか、サムズアップとウィンクをすると、煙のように姿がゆらいで消えた。

「天賦の才よ」カナ=唐突に。「ちびっこ隊長のの扱いも、その召喚も、誰しも説明できないなにか特別な力があるものよ」

 何か含みのあるような言い方=事情があるのだろう、あえて追求せず。

 カナの左腕で乳白色の腕環/最高位の魔導士が犯罪を犯さぬよう監視するGPSデバイスが揺れた。彼女もまた、ニシと同等かそれ以上に強力な魔導が扱えた。

 軽い魔導の発動を感じた。マナが流れ術をつむ いだ。カナはわずかな予備動作だけでキャットウォークまで飛び上がった。

 ニシもマナの流れに意識を向けた。身体強化/重力制御。最高位の魔導士にとってごくごく単純な魔導は、詠唱やら魔導陣は不要だった。体がふわりと軽くなる/軽く地面を蹴ると、高く飛び上がってカナの横に軟着地した。床は格子状で遠く地面が見えた。鉄骨からぶら下がっているだけのキャットウォークはそれ自体が揺れることはなさそうだが、地面に吸い込まれてしまう錯覚を覚えた。

「でこちゃん、これでお願いね」

 そう言ってリンはカナにタブレットを渡した。会社の支給品で背面にテプラで「常磐 第一監視基地」と安っぽい装飾が貼ってある。

「ちびっこ隊長は、こういう細かいのもするのね」

 一触即発のあだ名の応酬=しかしそれがさも朝の挨拶のように、お互いが受け流した。

 タブレット画面には、強化外骨格APSの戦闘訓練で使用する、訓練区画の図面が事細ことこまかに記入してあった。

「すごいな、一人で考えたのか」

「うんうん! 全部で10パターン、怪異の配置は20パターンあるから」

 ニコニコ&ウキウキで画面をスワイプする。ごちゃごちゃした画面が切り替わって行くので、カナは憮然としてリンの指を捕まえた。

「貸して。わたしがこれを“作る”から」

 タブレットをリンに押し付けると、両の手を広げた。にわかに仄かな白い光が手のひらに起こった。

 訓練区画の端にうず高く積まれていたベニア板が空中を舞うようにして浮かび上がった。それぞれが図面と同じように、移動しパズルを埋めていった。ものの数十秒で通路と小部屋で仕切られた訓練場が完成した。

「呪文、期待していたんだが、言わないんだな」

 茶々を入れてみた。

「たかが念動力よ。詠唱なんて必要ないわ」

「それか、あれだろ。口に出すのが恥ずかしかったか。フライィ! とかムーブゥ!とか」

「ふん!」

 広いおでこがまたピカッと光を反射した。彼女の詠唱──安直なネーミングのカタカナ語──は、安っぽさの一方で宇宙戦艦顔負けのビームを放つので侮れなかった。たぶん、カナと戦ったら、近接戦闘スタイルのニシでは負けてしまう。

「ハイ次! この配置でお願いね」

 リンが胸の前でタブレットを裏返して、画面を見せてきた。緑色の光点が疑似召喚する怪異を示していた。

 高速詠唱──声なき声でそれを喚び出した。ニシの足元にエメラルド色の魔導陣が輝き、そして同じ文様が訓練場の10箇所で輝いた。各々の魔導陣からA型怪異がせり上がってきた。

 国内に十数人しかいない最高位の魔導士×2の贅沢な使い方=しかし固定給に含まれている作業。

「危険と判断したら、すぐ消すから」

「だいじょーぶ。たかがA型怪異よ。あたしの隊員が負けるわけないっしょ」

 ニコニコ&ハイテンションなリンが手を振った。準備完了の合図。1番手の隊員が迷宮の入り口で銃を構えた=第2小隊の西田という元陸自のプロ。小銃に弾倉を込め、1発目を薬室へ送り込む。全て、流れるような手付き。同時にドローン3機が低音の羽音を響かせて兵士の頭上で旋回する。

「あっ、合図を出す方法、考えてなかった」

 リンは小首をかしげて唸った。そして拳銃に手を伸ばそうとした。

「銃弾1発いくらすると思ってんの」

 訓練費用を計上し、経理に小言を言われる中間管理職=カナ。

「これ、訓練用の弾だよ」

「無駄撃ち禁止!」

「うへっ、どこかの陸自よか厳しい」

 すると空中に緑の光が現れた。それがカナの言葉に合わせて点滅した。

「3・2・1」

 赤い光。それを合図に隊員が走り出した。ガチャガチャと強化外骨格APSを揺らして各小部屋・死角をクリアリングして進む。接敵=機械じみた反応速度で怪異の胸の中心に三点バーストを打ち込んでいく。

「フフン! いい感じ」

 リン=タブレットでストップウォッチのアプリを起動/カウンターが5分を超えたところで西田隊員は全行程を走りきった。

「5分21秒。まあまあね」リン=大音声で「足の動き! 銃を持ったテロリスト相手じゃないのよ。相手からの反撃は気にしないで。アタックアタック!」

 西田隊員は同じく大声で返事をすると、仲間の待つスタート地点へ戻った。賭けの胴元は誰だろうか。

 2番手、3番手の隊員も同じく5分半前後の時間でクリアしていく。いずれも流れるような動き/戦闘技術で、普段筋トレばかりしているほが らか野郎とは思えない、プロの顔つきだった。

「ねぇ、ちょっと簡単すぎない?」

 リンが小首をかしげた。

「あくまで、強化外骨格APSの駆動試験だから、本格的な戦闘をする意味はないのよ」

「本格的に動かなきゃ、評価できない。でしょ、でこちゃん?」

「限界駆動は実験室でもできるから、いいの!」

 強化外骨格APSを着たちびっこと白衣を着たおでこを尻目に、ニシは次の怪異を用意する=犬も食わぬ喧嘩。 

 足元で魔導陣がエメラルド色に光り、同じ光が訓練区画の各所で起こる。訓練区画の入り口では、ジュンが跳躍したり屈伸したりしてやる気が満々だった。その後ろの他の隊員たちは、あーだこーだと戦闘訓練の感想と自説を吹いていた。

「ねぇ、ちょいまち」

 リンに腕を掴まれた。見た目は少女じみていても、機械仕掛けの握力でぐいぐいと締めてつけてくる。

「とりあえず、手をパーにしてほしいんだが」

 あと少しで本能的に魔導障壁を展開しそうなった。

「あそこの最終地点、B型に変えれない」

「見た目だけ変えるなら」

 リンの頭越しにカナを見たが憮然としたまま、肯定とも否定ともとれぬ目つきが光っていた。2人のどちらかに肩入れしないようにしてきた。実質、この2人が実働部隊の長だった。

 強引に押され/否定する権利もなく、9体だけ召喚し、最後の1体だけ魔導陣の文様をわずかに変えた。エメラルドに光る魔導陣/リンは足元で輝いているにも関わらずそれが見えず/エレベーターで上がってくるように現れたのは、のっぺりした仮面らしき顔を左右に2つ持つB型怪異だった。長い腕/長い足/腕力/脚力ともにコンクリートの壁を穿つ。

 出口のやや広い小部屋に陣取るそれはさながら、ゲームのラスボスの雰囲気だった。B型怪異との個人での戦闘は、常磐の交戦規定では「非推奨」だった。かならず複数での会敵が常識とされている。とはいえ、今回は疑似召喚による幻影にすぎないので、見た目に驚いて後手に回らなければ対処できるはず。

 カナの魔導=スタートの合図でジュンが小走りに訓練区画へ突入した。タタタンッ/銃声。最初の小部屋で難なく標的を倒した。

「ジュンの動き、他のみんなと違うの、分かる?」

 カナが耳元で呟いた。機械油の匂いに混じってシャンプーだか香水だかの香りもする。

「銃を姿勢が、高い?」

「ピンポン。軍隊で訓練を受けたメンツと違って、元警察だからね。怪異は銃を撃たないから姿勢が多少高くても大丈夫。それにより遠くを見られるから索敵に有利だしね」

 スラスラと/経験から来る自信に満ちた言葉たち。童顔かつ見た目通りの快活さとは裏腹に自分以上の経験を積んでいることへの敬意を覚えた。

「アハッ! いよいよ最後の難関よ」

 リン=まるで教師にイタズラを仕掛けた中学生のように喜々として飛び跳ねた。

 的確なクリアリング/足音を立てない歩み/いつになく真剣な目つきで、ジュンが銃を構えた。ゴール目前でも気を抜いていない=10体目はゴール手前にいることを分かっている。

 見た。B型怪異が4つの赤い目/不気味な仮面でジュンを見下ろした。体長は2mもあるのでジュンが子供のように見える。

「グrゥrgggぉゴゴゴ」

 唸り/殺意が小部屋に充満する。魔導で織られた影なので、動きや音を真似しているだけ。マナを感じる第六感のある魔導士なら偽物/恐るるに足りないまやかしだと判然する。しかし一般人は五感に頼ってしまうため恐怖で支配されてしまう。

 ジュンは、さっきまでの動きが無くなってしまい、怪異の突進に対応が数秒遅れた。銃声が響く/半分は標的を外し、怪異の背後のベニヤ板に穴を開けた。すん でのところで怪異の太い腕の横薙ぎ攻撃をかわすと、その背後に回った。膝立ちで銃口を怪異に向ける。が、銃弾が出ない。

「アハハッ、焦ってる。弾づまりジャム ? Mk.IVマークフォーはそんなことあまり起きないからただの弾切れかな」

 リンは相変わらずニコニコ顔だった。その整った横顔に、実は悪魔が住み着いているのではないだろうか。

「さすがにかわいそうじゃないか?」

 眼下で、ジュンは正確な操作で弾倉を付け替えた=流れるような手つきで薬室に弾丸を送る。

 迫る怪異/腕1本ぐらいの距離に動じることなく怪異の膝部分へ的確に弾を撃ち込んでいく=フルオート。

 怪異=崩れ落ちる。丸太のような太い腕がジュンの頭上から振り下ろされる。銃を小脇に/右手を突き出す。腕部に備えられている杭打機パイルバンカーがその腕を貫く/続けざまに右ストレート=右腕のが怪異の胸を貫いた。怪異の幻影は霧散して消えた。

 ジュンは息が荒いまま動けないでいた。そしてトボトボとゴールへ向かった。

「7分10秒。だめねー」

 リンは手を振って、次の隊員を訓練区画の入り口に立たせた。横でカナが長い溜息をついた。これについては全くの同意をせざるをえない。しごき・・・ は実戦で生き残る訓練だと推察できたが、体育会系筋肉人間たちの流儀は一般人からしたらイジメの一言に尽きる。

 突然のB型怪異に隊員たちはざわついていたが、むしろそのほうが戦士魂が燃えると言ったように目をギラつかせている。残り9人の隊員たちは各々の課題で、待っていましたと言わんばかりにB型怪異を叩きのめした。

「ふー、終わった」

 カナが髪を1つ束にまとめてゴムで縛る/ちらりとうなじが見えた。ストレス×仕事で陰鬱いんうつとした印象が拭えないが、横顔はすっきりした美人だった。

「まだよ、でこちゃん。こんどはあたしの番」

 そう言って、ニシにウィンクを飛ばした。そして欄干らんかんへ身をひるがえした。2人の眼前で一瞬だけ体が静止=慣性の法則。姿を追って眼下を見下ろすと、盛大な衝撃音とともに10m下の床に着地した。と同時にショックアブソーバーが瞬時に加熱して空気を揺らしている。

「よく飛び降りたな。怖くないのか。さすが隊長と言ったところか。かっこいいな」

「わたしだってこれくらい、できるもん」

 妙なところで張り合ってくる。

「魔導士と普通の人間を比べるなよな」

 魔導を使えば、身体強化であれ重力制御であれ、あるいは水や空気の層で速度を抑える方法があるが、本能的な“落ちても死なない”という認識が、Xゲームじみた行動を可能にしている。普通の人間の感覚というものを計り知ることはできないが、恐怖で立ちすくむほうが人間らしいといえた。

「ね、ちょっと相談」

 カナの意地悪そうな笑みを見た。眼下ではリンが銃を担ぎ、予備の弾倉を強化外骨格APSの胸ポケットに差し込んでいる。

「聞きたくないんだが」

「まーまーそういう事言わず。怪異をさ、B型ばかりにして、最後はC型怪異にしよ」

 “しよ”というのは、彼女自身は召喚魔導は扱えないため、つまり“しろ”という命令だと気持ちをんだ。

 C型怪異は、交戦規定では「非推奨」であり、重火器を用いるか魔導士との連携が「必須」と赤字で書いてある。

「今の手持ちの武器じゃ、C型には通用しないぞ」

 武器は自動小銃1丁、ナイフ、拳銃、そして杭打機パイルバンカー

 杭打機パイルバンカーの打ち出す杭は薄いメッキ構造それぞれに対魔導障壁の術式が描いてあり、電磁圧で打ち出される。そして使うごとにメッキが剥がれていく。相手の強度次第だが、3,4回が限度だ。

「でもさ、見てみたいでしょ? ちびっこ隊長の実力」

 それについては首肯せざるをえなかった。潰瘍内の戦闘では彼女はあっけなく怪異を倒す。まるで、朝食にたかるハエをはたくように怪異を涼しい顔をしてなぎ倒していく。

 しかしC型やD型怪異と遭遇した場合はニシの役回りなのでリンを含め戦闘になることは稀だ。

「で、どのタイプにするんだ。2足歩行から6足歩行まで。ヒト型から不定形までいろいろあるんだが」

「んー最近の報告だと……これなんてどう?」

 カナがタブレットを操作して、機密性の高いイントラネットへアクセスする。そして怪異のアーカイブから短い映像資料をニシに見せた。

「六脚四腕、通称“マチルダ”。食欲がなくなる見た目だな」

 異形の姿に、ニシは眉をひそめた。

「ちなみにマチルダの由来は、イギリスの優秀な戦車から」

「んなこと、知ってるわけ無いだろ」

「その戦車と同じく、このC型怪異マチルダは動きは遅い分、攻撃力と防御力に優れてるの」

「俺が実際に見てないから、忠実に再現できるかわからない」

 映像資料はかなり望遠で撮られていた。25秒ほどのビデオクリップでは、触手のように自在に動く4本の腕と、象のように固く太い脚が見て取れた。頭らしきものは確認できない。象とウミウシを足したような怪異だった。

「体長……というか体高は3メートル。この腕だか触手だかを含めたら更に2メートル。あのベニヤ板の壁からはみ出て見えるぞ」

「いいのいいの。そのほうが本人もワクワクするんじゃない?」

「あと、動きは分かったが、急所やら耐魔導性はわからない」

 近々、討伐任務が自分に振られるんだろうな、とニシは同時に考えていた。

 ひたすら巨大で魔導攻撃も防御も完璧だが好戦的ではないD型怪異と違い、C型怪異は積極的に潰瘍に入った人を襲う。

「とにかく、固くしちゃって!」

 さらりと無茶振りをされた。カナは魔性の笑みでリンに腕を振る。2人とも、お互いに反りが合わないと認識しているようだけれど、実際のところ相性バッチリだと思う。

 魔導詠唱/若干の集中/時間がかかる。訓練区画の各所に、やたらめったらに丸太のような両腕を振るB型怪異が現れた。そして最後に、6本の足と4本の蠢く触手の怪物が登場した。適当に/想像に任せて、背中の真ん中=触手が生えている根本に赤い目をひとつ作っておいた=リンへのサービス。とはいえ、正面から戦っていてはその体躯のせいで急所が見えない。

 カナが光点を作る。3、2、1、スタート。

 小さな機械と人間の合わさった影が素早く動く。これまでの筋肉隊員とは違う、スピード重視のスズメバチの如き動きだった。

 そしてクリアリングも速い。いないとわかれば即座に機械仕掛けの脚力で駆け出している。

 上から見ると分かる。次の角にB型怪異が待ち構えている。

 それを──ニシが適当に配置した怪異を、壁を蹴りその反動で蹴り飛ばした。大きくのけぞった上体に至近距離から銃弾をまとめて叩き込む。殴り合いを銃弾で代用しているようなインファイトだった。

強化外骨格APSってあんな動き、できたっけ」

 呟いてみたが、カナは唸るだけでごまかされた。

 リンは早速3体目の両足を銃撃で奪うと、流れるような動きで接近して杭打機パイルバンカーを打ち込んだ。

「彼女の強化外骨格APSだけ、本人の希望でリミッターの上限を上げているの」

 呟くような返答があった。視線はまだまっすぐリンに向いたままだった。

「つまり?」

「駆動系が特別製で。あとは機密。私が整備と調整を担当しているから」

 ああそうか=稼ぎのいい職場、ぐらいしか認識していなかったがここは常盤興業の中でも対怪異の最前線かつ兵器開発の実戦場でもあった。半ば部外者には教えられないということか。

 リンが左右に、まるでバスケットボール選手のような翻弄をみせると、怪異の背後に回り込んで単発4回の銃声が響いて怪異が倒れた。

「楽しそう、だよな」

 反面、コンピュータじみた正確さで急所を撃ち抜くのは、命を奪う冷酷さも垣間見て鳥肌が立った。

「強いて言うなら、機械の補助を自分の筋肉として認識できるかどうか、かな。普通の兵士では『操作』しようとするから、若干のラグが生まれる。ちびっこ隊長の場合、それが限りなくゼロなの」

「次の論文、それについて書いてみたらどうだ?」

「さあ。心理学は私の専門外だから」

 そう言って腕組みをした。まるで最後の大一番に注目しようという構えだった。リンも、おそらく蠢く触手が、コースの衝立の上から見えているのでそれなりに対策をしてくるであろうが。

 C型怪異“マチルダ”が待ち構える部屋の手前で、リンはマガジンを新たなものに付け替えた。半端に残っている弾倉が2つ、30発全てが残っているのはそれで最後だった。杭打機パイルバンカーの対魔導障壁効果も左右の腕でそれぞれ1回ずつといったところ。

 リンが動いた。壁に体を隠し、上体だけを出してマチルダに銃弾を浴びせる。

 それに反応して触手が飛ぶように動く。ゴムのような伸縮性で伸びたそれは、直前までリンの頭のあった空を掻き、ベニア板の壁を穿った。生身であればそれだけで体を穿孔する威力だった。

 リンは左隣の小部屋へ行くと、壁をぶち破ってマチルダと会敵した。

「今のあり?」

 カナが狼狽した。

「ルール違反、ではないな」

 戦いでは目的のためなら、いかなる手段も正当化される。小難しい哲学じみた戦訓をリンの口から聞いたことがあった。

 膝立ちの姿勢で触手の1本へ向けて正確な射撃があった。さらに後ろの触手を銃撃/切断/弾切れ。

 マチルダがリンに気づく/残る触手で追いすがる/巨木のような足で踏み潰そうと迫る。

 リンは──飛んだ/脚部の強化外骨格APSを最大出力に。

 横薙ぎの触手の攻撃を空中での側転でかわす。頭を中心に機械の脚力で一回転した。その目はまっすぐマチルダを見たままだった。

 マチルダの次の一手/踏み潰し。リンの着地地点に円筒形の巨大な足が降ろされる。大きさのせいで鈍重に見えるが、実際はかなり速い。

 ニシは万が一に備えてマチルダの返喚の魔導を構えた──が、無用だった。リンは床を滑るようにしてかわす/反対側へマチルダの体躯の下を通って躍り出る。その勢いのまま壁を蹴る/蹴る/そして空中で一回転するとマチルダの背中に飛び乗った。

 杭打機パイルバンカーの一撃。魔導の術式でコーティングされた鉄杭が深々とめり込む。魔導障壁を貫通してマチルダの急所が貫かれた。

 吹き消すようにマチルダが霧散した。リンは軟着地すると、スタスタとゴールへ歩いていった。

 拍手/口笛/筋肉のどよめきが起きた。ヒーローを迎えるように、筋肉隊員たちが各々の銃を掲げてリンを迎えた。

「怪我しなくてよかったよ」

「そうね」

 消え入るようなカナの返事だった。

「管理職は大変だなあ」

「別に。別に同情してくれなくってもいいんだから」

「素直じゃないなぁ」

 カナがぷっと頬を膨らませた=彼女の癖。

「後片付けはやっておくよ。この後、データの編集やら報告書やらあるんだろ?」

「ええ、そんなとこ。サンキュ」

 カナは胸ポケットからスマホを取り出してその画面を一瞥した。横から見た画面にto doリストがぎっしりと並んでいる。常磐社員&エンジニアリングの大学院生との2足のわらじ。

「あー所長から呼び出しが来てる。全然気づかなかった」

 じゃ、と短く挨拶するとカナは10m下へ、わざわざ高飛び込みの要領で前転ひねり込みをして着地した。意外と負けん気の強いところがかわいかった。

 高速詠唱──声なき声を唱えた。部屋や通路を作っていたベニア板がふわりと浮かび上がった。正方形のそれらを一斉に宙に浮かすと、それぞれ10枚ずつ、訓練区画の隅に積み上げていく。人力では半日かかる作業をものの数分でし終えた。並の魔導士でも数枚ずつならできるそれを、ニシは一斉に片付けてしまった。

 スタッ、とキャットウォークから飛び降りると、筋肉たちがガヤガヤと騒がしく話しているところだった。

「えー俺なんっすか」

 ジュン=へっぴり腰で。

「おう、お前だけ7分超えてたろ」

 ケンのいらえ。体型がぱっと見でわかりにくい戦闘服にあって、その下の体躯がはっきりと分かるようだった。

「いや、俺のときだけいきなりB型怪異が出てきたんっすよ」

 一同、ふたたびゲラゲラと笑い転げた。仕掛けた張本人にリンが一番笑っている。

「ハシもB型と戦ったろ。それでも5分半だった。約束は約束だ。9人だから9000円ぽっちだろう。ん? 隊長もおなじコースを走ったから、1万円か」

「あたしはみんなより難しいコースだったから、倍で」

 やっぱり賭けていたのか。話から類推するに、一番遅かったら他の隊員に1000円ずつ払うのか。さすが体育会系。

 給料日前なのに、と喚くジュンを引きずるように、筋肉たちは訓練区画から男子ロッカー室へ引き上げていった。そこにシャワールームがある。

「あーゆーの、苦手?」

 リン=唐突な問答。透き通った瞳に全てを見通されている気がした。

「いや、別に」ああ、カナと同じ反応をしてしまった。「苦手ってわけじゃない。いままで縁がなかっただけだ」

「そう? でもみんなニシのこと気に入っているよ」

「そりゃどうも」

「気にしなくったっていいんだよ。あたしたちだって、苦手な種類の人間、いるもん。たとえばインテリ系とか」

 きらりと光るおでこがまっさきに思い浮かんだ。傍目はためから見れば、リンとカナは相性が合っている気がしないでもない。

「じゃあ、俺はインテリ系に入らない、と?」

「んー」リンが小首をかしげた。「半々? あたしたちと一緒に前線で戦ってくれてるから、半々。でも仲間!」

 仲間、という言葉がずしんと重かった。一匹狼という自負のもと、常磐には半分だけ所属する契約社員だった。家で預かっている6人の子どもたちのため忙殺される毎日でプライベートもなかった。背中を誰にも任せられない。でも気づかぬうちに随分と多くの仲間に背中を守ってもらっていたようだ。

 つん。あたりに鈍い刺激。機械の指先で突かれた。

「何、ふぬけてるの?」

「いや、なんでもない」

「ふーん。じゃ、行く?」

「行くってどこ?」

 リンの指差す先に女子用ロッカールーム──実質リンの専有──があった。おそらくその指は更に向こうのシャワールームに向けられていた。

「あ!?」

「フフン、エッチ。冗談に決まってるでしょ」

 小悪魔的笑みを残して、リンはガチャガチャと体を揺らして更衣室へと消えた。

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