第2話「昭和歌謡にはまる」

店の名前はシンプルに「石川レコード店」。早速ワゴンセールの中古CDに視線を注ぐと、そこは音楽のジャングル状態。当時は今ほど知識は無かったけど、確か邦楽なら90年代のビーイング系とか小室系、80年代後半から90年代前半のアイドルとかイカ天出身のバンド、洋楽ならMCハマーとか、t.A.T.u.とかのアルバムや長方形型の短冊、所謂8cmシングルが並んでいた記憶が有る。


「へぇ~ちょっと懐かしいな」


値段は1枚どれも100円と、かなり安い。試しに何か買う余裕も有る。それなら収録曲数が多いアルバムを買った方が得だ。でも、何を買えば良いんだろう。特に好きな歌手やグループが思い浮かばなかった僕は、あらゆる曲が収録されたであろうオムニバス系アルバムを無意識に探していた。そして「青春歌年鑑’84 BEST30」と書かれたアルバムをこの手が取るまでには、数秒もかからなかった。


84と大きく描かれたシンプルなジャケットの裏を見ると、2枚のCDに合わせて30曲収録されていることが分かる。これはお得だ。両親もまだ若かったであろう1984年にヒットした曲を集めているのかな。「ギザギザハートの子守唄」、「2億4千万の瞳」、「風の谷のナウシカ」、この辺りはタイトルを聞いたことがあるぞ。リアルタイムではないはずなのに、謎のノスタルジーが確実に自分の心を揺らしていた。


「はい、これ100円ね」


おそらく石川店長と思われる眼鏡の好々爺的店員の方がアルバムの料金を朴訥と伝える。僕は予め手に持っていた100円をさっと渡すと、袋は要らないですと伝え、店を出るとすぐ自分のリュックの中にそれを入れた。まあいい、聴いてイマイチだったら実家に戻った時親にプレゼントすればいいさ。


アパートに帰り、早速ポータブルCDプレイヤーにCDを入れる。とりあえずなんとなくタイトルとグループ名は知っている、チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」を聴いてみる。イントロが流れる。小気味よいサックス。サックス奏者もバンドに居るんだ、面白い。歌が始まる。ああ、この歌知ってる!誰かが替え歌にして歌ってたな。ボーカルは藤井フミヤって人だったかな。よく伸びる声だな~。


そのサウンドや歌にも惹かれつつ、僕は歌詞にも注目していた。その内容は、少年もしくは青年の時に理不尽な境遇をユーモラスに描いたもので、その境遇や環境こそ違えど、上京して孤独だった当時の僕に寄り添うものにも聴こえ、僕はこの曲を幾度となく繰り返して聴くことになる。


続いて聴いた「2億4千万の瞳」も強烈だった。煌びやかなシンセサイザー、硬質なドラムの音、「億千万」と繰り返すコーラス、一度聴いたら忘れられない強いメロディと歌詞、そして何よりオーラが溢れる郷ひろみの唯一無二の歌声。


僕は少しずつ昭和歌謡の沼に引きずり込まれていた。「風の谷のナウシカ」の独特の浮遊感。「ラヴ・イズ・オーヴァー」の切なさ。「モニカ」のパステルカラーな雰囲気。「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」の突飛なタイトルを見事勢いに昇華した豪快さ。「ワインレッドの心」の艶やかさな世界。今の時代の曲とは違う空気感や言葉に出来ないサムシングが部屋を満たし、少しずつ確実に感性を潤していった。


引きずり込まれたとは言いつつも、そういえば元々祖父が様々なジャンルのレコードを集めていて、よく彼の部屋で遊ぶ事が好きだった幼少時代、部屋で祖父が聴いていたレコードの中に笠置シズ子や藤山一郎のような昭和歌謡が混じっていた気がするし、親が口ずさんでいたり、車の中でヒット曲集を聴いていた記憶も有る。それを考えると、僕が無意識のうちに親しんでいた昭和歌謡に改めて嵌るというのは必然、もしくは時間の問題だったのかもしれない。ついでに言えば祖父は東海林太郎似だったな。


それからというもの、僕は再び石川レコード店を訪れ、ワゴンセールの中から「青春歌年鑑」シリーズを探して購入することで80年代とそれ以前の昭和歌謡にも興味を持ったり、ネットの動画サイトを通じて当時の歌番組における歌唱映像を観ることで視覚的にもその時代の音楽や歌手の魅力に触れていくことになる。例えば美空ひばりのどんなジャンルの曲も器用にこなす抜群の対応力、ジュリーこと沢田研二の圧倒的なスター性とパフォーマンス、山口百恵の十代とは思えぬ大人びた歌と雰囲気、太陽と月のような関係性の松田聖子と中森明菜の魅力。尾崎紀世彦のスケールの大きい歌ともみあげ。時に口パクではなく生歌披露の驚き、大人数の管楽器・弦楽器奏者達で構成されたバックバンドならではの豪華な演奏。プロの作詞家、作曲家、編曲家によって作られたよく聴けば緻密で凝った魅力的な楽曲群・・。それらをきっかけに僕は石川店長と完全に顔なじみとなり、アパートの部屋の壁際を制圧したCDの塔は少しずつ厚みを増していった。

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