青春の「推し活」
夢美瑠瑠
青春の「推し活」
(書下ろし)
今、デジャヴが起こった。時たまあるが、これは記憶の錯誤だというのが定説である。が、当の主観の人にはどうも納得できにくい割り切れない説でもある。
そこが人間の脳の不思議なところか…
今の「推し」という流行語は、かつての(今も?)「追っかけ」という言葉に似ている。
いつの時代にも特定のアイドルを偏愛する若者というのは一定数いて、青春時代には「推し」がいることは今に始まったことではない。むしろ普遍的な青春時代のはしかのようなもので、今の風潮も新しみもあるが、むしろ既視感を覚えるほどに自分たちの青春時代に似ていなくもない。
「天の下の新しきものなし」というのか…
で、僕にも「推し」のアイドルがいた。
それは「原田知世」であった。
角川映画の全盛時代で、薬師丸ひろ子とかと同時期に現れた「時をかける少女」知世ちゃんのインパクトは絶大だった。
それでなくても16歳、17歳のころの少女はかわいい。
で、原田知世は名前の雰囲気もそうだが、むしろその透明感というか、淡白な感じがよかったのだ。
薬師丸ひろ子は「濃い」感じの顔だが、対照的に知世ちゃんは「薄い」イメージ、儚げで頼りなさげで、それでいて清潔感があって、抜群に笑顔がチャーミングだった。
なんだか「永遠の女性」というのか、青春期に追い求める偶像としてはこれ以上ないような、なんかそういう「無個性な特別感」?があったのだ。
同じように感じる若者は多くて、原田知世の映画は公開されるたびにカルト的な熱狂的なファンの人気を呼び、大ヒットした。
僕も大学生のころで、「追っかけ」はしなかったが、映画は公開されると初日に観に行って、ポスターやら写真集やらも集めていた。部屋にはべたべた知也ちゃんのポスターを貼って、レコードは擦り切れるまで聴いていた。
同じく知世ファンの友人もいて、そいつと「何であんなの可愛いんだろう」などと贔屓の引き倒しのような噴飯物の会話をよくしていた。
金沢に住んでいたのだが、知世ちゃんがロケで金沢に来たことがあって、そうするとその友人はロケを見物に行って、撮影が終わった後で「ここに知世ちゃんがいたんだなあ~」と地べたに頬ずりしたらしかったw
原田知世の映画はどれも青春のリリシズム、という感じでいいのですが、僕はやはり第一作の「時をかける少女」が好きで、「推し」たい。
原作も昔から好きだったのですが、映画化されて、大林宣彦という監督の「尾道三部作」の一つになって、その全編に流れている何とも言えない「郷愁」、ノスタルジックな懐かしさ、それは純粋無垢な原田知世の初々しい魅力と渾然一体になって、かけがえのない、珠玉の作品となっているのです。
この映画は100回以上観たと思う。
ファンとはいえ、ちょっと異常な偏執ぶり、という気もする。
この後は蛇足ですが?最近知り合ったガールフレンドがいて、二十歳なのですが、この子はすっぴんでこちらを見ていたりすると、びっくりするほど原田知世に似ているのです。
見つめられて、本人は「なに?」というが、僕は感激して口もきけない感じになる。
青春の「推し」と幾星霜経て、輪廻転生のごとくに実際に巡り合えた…?
そういう幸福なデジャヴが実際にあり得るのだ、と人生の奇遇に驚くような気がしたことです。
この子のことを知りたい方は拙作「こころちゃん」を参照ください😊
<了>
青春の「推し活」 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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