第55話 だったらウザい先輩の方がまだマシです

「北野後輩は結構泣き虫なんだな」

「別にそんなことありません。やっぱり鈴木先輩はウザいです」

「すまない。これで許してくれ」


 紗那に泣き虫だと馬鹿にされた真希は唇を尖らせる。

 紗那も少しだけ言いすぎたと思ったのか、なぜか知らないが真希を自分の胸に抱きしめ頭を撫でる。


 今日は私服ということもあり、紗那の胸の感触は以前よりもダイレクトに伝わってくる。


 やっぱり女の子の胸は柔らかい。


 男の娘にはない胸の弾力に、興奮と安心を覚える真希だった。


「なんででしょう。鈴木先輩に抱きしめられると安心します」

「それは嬉しいな。あたしも北野後輩を抱きしめると安心するよ」


 理由は分からないが紗那に抱きしめられると、物凄く安心する。

 まるで赤ちゃんの時にいた羊水のように真希を優しく包み込んでくれる。


 紗那の体温、柔らかさ、鼓動全てが最高だった。


 それは紗那も同じらしく、真希を抱きしめると安心するらしい。


「今回の件は忘れろと言ったあたしが悪い。先輩の、しかも異性のキスを忘れろという方が無理だ。だからあの時あたしがかける言葉は『忘れる』という言葉ではなかった。いや、言葉なんていらなかったんだ。ただ、お互いが意識していることや気まずいことをお互いに伝え合って、昇華することだったんだ。あたしは北野後輩のことを後輩として『好き』だ。だからこれからもウザい先輩と可愛げのない後輩でいたい」

「……ウザい自覚あるんですね」

「いろんな人に言われたらそう自覚するしかないさ」

「でも可愛げのない後輩は失礼ですね」

「別に失礼じゃないだろ。事実だ」


 今回の件も本当は案外簡単だったのかもしれない。

 今回ここまで問題がこじれてしまったのは、無理矢理忘れようとして、逆に意識してしまい上手くコミュニケーションが取れなかったからだ。


 つまり今回は忘れたり意識したりするのではなく、二人の中で昇華するのが正解だった。


 紗那はいつまでもこの『ウザい先輩と可愛げのない後輩』という関係を続けていきたいと思っていた。


 真希だってそうだ。


 真希もいつの間にか、この関係が心地良くなっていた。


 紗那はウザい自覚はあるらしいが、真希が可愛げのないという評価だけは不服だった。


「あたしはこれからも北野後輩と一緒にいたいと思っている。だから北野後輩の思いも聞かせてほしい」


 真希とこれからも一緒にいたいと願う紗那。


 紗那は真希と出会えたことを感謝し、真希のことを大切に思っている。


 最初は、ただのウザい先輩だった。


 そのウザさが嫌な時期もあった。


 でも今はそのウザさがないと物足りない自分がいる。


「……私も鈴木先輩と気まずいままは嫌です。だったらウザい先輩の方がまだマシです。だからこれからも私と仲良くしてください」


 真希は紗那に本音をぶつけた。

 今までは一人でも問題ないと思っていた。


 高校に行くのは高卒の資格を取るためであり、友達は不要と考えていた。


 でも人と関わる中で真希は友達の大切さに気づいた。


 それを教えてくれたのは紗那だった。


 紗那はこんな偏屈で可愛げのない真希と仲良くしてくれた。


 もし真希だったらこんな後輩と仲良くしたいどころか関わりたくもない。


 紗那は真希に感謝していると言っていたが、真希もまた紗那に感謝していた。


「もちろんさ。例え北野後輩に嫌われても嫌いにはならないさ」

「やっぱり鈴木先輩は凄いですね。そんな鈴木先輩がす――」


 真希がなにかを紗那に伝えようとした瞬間、花火が打ち上げられた。


 その音が真希の言葉をかき消す。

 その音のおかげで真希は我に戻る。


 今、自分はなんて言おうとしたのだろう。


 いや、自分で言おうとしていたんだからなんて言おうとしていたのかは分かる。


 真希はそんな紗那を『好き』と言おうとしたのだ。


 もちろん、異性としてではなく先輩として『好き』という意味だ。


 だが、もしこれを紗那に聞かれていたら一生、からかわれていただろう。


 本当に花火の音がかき消してくれて良かった。


 窓の外には綺麗な花火が夜空に咲き誇っていた。


 真希のマンションは特等席で、誰にも邪魔されることなく花火を観賞することができる。


「花火が打ち上がったな」

「そうですね」

「特等席で花火を見るとさらに綺麗に見えるな。こんな静かに花火を見たのは初めてだ」


 打ち上がった花火を見て紗那は感嘆の声を上げていた。


 そんな紗那に相づちを打ちながら、真希も花火を見る。


 二人で初めて見る花火は、いつもより綺麗に見えた。

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