“推し活”考察【KAC2022】
水乃流
“推し”とは何か?
“推し(おし)とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に勧めたいと思うほどに好感を持っている人物をいう”――Wikipedia
オタク歴だけは無駄に長い私の場合、かつては“推し”があったが推し活をしたという記憶はない。そもそも、“推し”がいたとしてもそれは「自分だけ」あるいは「極々小さなコミュニティ内」だけで語るものであった。具体例を挙げるとするなら、パソコン通信のRT(チャット)で話合ったり、オフ会でグッズを交換したりといった程度だ。むしろ「知る人ぞ知る」とか「自分だけが知っている、評価している」ということが、一種ステータスのように感じられたものだ。たとえば、マイナーなバンドがメジャーデビューして人気になってしまうことに、寂しさや(ひねくれた)悔しさを感じる人もいたはずだ。
今でも変わらないなと思うのは、二次創作分野だろう。いわゆる“推し”を主人公にした二次創作は、“推し”という言葉が生まれる以前、“オタク”という言葉が定着するよりもずっと前から確かに存在していた。それは、「なければ自分で作っちゃえ(書いちゃえ)ばいいじゃん」という発想であり、クリエイティビティを刺激するモチベーションだった。
オタクが市民権を得た現代(良い時代になった……のか?)においても、“推し”をメインに据えた二次創作はあまた存在する。昔と違うのは、そのコミュニティの広さだろう。インターネット、SNSの発展によって、どんな“推し”であっても簡単に同志が見つかるようになったからだ。
時代の変化、と言ってしまえばそれだけのことなのだが、個人的には重要なポイントが背景にあると考えている。それは「マーチャンダイズ」だ。ありていにいえば、「商売になる」ということだ。どういうことか。アイドルを含めちゃうと話がとっちらかってしまうので、ここではアニメ、アニメーションに限定して考えてみよう。
かつてアニメは「テレビまんが」(劇場版は「まんが映画」)と呼ばれ、子供向けのコンテンツでしかなかった。極論を言えば、アニメは子供向け玩具を売るためのプロモーションでしかなかったのだ。「マジンガーZ」や「ゲッターロボ」(それに「トリトン」とか「サンダーマスク」とかも!)のように、テレビ放送と同時期に雑誌にマンガが掲載される作品もあったが、現在のようにメディアミックスを前面に押し出して相乗効果を期待するようなものではなく、関連はあるものの現在のアニメとコミック(小説も)のような、相乗効果を狙ったものではなかった。だから、主役メカの玩具は販売されても、たとえばヒロインのフィギュアなどというものは販売されなかった。まぁ、技術的な問題もあったから、当時ヒロインのフィギュアが出たとしてもソフビがいいところだったかもしれないが。
潮目が変わってきたのはいつ頃だっただろうか。私が思うに、やはり「宇宙戦艦ヤマト」がひとつのターニングポイントだったのではないだろうか。そして、放送終了後に火が付いた「機動戦士ガンダム」のプラモデル――ガンプラブームだ。ヤマト、ガンダムを経て、言い方は悪いが、作品に出てくるものであれば、商売として成り立つんじゃね? とメーカーの人間も気が付き始めた。そして、従来の玩具、プラモデルといった業界だけでなく、別の業種――音楽業界も目を付け始めた。やはり、ヤマトとガンダムがキーポイントだ。
「交響曲宇宙戦艦ヤマト」が発売されると、他のテレビまんがもこぞってサウンドトラックやイメージアルバムといったLPレコード(まだCDはない)を発売しだす。ガンダムも放送途中にBGMと挿入歌が入ったアルバムを出した。これが売れた。
この頃になると、テレビ放送するアニメは、流れ作業のようにサウンドトラックを出すようになった。玩具以外にも市場が広がった、良かった良かった――では終わらなかった。鎮火しかかったところに再び火を放ったのは、またしても「ガンダム」だったと、私は思う。
当時のアニメは、ずっと同じ主題歌が使われていた。ところが、「機動戦士Zガンダム」では、前期と後期で主題歌が変更されたのだ。音楽業界からすれば、ひとつぶで二度美味しいのだ。Zガンダム以降、途中で主題歌が変わることは珍しいことではなくなった。こうした状況は、歌手がデビューする機会を増やすことにも繋がった。一時期、アニメ主題歌=アイドルのデビューなんて図式も流行った。今では、大御所と呼ばれるようなベテラン歌手や、アニメとまったく関係なさそうな異色の歌手がアニメ主題歌を歌うこともある。ちなみに、個人的にびっくりしたのが、八代亜紀、山本リンダあたりかな。
これで、アニメ(もはやテレビまんがとは呼ばれない)は、アニメ本編に留まらず、さまざまな業界へ波及効果を及ぼすようになる。舞台化もそのひとつだろう。「セーラームーン」が先駆者かな? 「聖闘士星矢」も舞台化されたなぁw
こうしてアニメ(コミックス・小説も含め)が、さまざまな形で広がったことで、より多くの人がアニメをより身近に感じるようになったのではないか、その結果、ポジティブな意味合いで“推し”という言葉が定着したのではないだろうか。言い方を変えれば、昔はアニメファンが心の中だけにいた存在が、広く受け容れられたことで一般名詞“推し”となったのではないかと思う。
ダラダラとなんだか長くなってしまったが、お題は“推し活”であった。就活(就職活動)や婚活(結婚活動)のような“○○活”定義に従えば、“推し活”とは“推しの活動”となってしまい意味不明だ。おそらく、言いやすいから“推し活”になったのだろうが、結局はあれだ、“推し”にもっと頑張って欲しいとか、他の人にも“推し”のことを知って欲しいとか、“推し”にまつわるあれやこれやの活動を表しているのだろう(違ったらごめんなさいね)。そして、“推し活”は立派な経済活動であり、世の中の為になっていると言えるわけで、推せる活力(これも“推し活”!)があるうちは、なんら恥じることなく邁進して欲しいものだ。
“推し活”考察【KAC2022】 水乃流 @song_of_earth
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