四章 その②

 とはいえ、無手と刀。リーチという相対的有利が揺らぐ訳ではありません。

 ラミナはじっと、じじいが仕掛けてくるのを待っていました。


 じじいは、抜刀の構えのままピタリと静止しているラミナに驚嘆していました。

 呼吸のリズムも、筋肉の動きも、重心の位置も、何一つ読み取ることが出来なかったからです。

 初めは強化ナイフを使って戦うつもりでいたじじいでしたが、これを見て考えを即座に切替えました。

 試しにナイフを投げつけてみると、最小限の動きで無効化してしまいます。

(流石に動けば読めるか……。しかし……)

 静の状態のラミナからは、相変わらず先が読めません。

 さて、どうしたものかの。

 じじいは思案します。

 ラミナの間合いに不用意、いえ、準備万端整えたとて、一歩踏み込めば、先読み不能にして神速の一太刀で勝負は決するでしょう。

 その上、ラミナにはアリエスの魔力もあります。

 状況は完全にラミナの圧倒的優勢に思えました。

 しかしじじいに焦りはありません。

 ラミナは魔力──ひいては魔法を使っては来ない。いや、使えないじゃろう。とじじいは確信していました。

 魔法を使えないじじいですが、こと戦闘に関しては鋭敏なじじいです。魔力や魔法の気配を捉える術を王都での戦闘で既に身に着けています。

 その感覚で捉えていたラミナは、アリエスの魔力を吸収するまで、極々普通の魔力しか保有しておらず、身体強化系の魔法を使ってもいませんでした。

 一人の武人として、己の技を磨く事を良しとするラミナは、魔法に頼る事を嫌っていました。そんなラミナですから、魔法による身体強化時の訓練などはしておらず、慣れない体でじじいと相対する愚を避けるのは当然の事でした。

 魔法においても同様で、刀一筋のラミナは真面に魔法の制御など出来ません。暴走させた挙句、周囲を滅茶苦茶に破壊するだけです。超獣として生を受けた頃は本能的に使えたのかもしれませんが、今となっては遥か昔の事です。そんな力でじじいを倒せるとは到底ラミナには思えませんでしたし、万一それで勝ったとて、それが何になるというのか。ラミナの矜持きょうじが許しませんでした。

 更に一つ付け加えるなら、菊の存在も大きく影響していたでしょう。

 大規模破壊が起これば、菊の命にも関わってきます。アリエスが広範囲攻撃をしてこなかったのと同様、ラミナも菊を巻き込む可能性はゼロにしておきたい思惑がありました。

 結果、純粋に人としての力と技での戦いが成立していました。

 先に動いたのはじじいでした。

 一気に間合いを詰めると、ラミナの間合いの一歩手前でラミナの視界から消えるように急激な横移動。それと同時に攻撃の気配だけをラミナに向けて放ちます。

 四方から襲い掛かるじじいの気配にラミナの指が、ピクリと反応しますが、それ以上の動きはありません。じっと、じじいの次の動きを警戒しています。

 じじいはグラディアスにも使った独特の歩法でラミナの認知から外れようとしますが、ラミナも然る者、下草の微かな振動等からじじいの位置を捉え続けています。

 じじいは闘気をラミナに向かって放ちながら反応を窺っています。時折闘気に混じらせて礫なども放ちますが、ラミナは的確に実体のある礫だけを、最小限の動きで弾いています。

(ふむ。思った以上に厄介じゃの。懐に飛び込むのは最後の手段としたいのじゃが……)

 じじいは一旦ラミナから距離を取って、森の中へと姿を消します。

 ラミナはそれを追うでもなく、ただじっと神経を研ぎ澄まして待ちの構えを崩しません。

 じじいは存在を隠そうとする様子もなく、ラミナにとっては派手ともいえる程に音を発しながら森の中を移動し続けています。

 ラミナを中心として、ドーム状の音の結界を作っている様でした。

 あらゆる方向から同時に、あるいは時間差で音を聞かせる事で、ラミナの認知を阻害しようという試みでした。

 結界の中が十分に音で満たされた時、じじいが動きました。

 放たれる無数の闘気に混じらせ、水平方向から礫を、上方向からは木の枝を同時に放ち、それに混じってじじいはラミナの右方向から駆け出してきました。

(──っ!?)

 遠距離からの飽和攻撃を囮にしたじじいの策。

 決して動かない自分に対して間合いの外からの遠距離攻撃、飽和攻撃は想定の内。

 ですがこの短時間でこれほどまでの手数には、流石のラミナも内心驚嘆せざるを得ませんでした。

 更に音による阻害でじじいの気配が上手く掴めません。

 気配の殺し方が只者ではありません。野生の獣を遥かに凌駕するじじいの隠密性に、ラミナは今まで気配を探れていたのは、敢えてじじいが探らせていたのだと気付きました。

(なんという御仁かっ!)

 口の端が、知らず上がっているのを、ラミナ本人でさえ自覚していませんでした。

 これほどまでの飽和攻撃は、じじいがただ音の結界の為に森の中を走り回っていた訳ではない事の証明でもありました。

 じじいはラミナが動かないのを良いことに、高速で移動しながらだというのにも関わらず、器用に仕掛けを施していっていたのです。

 じじいの気配が読めない以上、ラミナが採れる選択肢は多くありません。

 目晦めくらましの礫や枝、じじいの攻撃も魔力障壁を使えば容易たやすく防ぐことが出来ます。

 しかしラミナは、本来無意識に展開していたそれを、刀を握るようになって以降は意識的に解除していました。今ではもう、そんな魔力障壁の張り方すら咄嗟とっさには思い出せないほど、魔力障壁をまとっていない状態が当たり前になっていました。

 魔力障壁及び、魔法障壁を使うという事は、刀を愛するラミナにとって、剣士としての敗北を意味しているとさえ考えていました。

 だからこそ、どんな窮地に陥ろうとも魔力を使って防御するという選択肢はありません。

 そんなラミナの性格をじじいは見抜いていました。

 しかしそれはラミナの弱点ではなく、むしろ最も厄介な所でした。

 魔法に頼るという慢心があれば、じじいは確実にそこを突いてきます。ラミナにはそれが一切ありません。刀一つで身を守り、敵を倒す。勝利も敗北も、己次第。

 見えざるじじいと、全方位から襲い掛かる無数の飛来物。

 刀の一振り、二振りでどうにかなる状況ではありません。

 ラミナは滑る様に体を前方に移動させました。構えを崩さず、最小限の動きで移動するものですから、一見すると置物が突然滑り出したかの様にすら見えました。

 じじいの策が、ラミナを動かざるを得ない状況に追い込んだのです。

 この機を逃すじじいではありません。

 ラミナは飛来物の狙いを外し、それでもまだ当たる分を、遂に抜刀しての一振りで全て薙ぎ払って見せます。そしてラミナが刀を振り切った瞬間を狙って、じじいが一気に肉薄します。

「──っ!」

「シッ!」

 短い呼気から放たれたじじいの強烈な一撃を、ラミナは体を捻って躱します。

 しかしそれすらもじじいの誘いでした。

 肉を突き破らんとする猛烈な突きから、更に踏み込んでの肘打ちへと変化したのです。

 突きへの回避でたいを使って凌ぐ事は困難。ラミナは咄嗟に鞘を盾とすることで直撃を防ぎました。

「ぐっ……!」

 衝撃を殺すことはできず、肘で打たれた鞘がしたたかにラミナの体を打ちました。

 小さく苦鳴を漏らすラミナ。しかし、じじいの肘鉄の直撃を受けていれば、骨の一本や二本で済めば上等、高い確率で命に係わるダメージを負っていたことでしょう。それほど気の充実した一撃でした。

「ちぇやああああああああああああ!」

 ラミナは一旦間合いを取りたがる心を抑え、逆に力強くじじいの間合いに踏み込むと、大上段から猛烈な一撃を叩き込みます。

「ひょっ!?」

 じじいは驚きとともに大きく飛び退すさり、ラミナの一撃を回避します。

 凄まじいまでの気合で放たれたラミナの一振りは、先の抜刀に勝るとも劣らない速さと、最上級の威力をもって振り下ろされ、刀の直線上にあった下草が数メートルに渡って斬られていました。

 仮にじじいが紙一重で躱していようものなら、今頃真っ二つにされていた事でしょう。

 じじいが距離を取った事によって、僅かな時間が生まれました。

 それはラミナにとって十分な時間。

 ラミナの勇気ある踏み込みが生み出した貴重な時間でした。

 すかさず納刀し、再度抜刀の構えで刀の結界を張ります。

 これで勝負は振り出しに戻ったかの様に思われましたが、じじいはラミナが納刀する間に、開いた距離を正面から一瞬で詰めてしまったのです。

 予備動作なしで一気に最高速に達する移動術。

 所謂いわゆる縮地しゅくち』と呼ばれる技でした。

 一秒にも満たない僅かな納刀の間に、バックステップから即座に間合いを消してくるじじいの機動力に舌を巻く思いです。

 さしもの縮地でも、抜刀の構えが完全であれば迎え撃つことは容易でしたが、じじいの間合いでの抜刀が果たして必殺足りえるか、ラミナにも予測が出来ませんでした。

 ラミナに選択肢はありませんでした。そして迷っている時間も……。

(勝負!)

 超速で振るわれた刀は、確実にじじいを捉えていました。

 目にも映らない程の速さのラミナの一閃。

 じじいの目にすら、その剣の閃きを捉える事はあたいません。

 ですが、じじいはその不可視にして不可避の斬撃を恐れることなく、更に一歩、踏み込みました。

 縮地はまだ切れていません。

 最高速のままラミナの懐まで詰め切ったじじいの拳が、刀がじじいを斬り裂くよりも早く、ラミナの土手っ腹に突き刺さりまし──いえ、ラミナは斬撃がじじいの拳に一手及ばないことを悟ると、最短距離で拳を迎撃する方向に切替えていました。

 柄尻でじじいの拳を横から叩いて軌道を逸らすと、じじいがたいを整える前に刀を握り直し逆袈裟に斬り上げます。

 じじいは体を深く沈めてこれを回避。と同時に、足払いを仕掛けていました。

 足払いなどと言うと可愛げがありますが、じじいのそれは足を払って態勢を崩そうなどという生易しい物ではありません。足の骨を折り砕いて二度と立てなくする。それだけの鋭さと威力の篭った蹴りでした。

「むんっ!」

 ラミナはじじいの強烈な蹴りを、気合と筋力で強引に受け止めます。

 一瞬、苦痛の表情を浮かべますが、骨に異常はありません。

 じじいの蹴りを受け止めたことによって、じじいの動きが一瞬止まっています。

「せいやぁっ!」

 振り上げた刀をそのまま、じじいに目掛けて振り下ろしました。

「なんとぉ!」

 まさか受け止めてくる──耐えきられるとは思ってもいなかったじじいは、この一撃を慌てて回避。すかさず立ち上がろうとしますが、そうはさせじとラミナが猛攻を仕掛けます。

 ラミナはどんな相手からも先の先を取れる、己の抜刀術に絶対の自信を持っていました。ですが、刀を握っての立ち合いが不得手という事ではありません。

 あくまで己の信ずる『最強』を目指した結果辿り着いた境地が、


「誰よりも早く、誰よりも速い、致命の一撃」


 でした。

 それを為すために極めた抜刀の技。

 そしてそれはじじいの考える『最強』にも近い思考でした。


「誰も反応できない速さで叩き込む致命の一撃」


 これがじじいが目指す最強の形。

 両者共に、未だ最強への道半ば。

 されども最強へと足を踏み込んだ者たち。

 間合いを潰され抜刀を封じられたラミナと、

 読みを外され足を封じられたじじい。

 ラミナは得意の抜刀に拘泥こうでいすることなく、この機を逃してなるものかと、畳みかけて斬りかかります。

 虚実織り交ぜ、時には脚をも使ってじじいの動きを制限し、勝負を決めに掛かっています。

 しかしじじいも負けてはいません。

 ラミナの斬撃を避ける、避ける、避ける。

 全てを見切って躱し続けています。

 刀を逸らして隙を作り、反撃に出たいじじいでしたが、ラミナの連撃には必殺の気合が乗り、その一撃一撃に真空の刃が纏わりついており、下手に手を出そうものならじじいの手が斬り飛ばされてしまうでしょう。

 そういった事情もあり、じじいはじっと、辛抱強く回避を続けながら少しずつ移動しています。目的は先ほど放った大量の礫です。

 それを幾つか拾い上げ、斬撃の合間にラミナの眼を目掛けて放ちました。

 刀で防いでくれれば御の字ですが、ラミナは僅かな体移動だけで礫を避けてしまいます。しかしそんな事はじじいも想定の内。移動先にも既に礫を放っていました。

 ラミナもラミナで、その位の事はしてくるだろうと驚くこともなく、次々と放たれてくる礫を避けながらも、一切│たいは崩さず連撃が止むこともありません。

「苦し紛れの礫など、幾ら放っても無駄ですぞ!」

「その様じゃな!」

 そう言いつつもじじいは礫を投げるのを止めません。

 何かがおかしいといぶかしみ始めたラミナはそこであることに気が付きました。

 じじいは先ほどから左手で礫を投げているのです。

 上手く誤魔化していましたが、注意してみればラミナの眼にはしっかりと捉える事が出来ました。

 これまでの動きからじじいが右利きなのは分かっています。左手も器用に使ってはいましたが、それでもやはり見る者が見れば分かってしまいます。

(いつから……? そしてそれに何の意味が……?)

 ラミナの疑問は直ぐに解消される事になります。

 じじいの実技による模範解答によって。

「ふむ。掴めたわい」

 何を掴んだというのでしょう。

 ラミナが警戒度を更に引き上げます。

 じじいは今度は隠すことなく左手で礫を放ち、ラミナがそれを回避します。

 ここまでは先ほどまでと何も変わりません。

 しかし、その躱したはずの礫が空中で方向転換し、再びラミナへと向かって来たのです。

 予想外の礫の軌道に、紙一重でこれを躱しましたが、微かに頬を掠めていました。

 ラミナの頬を、赤と透明の雫が流れ落ちていきました。

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