四章 その①

 じじい達が黄泉の手当をしていたその時。事態は急変していました。

 アリエスの角は魔力の中枢、魔力の心臓の様な役割を果たしていました。それを両方断たれてしまったために、アリエスの魔力は制御を失い大気へと吐き出され続けていました。

 そしてその流れ出た魔力は宙に消えることなく、どこか一点に向かって流れ込んでいたのです。

 魔力が向かう先、それはアリエスの体ではありませんでした。

「ラ……ラミナはん……?」

 傍にいた菊は困惑の表情を浮かべています。

 アリエスの魔力は、全てこのラミナと名乗る男が吸収していたのです。

 アリエスの魔力はとても人間に扱えるような量ではありませんし、他人の魔力を吸収するなどという行為は、適合しない血液を無理矢理血管に流し込むにも等しい行為です。普通の人間であれば凄まじい拒絶反応で生きてはいられません。魔力の場合であれば、反発しあう魔力の暴発で、肉体が弾け飛ぶ事でしょう。

 魔力は個人識別にも使われる程に個性があるので、他人に分け与える場合は、アメリが自然とやっていた、混ぜるのではなく相手の魔力の上に被せるというイメージのやり方になります。

「ははははは……。なるほど。これは実に良い……」

 ラミナはわらっていました。

 既にラミナが吸収した魔力の量は、人として有数の魔力を保有するアメリの数倍? いいえ、数万倍にも及び、未だ吸収し続けています。

 アリエスの魔力、全てを吸収しようとでもいうのでしょうか。

 アリエスの体は、魔力を放出するに従って小さく萎んでいっていましたが、代わりにラミナが大きくなる。という様子はありません。

 じじいが振り返った時にはもう、アリエスは象ほどのサイズにまでしぼんでいました。

 見る見る内に小さくなっていくアリエスは、元の羊の大きさを越え、手のひらサイズにまで小さくなってしまっていました。

「アっくん!」

 小さく、愛らしい姿になり、魔力のほぼ全てを奪われたアリエスを、菊は優しく抱きかかえます。

 魔力を失ったアリエスからは超獣然としていた時とは異なり、「よしよし。こわないで。もう大丈夫やからな」と優しく抱きかかえる菊に甘えるその姿からは、理性や知性の様なものは感じられず、ただの一匹の獣に戻っているようでした。

「ラミナはん! どういうこっちゃ!」

 菊はラミナに非難の視線を向けます。

「どうと申されても、それがしも困ってしまいますな。角を折るという提案はお菊殿、あなたがされた事。角を折られたアリエスからは魔力が流れ出ていました。その魔力が宙に漂い周囲の環境を汚染するか、私が吸収したかの違いだけでしょう。どちらにせよ、アリエスは『そう』なった事に違いはありません」

 ラミナは飄々ひょうひょうと、非難されるのは心外と言わんばかりの態度です。

「初めからコレが狙いやったんか?」

「狙いも何も、コレが某の役割の一つ。今回はあそこのケインの護衛だったのだが、まさかアリエスの角を折ってしまうとは予想外。仕方なくこうして本来の役目も果たしているだけの事」

「どういうこっちゃ……? 訳が分からんで!」

「儂は魔法や魔力の事はさっぱりじゃが、あ奴が尋常の人間モノではないという事は分かる」

「……! 師匠はん」

 いつの間にかじじいは菊の隣で、ラミナと正対していました。

「儂にはよう分からんが、アリエスの魔力とやらをあ奴が奪っているというのなら、あ奴もその超獣とやらなのではないか?」

「「……っ!?」」

 じじいの言葉に、ラミナと菊、両者が驚きました。

 ただしその意味合いは全く異なったものでした。

「人間の姿をして、人間の言葉を操る超獣なんぞ見たことは勿論、聞いたこともあらへんで!」

 そんな存在はこれまでの歴史においても、ただの一度、ただの一文たりとも出てきたことはありません。

 超獣とは獣の姿をした超越存在。それがこの世界の常識でした。

 しかしそんなことは、この世界に来てまだ日が浅い上に、そういった事には関心の薄いじじいが理解しているはずもありません。

「魔獣がおって魔人がおる。この両者は本質的には同じ物じゃろう? じゃったら、超獣がおって超人と言ったらいいのかのう? まあそんなモノがおってもおかしくはないじゃろ」

 そんなじじいだからこそ、素直なまでの思考が正しい結論を導き出していました。

 パチパチパチ。

 拍手をする音がします。

「ラミナはん?」

「いやはや参りましたな。正解も正解。大正解です」

 ニコニコと、驚きの表情は消え去り朗らかに笑っています。

「某の正体を見抜いたのは師匠殿が二人目だ」

「一人目はサクヤ殿かの?」

「あのお方はそんな些細なことを気にするお方ではないのでな」

「些細って……。歴史的発見やで……?」

「当時の上様の右腕だった女が初めてだ。今でも上様と四天王以外には知らされておらんのでな、あまり吹聴して下さるな」

 といっても、誰も信じはせんだろうが。

 現に今も、目の前でアリエスの魔力を吸収し、平然としているラミナを見てさえ、菊はラミナの言葉を信じられずにいるようでした。

「改めて名乗らせて頂くとしよう。某は超獣が一にして上様の四天王が一人、天下五剣が一、ラミナ・クシフォス。さて、アリエスの力を手にした某を、どうされますかな?」

 鯉口を切り、刀の柄に手をかけるラミナ。

 それに応じて魔法で超強化されたナイフを構えるじじい。

 二人は目を見合わせると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべています。

「一つ、良いかの?」

「ええ。何でもどうぞ」

「サクヤ殿は超獣の魔力を何に使っておるのかの?」

「……いやはや……参りましたな。ご慧眼、感服いたす。が、それは某に勝てたらという事で如何か?」

「カカ! 良かろう。儂に勝ったら何ぞ欲しい物は?」

「……そうですね。黄泉殿とも死合しあわせて頂くというのでは?」

「好きにするがよい」

「承知」

 最早語る事はなし。

 二人の間の緊張感は高まり続け、糸が張り詰めようとしたその時──。

「ちょちょちょちょ、ちょい待ちぃ!」

 菊が二人の間に割って入ります。

 見事なまでの間で割って入った菊に、ラミナはポカンとした表情を浮かべています。

「何で二人が戦おうとしとんねん! 意味わからん!」

「敢えて言うなら、流れ、じゃろうか?」

「某らはいずれ戦う運命さだめ。その時が今だったという事」

 二人は何かそれらしい事を言っていましたが、視線は完全にあさっての方向を向いています。

 間違いなく二人は、ただ単にこの目の前の強者と戦ってみたいだけです。

 似た者同士の脳筋野郎どもですので。

「絶対嘘のヤツやん! アっくんもこんななってもうたし、もう戦う必要あらへんやろ! あの娘ぉも酷い怪我しとるし、はよ戻らなあかんねんで!」

 分かっとるんか!

 と凄い剣幕で、肩までどころか腹から胸の辺りまでしか背のない相手に叱られ、しどろもどろになっている大の大人の男が二人。実に滑稽です。

「しかし、この機会を逃すと次はいつになるやら……」

「しかしもかかしもあらへん! 帰んで!」

「──すまんのう」

 スッと菊に忍び寄ったじじいが当身を入れ、一瞬で菊の意識を刈り取りました。

 このままでは埒が明かない、というよりは分が悪いので実力行使に出たといったところでしょうか。

 体から力の抜けた菊をそっと抱え一走り、アメリ達に預けます。

「師匠! と、菊殿!?」

「これからラミナ殿と一手交えてくる」

「「は?」」

 これにはアメリだけでなくケインも驚きました。

 なぜ全く必要もないのに戦うのか。

 そこに強者が居るから。

 脳筋組にとっては自明の理でしたが、インテリ組には全く理解できない感情です。

「黄泉の事もあるしの。先に戻って構わんぞ」

「いや、しかし……」

「はぁ。お前達を連れて戻らなければ後が恐ろしい。ここで待っているからさっさと済ませてくれ」

 ケインはもうすっかり脳筋組の事は諦めたようで、とにかく面倒なことはさっさと済ませてくれと態度で表しています。

「ではケイン殿、ここはお任せした」

「はいはい。任されましたよ」

「──勝てるのか?」

 相手は超獣の魔力を得た剣の達人。超獣の魔力でどんな魔法を駆使してくるか分かりません。単純な身体強化のみにしても、その効果は計り知れません。

「普通に考えれば勝ち目はないでしょ」

 ケインもじじいが強いことは分かっていますが、それ以上にラミナと超獣の強さは良く知っています。いくらじじいが強かろうとも、超獣の力を上乗せされたラミナに勝てる相手など、サクヤ以外には魔王にすら存在しないだろうと、ケインは思っていました。

「カッカッ! 勝ち負けの決まった勝負などつまらんじゃろう。勝つか負けるか分からん相手と│戦う《やる》のが面白いのではないか。勿論、勝つための努力は惜しまんがな」

 じじいも魔力の事は分かりませんが、相手のラミナが尋常でない相手であることはヒシヒシと感じています。

 それでも、ケインの様に勝ち目がゼロだとは思っていませんでした。

 じじいは自身の事と達人の心理を誰よりも理解しており、ケインはそうではない。

 これはその理解度の差でした。

「待たせたかの?」

 再びラミナと対峙するじじい。

「いやいや。某も菊殿には安全なところに居てもらった方がありがたい」

「お主が菊殿に執心なのも超獣だからかのう?」

「はっはっ。かもしれぬ。無性に彼女には心が惹かれおる」

「あまり心配はかけたくはないのう」

「では止めておきますか?」

「カッカッ。それとこれとは話が別じゃ」

「はっはっ。然り」

「では」

「尋常に」


『勝負!』


 今までの和やかな空気から一変。

 二人の空気が張り詰めます。

 ラミナは抜刀の構えでじっとじじいの出方を窺っています。間合いに入れば一息で一刀両断にする構えです。

 じじいは魔法で超強化されているナイフを、無造作にラミナに向かって投げ放ちます。

 ラミナはこれを刀の柄で一本を弾き飛ばし、その動作でもう一本を回避します。

 二本のナイフは地面に転がり、魔力の供給がなくなったためか、元のナイフに戻ったように見えます。

 ラミナはそれを確認することなく、じじいに意識を集中させています。

 ナイフを弾く隙に何かしらアクションがあるかと警戒していましたが、じじいは一歩も動かずに、じっとラミナを観察していました。

(間合いを見られていたか?)

 ラミナはここまで、じじいの前で一度たりとも刀を抜いていませんでした。

 そのため、正確な間合いを測るために唯一の武器である強化ナイフを投げたのかと推察しました。

 しかしラミナは、武器を捨てたじじいの構えを見た瞬間に、自身の大きな勘違いに気付かされました。

 無手となったじじいからは、一切の隙も慢心も無くなっていたからです。

 武器を持てばそこに、武器への依存、武器を持っているという慢心、そして武器を使う事による制約が必ず付いて回ります。

 一つの武器を極め、体の一部と為す事でこれらを限りなくゼロに近づけることは出来ます。しかしゼロにはなりません。

 ラミナも天下五剣の一と数えられる程に剣を極めた達人ですが、それでもそれらの頸木くびきからは逃れることは出来ていません。

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