三章 その②
昇った先は展望台を越え、関係者以外立入禁止の監視台です。
「あ、所長。お疲れ様です。お客さんですか?」
「サクヤ様の遣いの方々だよ。くれぐれも失礼のないようにね。悪いけど、ちょっと借りるよ」
「へぇ~……。それはそれは。ご苦労様です」
監視員がじじい達に会釈すると、じじい達も会釈を返します。
その様子を所長はハラハラした様子で見守っていました。
監視台に設置されている望遠鏡は、展望台に据え付けられている物とは違い非常に高性能です。自動でアリエスを追跡しながら、各種情報をモニターに表示しています。画像の解像度も段違いです。
「アリエスの現在地は?」
アメリの質問に監視員が答えます。
「それですと、こちらですね。中心地から十キロほどこちら側に移動しています」
「それは良くある事か?」
「良くとまでは言えませんが、無い事もない。といった感じですかね。まだ不可侵領域内ですから」
超獣のテリトリーには幾つかの区分があります。
超獣によってその範囲は異なりますが、アリエスに関しては、巣と呼ばれる中心地から半径十キロ圏内は、アリエスが比較的頻繁に移動する不可侵領域。そこから更に十キロが稀に姿を現す警戒区域。もう十キロが異常を報せる要監視区域。そして最後に更に十キロ、馬鹿な奴が足を踏み入れないようにするための緩衝エリアとしての、立入禁止区域が設けられています。この立入禁止区域にだけは、金網が設置されているのが分かります。
「ただ、見て下さい」
と言って監視員がモニターの一つを指さします。
そこにはアリエスの移動経路と予測進路が描かれていました。
「こっちの線がここ一年、で、こっちのがここ一ヵ月の線です。この一ヵ月の線の詳細を表示しますね」
それまではずっとウロウロするように不規則な線を描いていたのが、一週間前程から、一直線に帝都方向へ向かっています。
「ここまで直線的な動きは初めて見ます。それでもしかしたらと」
その報告が素早くサクヤの許まで届けられたと言う訳です。
途中でなあなあにされず、キチンと定められた通りの運用がなされています。当たり前の様でいて、ウン百年と維持されている組織がこうまで正常に機能している事は非常に稀です。サクヤの統治能力の高さが窺えます。
「やはり今回はこの件で?」
所長が緊張した様子で尋ねます。
「その通りだ。サクヤ様も褒めていたぞ。引き続き監視と報告を怠らんようにな。後日正式に報奨があるとの事だ」
アメリが堂の入った受け答えをしています。この辺りは流石王族といったところでしょう。
「あ、ありがとうございます。所員一同職務に励む所存です」
固い所長とは違い、監視員達は
「やったー! 臨時ボーナスだ!」
と大喜びです。
そんな監視員達を所長が𠮟り飛ばし、アメリに平謝りしています。
アメリは気にするどころか満足気な顔で頷いていましたが。
「それで所長。立入許可証を──」
「直ぐにご用意いたします!」
皆迄言わせませんでした。
「そ、そうか。では頼む」
一行は地上に戻ると、言葉通り直ぐに用意された許可証を人数分受け取りました。
良いと断ったのですが、そうはいきませんと職員一同に見送られながら事務所を後にしました。
「はっは。注目の的でしたな」
とはラミナの言。
職員たちの様子に、周囲の観光客たちからの、「何だ何だ」と面白半分、奇異半分といった視線がグサグサと突き刺さっていたのでした。
「それにしても──おっきな羊でしたね」
モニター越しですが、アリエスの姿を初めて見た黄泉の感想です。少し目が輝いている様にも見えます。
「そうじゃな。あれだけ大きければ毛が取り放題じゃのう」
「あれだけ大きいと、エサを用意するのが大変そうですけどね」
飼うつもりでしょうか。
「背中に寝っ転がってそのままお昼寝とかして見たいですね」
言ってる事はメルヘンチックなのですが、何分相手が相手です。
超獣の恐ろしさを知っている他の三人は、呆れるやら感心するやらです。
「それで、どうするかは決まったかの?」
「や、野営の用意はしてあるので、このまま、行きましょう」
そうと決まれば早いもので、一行は立入禁止区域に繋がるゲートへと向かいます。
するとそこには先客が居ました。
体が隠れる程大きなリュックです。背後からだと足の生えたリュックです。
駅でも見かけたあのリュックでしょう。
あんなのがそうそう何人も居るとは思えませんので。
離れているので声は聞こえて来ませんが、幾つかの遣り取りを経ると、ゲートの警備員がゲートを開け、足の生えたリュックは意外としっかりした足取りで進んで行きました。
足の生えたリュックがゲートの向こう側に行くと、再びゲートは閉じられました。
リュックの行方を視線で追いながらゲートに近付くと、警備員が厳しい視線を向けて来ます。
「止まれ! ここから先は立入禁止区域だ!」
一行は言われた通り警備員の前で立ち止まり、監視塔の通行許可証と併せてサクヤの委任状も提示します。
ここでもサクヤの委任状の効果は絶大です。
「失礼いたしました! どうぞ、お気を付けて!」
普段はどんな役職の者が来ても態度を一切変える事のないゲート警備員達も、サクヤに対してだけは別でした。
丁重に見送られながらゲートを潜った先、ここからは『生きた自然災害』とも揶揄される、超獣のテリトリーです。
入り込んだ者達が超獣に殺されるだけなら良し。最悪何が影響して超獣がテリトリーを離れて暴れ出すか分かりません。そうなれば事態は最悪です。ゴクリと緊張感に包まれるアメリとケインとは裏腹に、残りの三人はまるでピクニックか遠足にでも来ているかの様な気楽さでした。
アリエスの居る方角へ向かう一行。
走れば今日中にアリエスを発見する所まで行くのは容易ですが、今回はアリエスの異常行動の調査ということで、周辺の様子を観察しながらの歩きです。
「あ! あれは……!」
「む! これは……!」
アメリとケイン、学者でもある二人が調査のメインなのですが、先程からずっとこの調子で、見付けて来る物といえば珍しい鉱物や植物ばかりです。
「ハアハア。流石超獣領域ですね。ここにしかない鉱物や植物がわんさかとありますよ」
「見渡す限りお宝の山みたいな場所ではないか!」
この二人は一体ここに何をしにきたつもりでいるのでしょうか。
完全に本来の目的を忘れてしまっています。
「それで、何か異常の原因は掴めたのかの?」
とじじいが訊ねても、二人とも首を傾げています。
「ダメじゃなこれは」
じじいは早々に諦めました。
チョロチョロと動き回る二人がはぐれない様に注意しながら進めるだけ進み、陽が明るい内に野営の準備を始めました。
夜の見張りはじじいとラミナが交代で務め、一夜を明かしました。特に異変はありません。
次の日の調査では、二人の様子が更に悪化しました。
不可侵領域に達すると、そこには喉から手が出るほど貴重な鉱物、植物の宝庫だったからです。王都でも滅多にお目に掛かれないほど貴重な資源に、二人の目の色が変わっています。
二人は金に目が眩んでいる訳ではありません。ただただ、貴重な貴重な研究素材を目の前にして興奮がピークを突き抜けてしまっているだけなのです。
「えへ……えへへへへぇ……」
「うおっほ。おぅふ……。どぅへへへへぇ……」
不気味な笑みを浮かべ、気色の悪い笑い声が漏れ出ています。
表情は完全に薬物中毒者のそれと変わりがありません。
そろそろアリエスの姿が見えてもおかしくない所まで来ているだけに、いつまでもこの調子では困ります。
「さて、どうしたもんかの」
「いやはや、ああなると手の付けようがないですからな」
「私に任せて下さい」
ラミナも気付くのが遅れる程自然に、ラミナの刀を鞘ごと奪い取ると、冷めた、を通り越し、汚物を見る様な目で二人に近付く黄泉。
地面に屈みこんでいる二人を文字通り見下しながら、神業とも言える早業で抜打ち、精緻な技巧でアメリのズボンのベルトだけを斬り裂くと、むんずとズボンを引っ掴んで一気に、遠慮も容赦もなくずり下げました。
その勢いで、下着までズレ、あわやという状態でしたが黄泉は一向に気にしません。
突然の事態に流石のアメリも正気を通り越し、羞恥に染まっています。
「な、な、な……何をするっ!」
慌ててズボンと下着を上げながら、顔を真っ赤に染め上げ、涙目になりながら黄泉に抗議しますが、黄泉はアメリを見もしていません。
黄泉は、抜いた刀をケインの首を掠める様にして地面に突き刺していました。首の皮一枚切れる様にして、です。
刀身を伝う己の血と微かな痛みにケインも正気に戻り、恐怖のどん底に叩き落されていました。
「落ち着きましたか?」
「あ……うむ……」「はい……」
自分達の醜態を思い出したのか、黄泉に睨まれた二人はすごすごと引き下がります。
「汚物で汚してしまいました。申し訳ありません」
ラミナに刀を返しながら謝罪します。
「ああ、いやいや。お気に召されるな。それにしても、鮮やかなお手並みでしたな」
ラミナは懐紙を取り出して刀を綺麗に拭い、鞘に納めます。果たしてラミナが手放しで褒めたのは、二人を正気に戻した手並みか、刀を奪った手並みか。
正気を取り戻した二人を先頭に、一行は更に歩を進めます。正気を取り戻したといっても、やはり気になるものは気になる様で、チラチラと名残惜し気に周囲のレア素材に視線を向けています。先程までの様に取り乱さないのは、
「次は完全に剥きます」とアメリは脅され、
「次は脳天に突き刺します」とケインは宣告されていました。
「私の扱いが酷い」
とケインが訴えましたが、
「私はまだ認めていませんが、弟子だと師匠が認めるこの女と、只のムシケラの扱いが違うのは当然では?」
とにべもありません。
小高い丘を登り、見晴らしの良い場所へ出ると、遂にその姿を肉眼で捉える事が出来ました。
モニター越しに見たそのままに、姿を現したのは凄まじく巨大な羊でした。周囲の木々はアリエスの足の長さほどしかありません。体高は五十メートルを下らないでしょう。緑の絨毯の上を、白い毛玉が動いている、そんな風にも見えました。
アリエスの進路上に在った木々は薙倒され、踏み砕かれ、一本の道が出来上がっています。
「こうして見ると、改めて、でかいのう……」
「ははは。ですなぁ」
じじいとラミナは呑気に感心しています。
「ではこれからはアリエスと一定の距離を保ちつつ、観察を行っていきま……す……」
ケインは何か背筋に悪寒を感じ、振り返ります。
また黄泉に狙われているとでも思ったのでしょうか。
しかしそこに黄泉は居ません。
黄泉はアメリと一緒にじじいの隣でアリエスを眺めています。
ではこの悪寒の正体は一体……。
ケインの疑問に答えてくれる者は居ません。
ケインの視線の先に居るのはアリエスだけです。ケインは、そのアリエスの瞳が自分を見ている、そんな気がしてなりませんでした。
「おや? あれは……」
「どうした?」
アリエスを眺めていた黄泉が何かに気付きました。
アメリは黄泉が示す先を魔法で遠視します。すると、アリエスの進路上にある一本の木の天辺付近に、大きなリュックが動いているのが見えました。
間違いありません。駅とゲートで見掛けた、あのリュックです。
「あれは拙いのう」
「「助けに行きましょう!」」
アメリと黄泉が同じ提案をしたのは、奇しくも同じタイミングでした。
「真似をするな!」「真似しないで下さい」
「「どっちが!」」
「カッカッ! その調子で仲良くするんじゃぞ。それはそうと……」
じじいが足に力を篭めます。
「そうと決めたのなら直ぐに行動じゃ!」
「「はい!」」
じじいは力強く地面を蹴り、宙に身を躍らせます。十数メートル下の太い木の枝をクッションにして衝撃を殺すと、そのまま樹上を滑るように跳びながら移動して行きます。
黄泉もじじいに遅れず、ピタリと付いていっています。
アメリは魔法を使い、二人より少し高い位置を飛行しています。
「あ、ちょっと!」
三人を呼び止めようとするケインの声など、誰も聞いてはいませんでした。
「行ってしまったな」
「距離を取って観察だと言ったばかりだろうに……!」
人の言う事をちっとも聞きやしない三人に、ケインは頭をガリガリと搔いています。
相当ストレスが溜まっている様ですね。
「で、
「知るか! 私の任務はアリエスの異常行動の解明であって、人命救助ではない! ましてやアメリ様以外の子守など、やっていられるか!」
「そのアメリ様も行ってしまっているが?」
「ああ! そうだった!」
アメリも飛んで行ったことを思い出し、ケインも慌てて後を追いました。ラミナは苦笑を浮かべながら、ケインに続きました。
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