一章 その②
ここ一年程はあれやこれやで忙しく、心境的にもそういった物を遠ざけていたのが、今回のコンサートの存在自体を認知していなかったという事態を招いた事は理解していました。
チケットの競争率は高く、王族であるアメリですら入手は困難を通り越し、ほぼ不可能。サクヤのコンサートは、本人の「お客さん皆の顔が見える方が
サクヤのコンサートのチケットは魔導加工により本人認証が行われているので、転売しても他人が使う事は出来ません。滅多な事ではありませんが、極々稀にオークションに未使用の物が出品されると、青天井で値段が吊り上がって行きます。過去には日本円にして兆にまで達した事もあるとか。使用済みの半券ですら億は軽く超えて来ます。
それと言うのもほぼ全員が全員、家宝として取っておくため出回らないのが一因です。後は、権力者ほどサクヤ信者が多く、サクヤ関連の物を
そういった事情まではじじいの知る所ではありませんでしたが、余りのアメリの落ち込み様に気を遣ったじじいが、ライブの時間は有料の特設会場へ行こうと提案しました。
特設会場には会場をぐるりと囲む超巨大モニターと音響設備で、生に勝るとも劣らないド迫力を堪能できます。また、他の観客と一体となって盛り上がれる所も、ご家庭で配信を見るのとは違う点でしょう。この特設会場が使われるのは恒例で、こちらは予約状況に応じて会場が増設されます。こちらは当日券もかなりの数販売されるので、希望者が入場できないという事はまずありません。
特設会場の場所もポスターに明記してあるので、帝都は初めてのじじいには全然馴染みのない名前ばかりですが、アメリなら分かります。
「いいのか!?」
こんなアイドルのコンサートみたいなのには一切興味なさそうなじじいですので、まさかそんな提案が来ようとは露程も思っていませんでした。驚きのあと、アメリが弾ける様な笑顔を浮かべるのを見て、じじいはやれやれと一息吐いていました。
「絶対だぞ! 絶対だからな!」
「うむうむ。絶対じゃ」
と、そんなこんなで元気を取り戻したアメリと、子守の傍ら強そうな相手の気配を探すじじいの帝都観光が続いていました。
セントラルターミナル駅を一巡りする頃には良い時間になったので、そろそろお昼にするぞとアメリが提案すると、じじいからは「折角じゃから帝都の景色が見える所が良いのう」というご要望がありました。
それならばと、アメリの案内で駅の地下街から地上に戻り、帝都では数少ない高層──他の建物に比べて──建築の複合商業施設、通称「五重塔」と呼ばれる場所に来ていました。
外観は通称通り、五重塔に似た形をしています。階毎の天井が高く造られていて、五階建てにしては高さがあります。四階五階が飲食店街になっていて、景色を眺めながら食事を楽しむ事が出来る様になっていて、他に高い建物がないためかなり遠くまで見通す事が出来ます。
外観や売りとは異なり、施設は地下がメインです。駅の地下街から直結の地下一階の食料品売り場に、地下二階から四階までを占めるアミューズメント施設には、あらゆる屋内遊戯が集まっていると言っても過言ではありません。施設を訪れるお客さんの八割以上が地下階の利用客です。
地上一階には化粧品や宝飾品、二階と三階には種々の生活雑貨を取り扱う店が軒を連ねています。
そんな地下街から繋がっている場所を訪れるのに、なぜわざわざ地上に出たのか。
地下からそのまま施設に入り、エレベーターで目的の階まで上がるのが一番スマートです。迷い様もない程に親切な案内も出ているので、方向が分からないなどの心配もありません。
しかしアメリは敢えて、わざわざ地上に一度出ました。
それはこの五重塔の外観を見せたかったから──では、勿論ありません。
「ここの地下は──魔屈だ」
過去に何かあったのでしょうか。
アメリは顔を蒼褪めさせ、小刻みに身体を震わせています。
「遊技場と食品売場があるだけのようじゃったが?」
じじいは地下街の案内にあった、施設の売場案内をざっくりと思い出します。
「ああ。その通りだ。だが! その遊技場が問題なのだ!」
「ふむ。お主がそこまで言うとは、少し気になるのう」
アメリの力説に、じじいの食指が少し動きます。
「あそこは……あの魔窟は……、いつの間にか私のお金と時間を消費し尽くしているのだ!」
いやああああああああああ!
とアメリは心の中で絶叫していましたが、じじいには全く共感して貰えませんでした。
呆れ顔を浮かべたのは一瞬で、可愛い孫を見つめる爺さんみたいな表情に変わっていました。
「年相応な所もあるのじゃな」というのが、じじいの感想でした。
「師匠は解ってない! 私が子供じみた事を言っていると思っているのだろう!」
「うむ」
アメリの言葉をじじいは全肯定します。
「少しは否定しろ! まあいい。私ももう大人だからな」
と子供みたいな事を言っています。まあ、確かに。先日成人を迎え、この帝国では大人として認められる年齢には達しています。ですが、じじいからすれば、まだ十分に子供です。
「とにかく! あそこに近付くのは危険なのだ。遊びに行くのでないのなら、地上から行くのが正解だ」
アメリの持論に納得した訳ではありませんが、じじいとしても特別遊興施設に用があるわけでもなし、特に反論する事もあるまいと黙っていました。
アメリに付き従って、見るからに
聞こえて来るのは料理を運ぶ店員が動く音と、その食器が奏でる僅かな音のみ。調理の音すら聞こえて来ません。調理場にまで防音が施してあるようです。
広々とした店内に、席は窓際にテーブルが五つのみ。内三つが埋まっています。こんな賃料の高そうな場所で、昼時にこれで経営が成り立つという事は、お値段もそれなりと予想できます。
入店したアメリとじじいにウエイトレスが直ぐに気付き声を掛けます。
「いらっしゃいませ」
「二人だ。席はあるか?」
単刀直入にアメリが訊ねます。空いてる席も予約で埋まっているかもしれません。
アメリは父や兄達と何度かこの店を利用した事があります。店員の方も当然の様に顔と名前を覚えています。
「はい。ご案内いたします」
丁寧に一礼をするとウエイトレスはアメリとじじいを席へと案内します。
席に通されてじじいは更にもう一つ気付きました。全くそうは見えないのですが、どうやら透明の壁か何かで仕切られた個室になっているという事にです。となりの客の話し声が聞こえません。食事をする以外にも口が動いているのにも関わらず。壁──だか何だか分からないが何かしらの防音設備──が透明なのは、店内の開放感を演出するためでしょう。これもこの店のオーナーの拘りでした。
じじい、アメリの順に椅子に座らせ、冷やとメニューを用意するとウエイトレスは去り際に、
「今日はいつもと違う殿方ですね。随分と年上の方ですが、遂にお姫様にも春がこられましたか?」
と耳打ちします。
「な……! ばっ……! ちが……!」
顔を真っ赤染めて勢い良く立ち上がったアメリでしたが、ウエイトレスに抗議の声を上げる前に周囲の視線に気付き、更に顔を赤くしてストンと大人しく座り直しました。
「うふふ。はしたないですよ、アメリ様」
とウエイトレスにまで
「それではメニューがお決まりになりましたらお呼びください」
「『いつもの』だ! 二人分! 支払いはコレで!」
静かにかつ威嚇する様に言い放ち、カードをウエイトレスに叩き付ける様にして手渡します。それはじじいも見た事ある、いわゆるクレジットカードにそっくりでした。多分用途も同じ物でしょう。
「はい。承りました」
にこりと笑顔で受け流し、丁寧に一礼し下がって行くウエイトレスをアメリは睨み付けていましたが、当のウエイトレスはどこ吹く風です。アメリの表情も、怒っているというよりは照れと甘えが多分に入り混じった感じです。
「全く。ラティ姉の奴め……」
アメリがラティ姉と呼んだウエイトレスと出会ったのは、今から十年程前、初めてこの店を訪れた時の事でした。その時は父と兄達とアメリ、五人でした。給仕をしてくれていたラティの事を、アメリが間違えて「お母さん」と呼んだのが全ての始まりです。学校などではしばしば見掛ける呼び間違いで、そこまで気にする程の事ではありません。しかし当時のアメリにとっては絶対にあってはならない間違いでした。
激しく泣き出すアメリを何とか
そんな時、泣きじゃくるアメリを見事に宥めて見せたのが、ラティでした。
優しく、力強くアメリを抱締めるラティの姿はまるで聖女様の様だったと、後に長兄は語りました。この事が切っ掛けでアメリはすっかりラティに懐いてしまい、店から出る時には「イヤ! ラティと一緒じゃなきゃイヤ!」と駄々を捏ねる程でした。
少し話は変わりますが、長兄はこの時のラティに惚れ込み猛烈アタックを開始し、その後見事に射止めています。婚約も済ませ、実質アメリとラティは既に義理の姉妹になっていました。
その後もアメリとラティは、兄を介さない個人的な関係を深め、本当の姉妹以上に仲良くなっていきました。そして今ではすっかり頭の上がらない存在になっていました。そしてそれを決して嫌だとは思わない、思えないアメリでした。とはいえ、揶揄われればやはり腹は立つものです。そしてラティはアメリを揶揄うのが大好きでした。アメリの反応が面白いからなのは言うまでもありません。
「出来た御仁の様じゃな」
ラティの囁きが聞こえていなかったはずもないでしょうが、じじいは気にした様子もなくラティの事を評します。むしろそれも含めての評かもしれません。
「だろう! そうなんだ! ラティ姉はとっても凄いんだぞ!」
パッと明るい笑顔で、アメリはラティの事についてじじいに話し始めます。
ラティを褒められた事が嬉しかったのでしょう。自分が褒められるよりも喜んでいました。
アメリとラティ、それと長兄とラティのエピソードは沢山あるらしく、それを面白可笑しくアメリが語り、じじいは時折相槌を打ちながら静かに話を聞いていました。
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