帝都編

序章

 雲一つない気持ちのいい晴れ空の下、昼食を取り終えたサクヤは自宅の縁側でだらしなくゴロ寝をしていました。

「あー……気持ちよいのぉ。平和じゃなぁ……」

 帝国の、そして帝都のあるじであるサクヤの自宅は日本家屋風の木造の平屋です。垣根で中は直接見れない様にはなっていますが、特にこれといった設備はありません。警備も居ません。皇帝の自宅がこんな防犯体制で大丈夫なのかと思いますが、サクヤを害する事ができる者など居ないので、特に問題はありません。

 家自体もさして広くはありません。玄関に土間があり、八畳の居間へと続き、奥に六畳の寝室。土間からは風呂と厠にも繋がっています。が、それだけです。

 家具も帝都のお店で普通に買える物で揃えられています。自らの足で店を訪れ、自らの目で吟味して買った、サクヤとしては愛着のある家具達です。中には百年以上使われている物もあります。

 そんな憩いの我が家で悠々自適な午睡ごすいに浸っていると、チャイムも鳴らさずに玄関の引戸を開けて入って来る者がいます。サクヤの家に無断で入って来る者と言えば余り選択肢はありません。いつもの配送業者のお兄さんであれば玄関を開けた所で声を掛けて来るはず。それがないという事は……。

「サクヤ様。緊急の報せがあります」

 サクヤ直属の部下、アメトラ・シャドールです。サクヤが名付けた訳ではありませんが、世間ではサクヤ四天王と呼ばれている、サクヤが直接命令を下す四人の側近の一人です。アメトラは四天王の中でも古参で、実質的なリーダーでありサクヤのブレーン的な立場でもあります。

 ビシっとスーツを着こなす気難しそうな顔をした眼鏡の男。それがアメトラです。背はスラっとして高く、一八〇以上はあるでしょう。しかし顔立ちは特に男前という訳でもないので、その印象から女性からの評判はすこぶる良くありません。特に他者に厳しく、自分にはもっと厳しい性格が、それに拍車を掛けています。

「ん……おお。アメトラか。如何いかがした?」

 横着に寝転がったままアメトラを見上げて返事をするサクヤ。

 着崩れた着物から、脚やら胸元やらがはだけて色々と見えてしまいそうになっていますが、サクヤはそれを直そうともしません。今更アメトラに見られたところで……という所もありますが、それ以上に起き上がって直すのが面倒なのでした。

「サクヤ様。はしたないですよ」

 アメトラの方も慣れたものではありますが、崇拝の対象の艶姿はいつ見ても目の毒です。

 艶姿とは言ったものの、サクヤの容姿は一桁後半から十代前半といった所。少女というよりも童女です。流石に幼女という程ではありません。整った顔立ちと、黒髪黒瞳とあいまって日本人形そのものの様です。

 内心の動揺を一切面に出さないまま、サクヤの着物を整えて立たせると、近くの椅子に腰掛けさせます。

「いつも済まんな」

「そう思われるなら、もう少しシャキっとして下さい」

「我が家にる時くらいはいいじゃろ? 公務はちゃんとこなしておるのじゃから」

 アレを公務と言って良いのかどうか悩むアメトラですが、サクヤの可愛らしさが爆発していて、さしものアメトラもその時は人が変わったかのように騒いでいます。それに、サクヤが実に楽しんでいるため、今更止めさせる事も出来ません。

「それで、何用じゃ?」

 サクヤがアメトラに尋ねると、アメトラはサクヤの前に跪きます。

「グラディアス王が逝去されました」

「わざわざ主が報せに来るという事は、病気の類ではないな? 誰にやられた?」

「アメリ様の手に掛ったと」

 アメリの名前にサクヤの身体が反応し、椅子をガタリと揺らします。

「──ふう。そうか」と一息ついて心を落ち着けると、サクヤは椅子に座り直します。

「して、アメリちゃんの方は?」

「は。アメリ様はその後国を出られたとの事。報告によれば、年上の男性と二人でこの帝都へと向かっていると」

「は?」

 サクヤは握り潰さんばかりの勢いで肘置きを握り込んでいます。が、身体能力は見た目に反する事はないようで、肘置きが握り潰される気配は全くありません。

「は?」

 一度目より大きく、かつ強い口調で放たれました。

 立ち昇る怒りのオーラが見える様な気がするアメトラでした。こうなる事が予想できたからこそ、アメトラ自身が報告に出向いたのでした。

「どこの馬の骨か知らんが、儂のアメリちゃんに手を出すとは良い度胸じゃ! 細胞の一片はおろか、この世に存在したえにしそのものから消し去ってくれるわ!」

 げに恐ろしき事を宣言するサクヤ。しかもそれが比喩ではなく、サクヤには実行可能な事であるというのがその恐ろしさに拍車を掛けます。

「アメリ様も成人なされた訳ですし、気になる男性の一人や二人居てもおかしくないでしょう」

「駄目じゃ駄目じゃ駄目じゃ! アメリちゃんには儂が認めた男じゃないと駄目じゃ! 駄目なんじゃ!」

 見た目以下の幼児の様に駄々をねるサクヤ。

「ご本人にそんな事言ったら嫌われますよ?」

「──え?」

 迫真の疑問符と共に、サクヤの動きがピタリと止まります。

「え? ではありません。当たり前でしょう。もしかして……」

「いや……言うておらんよ。まだ……」

 今度会った時には言っておく心算つもりだったサクヤは、心の中で「セーフ!」とポーズを決めていました。

「ふぅ……。で、何じゃったっけな?」

「グラディアス王とアメリ様の処遇についてです」

「アメリちゃんは儂預かりとして帝国内での行動の自由を保障するよう各国に通達せい。くれぐれもアメリちゃんの邪魔をせぬように、とな」

「はっ」

「グラ君の中の人には少し期待しておったのじゃが、綻び一つ作れなんだな」

「期待外れでしたでしょうか」

「期待など端からしておらんよ。誰にもな」

 背もたれに体を預け、ギィと椅子を揺らします。

「グラ君の息子へ政権の移譲が滞りなく行われるように手を回しておけ。あと、アメリちゃんがグラ君を討った事実が美談となるようにする事もな。詳細はいつも通り、お主達に任せるぞ」

「はっ。承知いたしました」

 サクヤからの対処方針をいただくと、アメトラはその場を辞します。ただ一言、玄関から出る際に残して行きました。

「下着は着けておいてください。痴女ですか」

「誰が痴女じゃ!」

 サクヤの反論が空しく響いていました。


          ◇


「ああ~。ひっさっしっぶりに~、師匠にあっえる~」

 妙な拍子で口ずさみながら、やたらテンションの高い少女が一人、街を山に向かって歩いています。その山は鬼が住むと有名な山で、鬼退治だと粋がって向かって行った連中が山を下りて来た事は一度としてない。そんな山でした。

 この現代日本で鬼とか(笑)。と余所の人間は笑いますが、地元とその界隈では有名も有名、知らなきゃ頭がおかしいレベルの場所です。そう。彼のじじいが暮らしていた山です。

「おいお嬢ちゃん! あの山には近付いちゃいかん! あの山に近付くと鬼に喰われちまうぞ!」

 親切で忠告してくれる街の人に、少女は笑顔で応えます。

「御親切にありがとうございます。でも、大丈夫でーす!」

 ペコリ。と少女は深々とお辞儀をすると、忠告を無視して山へと何の躊躇もなく足を踏み入れて行きました。

「忠告は……したからな……」

 街人は山を恐れています。命の危険を犯してまで、少女を止め様とはしませんでした。

 

 少女はというと、山に足を踏み入れた瞬間ある違和感に気付きました。

「師匠の波動を感じない……」

 真剣な顔をして呟いていますが、じじいが聞いたら「波動って何じゃ?」と答えるでしょう。

 それはじじいが発している物でなく、この少女が勝手に感じ取っている『何か』です。

 少女は慣れた足取りで、一気に山を駆け上がって行きます。標高は決して高くないとはいえ、未整備の山道を駆け上がるなど只者ではありません。それもそのはず。少女はじじいが唯一育てた弟子なのですから。この山は、少女にとっては庭の様な物でした。

 師匠と少女が暮らしていた小屋まで、駆ける事およそ十分。ほぼ平地と同じ速度で疾走した少女は「ハアハア」と柄にもなく息を乱していました。走った事よりも焦燥感による所が大きな要因でしたが、こんな所を見られたら師匠に「呼吸を乱すとは未熟じゃな」と叱られちゃうなと、そんな事を考えていました。

 小屋からはやはり師匠の『波動』を感じません。もちろん周囲からも。

 恐る恐る小屋の戸を開けます。見慣れた小屋の中。土間と居間しかない、ある意味ワンルームですが、それを気にした事はありません。むしろ師匠との距離が近くて幸せでした。

 そんな思い出深い小屋に、やはり師匠は居ません。ですが、居間には布団が敷かれたままになっていました。疑問を覚えた少女は布団に手を差し入れます。

「冷たい」

 師匠が布団から出て、それなりの時間が経っているという事です。

 布団はいつも、起床と共に押し入れに仕舞われます。例外は外に干す時くらいですが、その時も床に敷いたままにはしておきません。つまり、寝ている間に何かがあった。もしくは寝起きを狙われたか。しかし争ったような形跡はありません。

 何となくですが、少女はもう師匠がこの世には居ない。そんな気がしていました。そしてそれが気のせいではないだろうという確信もありました。

 思いもしなかった現実に、少女は涙を流しました。

 そんな時です。

 少女の目の前に怪しげな魔法陣が、光と共に現れたのです。

「これは……」

 少女が光を放つ魔法陣にそっと手を触れると、その先から『師匠の波動』を、微かにですが感じた様な気がしました。突如師匠をうしなったショックによる幻想、幻覚。何でもいい。と少女は思いました。僅かでもそこに師匠が居る可能性があるのなら、私はただ追いかけるのみ!

 少女は涙を振り払い、躊躇する事無く魔法陣の中へと踏み込んで行きました。

 そうして少女が訪れた先は、もちろん、師匠たるじじいの居る異世界でした。

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